2019年11月8日金曜日

「すべて政治に属する」か


 池澤夏樹が今年のノーベル文学賞の受賞者ペーター・ハントケのことを書いている(朝日新聞11/6、「終わりと始まり」)。いくつもの刺激的な事実があり、思い出されることがあって面白かった。


 ハントケという作家が何をどのように書いた方か、私はまったく知らなかったから(池澤の記す事実が事実かどうか検証しようもないが)、なりるほど学者というのはこのように情報ネットワークを張っているのか、さすがだな、と感心した。ハントケのノーベル賞受賞が「四面楚歌の状態にあった名誉回復なのだ」ということ。東西冷戦後のユーゴスラヴィアが分裂を繰り返して内戦になり、NATOがセルビアを空爆するなどして制圧したとき、《ハントケはセルビア空爆に反対し…ベオグラードを旅して『空爆下のユーゴスラビアで』という優れたレポートを書いた》という。ノーベル文学賞選考委員会は、いわばヨーロッパのセルビアへの憎悪を、あらためて修正する道を選択したということだ。

 このときスーザン・ソンタグやエンツェンスベルガーなどが空爆を指示したことは私も耳にして、どうして? と思ったものであった。池澤は、このセルビア空爆の起点におかれた《「(セルビアによる)民族浄化」というレッテルを貼ったのがアメリカのルーダー・フィンという広告代理店だということまでわかっている》と指摘している。つまり、(NATO首脳部の意図したとおりに)情報が操作され、ソンターグもエンツェンスベルガーも(ナチスの苦い経験を思い出してだろうか)それに踊らされたとみえる。

 いま、この事実を知った私たちは、では、そうした情報操作の世界をどう生きたらいいのだろうか。ハントケが書いたレポートに(相当することに)も目配りしてと、池澤なら言えるかもしれない。

 ところが池澤は、こうも書いている。

 《…軍事衝突があり…双方に死者が出る。民間人の被害者も出る。そこで西側のメディアは一方の死者の数しか報道しない。…日本の某紙の記者が現地で見たことを書いて送っても本社は「ロイターはそんなことは言っていない」と言って捨てた、とこの取材の通訳をした山崎佳代子から聞いた》

 つまり、(私たちに情報を伝達する)メディアもまた(スクラムを組むわけでもないだろうが)「信頼できる情報」という「確認(ウラ)」がとれないために、情報宣伝戦にしてやられてしまうということがわかる。私たち庶民が、この世界の「事実」を手に入れることは、できないということだ。池澤の書いたような事態が生じているとすると、この世界には(トランプのいう)「フェイクニューズ(流言飛語)」ばかりが飛び交っているってこと。とどのつまり私たちは、自分が信じられること信じたいことを信じているということがわかる。これが「流言飛語」だとすると、つねに私たちは、自分自身がなぜそれを信じているのかと、自身に対する問いかけを行うしかない。そのようにして私たちは、自らの世界認識を吟味し、修正し、あるいは転換させながら(相対的に)より確かなことにしていこうとすることだ。それは、自らの感性や感覚、認知・認識の根拠を問い返して自己(の世界)の輪郭を描き出す作業。それを、つねに続けなければならない。

 世界には、人の数だけ「真実」が存在し、私もまた、自分自身の感性や感覚や直感や認識の方法という自前の漉し器を通して、「世界」を認知している。それが「真実」かどうかは、つねに吟味しつづけられなければならない。吟味の方法は、唯一、自らの認知判断が、何に拠って根拠づけられているかを確かめるしかない。それは、自らの感性や感覚、直感や認識の方法などなどが、どうかたちづくられてきたかを確かめることであるが、じつはそれらは、生育歴中に「わたし」に影響を与えたありとあらゆることごとを、振り返ってつかみ取ることにつながる。それはほとんど不可能である。けれども、ものごとを認知するというクセをもった人類としては、やむを得ざる業のようなものだ。

 もうひとつ気になったのは、オーストリア人であるハントケの《母はユーゴの一部であったスロベニアの人、父はドイツ人でナチスの一員。身の内にヨーロッパの内紛を抱えた出自なのだ》と池澤は紹介し、それがヨーロッパの知識人たちに嫌われていたせいで、彼への評価が厳しくなっていたと考えている。それを聞いて思うのは、父の罪を子もまた(直に)背負うのかということ。日本に置きかえて考えると、私たちの親の世代が行った侵略戦争の罪を、どのように、どこまで私たち自身が背負うのかということにつながる。親世代の所業があってこそ現在の私たちがあることを思うと、いいところだけを引き継いで悪いところは知らぬふり、では通るまい。いいも悪いもすべて受け継いで、やっぱり私たち自身の直観力を磨きに磨き、吟味のクセを研ぎに研ぐ。受け継ぐということは、終わりのない旅。それしか道はないように思える。

 アメリカ人のソンターグやドイツ生まれのエンツェンスベルガーは、リベラル派と言われたり、社会批判・文明批判を行うなど、いわば「他者」を意識した世界を見る目を持っていると思っていた。その人たちさえも、してやられる「情報戦」となると、いったい世界の何を信じていいのか、私たちにはわからない。この「わからない」ことを決して忘れず、何時でも修正を施すようにして「せかい」と渡り合うしか、これまたほかに道はない。

 池澤はハントケが脚本を書いた映画に触れて、《映画の始まりのところ、暗いスクリーンにペンが文字を書き、男の声がそれを朗読する――》と前置きをして、その詩を記す。

 子供は子供だったころ
 腕をブラブラさせ
 小川は川になれ 川は大河になれ
 水溜りは海になれと思った

 子供は子供だったころ
 自分が子供とは知らず
 すべてに魂があり
 魂はひとつと思っていた

 そう記しおいて、ハントケが《若い時から反抗的だった。1968年の五月革命の世代に属したから、その指導者たちがやがて支配する側に身を移すのを批判した》と紹介し、次のように書いている。

《広告宣伝が世論を誘導し、爆弾とミサイルがそれを実現する。ユーゴで実験され、イラクで実証され、今の世界の日常になっていることだ。/それらはすべて政治に属する。/政治に関して文学に何ができるか、ピーター・ハントケはそれを身をもって訴えた》

 と、作家であるわが身に引き寄せて締めくくりにかかる。私たち庶民は「操作される世論」という見立てだ。そもそも私たち庶民に「なにができるか」と考えると、せいぜい、自分の輪郭を描き出す「吟味」という終わりのない作業をつづけることしかない。もし文学がその「操作される世論」に対して何ができるかというのであれば、自分の輪郭を描き出す「吟味」に関わる作品を醸し出していただく、ということになろうか。つまり、「すべて政治に属する」ことを「すべて人間に属する」へ返還すること、それが「吟味」の道筋をつけることなのではなかろうか。もちろん「すべて経済に属する」ことも「すべて人間に属する」ことも、「すべて自然に属する」ことへ返還する道筋をハントケの上掲した詩は示している。そして、その領域において、私たちの自前のセンスは、欧米人に一歩先んじているよ、と(一神教的な匂いの部分を除いて)思う。あとはそれを、意識化し、吟味できるだけの資質に鍛え上げなければなるまい。

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