2019年11月17日日曜日
「わたし」にとって「他者」とは何だろう
書名が目に止まり手に取った。トニ・モリソン『「他者」の起源』(荒このみ訳、集英社、2019年)。「解説・森本あんり」とあったので読む気になった。森本あんりの名を知ったのは2015年、トランプ候補が登場して「反知性主義」がマスメディアで取りざたされていたころ。当時(2015/7/19)、この欄で「梅雨が明けたが、さて」と題して、《アメリカの「反知性主義」は大衆社会時代の「知性の頽落への批判である」と位置づける森本の論展開は、確実に私の心に訴えてくる。》と、好感を懐いていた。
標題の「他者」に魅かれたのには、二つの方向からの視線があると、私は考えている。
ひとつは、日頃日本の政治家や評論家の姿があまりに自己中心的で「超越的他者」を組み込む視線がないと、思っていたからであった。絶対神をもたない日本の場合の「超越的他者」とは何か。万物に魂が宿り八百万の神をみる私たちの自然観からして、遠近法的消失点としての「彼岸」、絶対無の場所、空無の地点から自らの現実存在を逆照するという視線。
もうひとつは、ヘイトスピーチに象徴されるように、ヒトは自己の実存を確かめるために「他人」を貶めたり謗ったりする。あるいはそれに類するわが所業に気づいて、そのヒトの性をどう克服したらいいのであろうかと、思うともなく考えていたからであった。
本書は、上に述べた後者の方から「起源」を見つめようとしているのであるが、「私の世界」の狭さを突き付けられたような衝撃があった。
まず、トニ・モリソンは、曾祖母から「この子たち、異物が混入しているね」という言葉を浴びせられる話から始める。読みすすめながら私は、異物というのは黒人の血と受け止めている。ところが読みすすめていくとそれは、黒人以外の血が混じっていると指摘する(黒人であることの純粋さに誇りを持っている)言葉だとわかる。つまり私の受け止め方はすでに、アメリカにおける「異物」が「黒人」と前提していることを明かしている。つまり私の先入見は白人の立ち位置に染まっている。
トニ・モリソンはその第一章で、ホモサピエンスがさらに人種をつくりだす由来を「科学的人種主義」と名づけて、《科学的人種主義の目的の一つは、「よそ者」を定義することによって自分自身を定義すること》とし、さらに《「他者化されたもの」として分類された差異に対して、何ら不面目を感じることもなく、自己の差異を維持(享受さえ)することである》と切り分ける。つまり、「よそ者」に劣位のレッテルを貼ることによって自らの優位性を自己確認することまで「科学的人種主義」は行っていると、アメリカ文学を読み解いて剔抉しているのである。そこで糾弾されている私は、「カラード」であるにもかかわらず白人の立ち位置を自らの知性としていつ知らず身に着けてきていることを、自らに問うよう促されている。
モリソンの指摘は、アメリカのWASPが決して「アングロ・アメリカン」呼ばれることはない。しかし、それ以外のアメリカ人は「アフリカン・アメリカン」「アイリッシュ・アメリカン」、ポーランド系とか、ユダヤ系、アジア系とか日系等の出自の系譜を付してアメリカ人であると呼ばれる。じつはそれに依ってWASP自身が自己の存在証明をしているを介して、黒人奴隷が、じつはWASPのUSAにおける自律にとって不可欠の相棒であったことに言及する。それはUSAの「独立宣言」においても、憲法においても、奴隷への言及は隠蔽され、「all men are created equal」とする理念が建国の基本精神であると高々と述べられているのである。それは日本語で謂う建前と本音というような使い分けでなく、WASPの心根に沁みついたありようとして、つまりアメリカの偽らざる文化として打ち建てられていたのであるが、その自律の根拠がじつは奴隷に依拠していたことを、みごとにモリソンはとりだして見せたのであった。「ノーベル賞作家のハーバード連続講演」という本書の副題に感じていた「権威主義」の匂いが私の中で別様に変わっていくように感じた。
そうしたモリソンの記述を受け容れるのには、アメリカ史のバックグラウンドだけでなく、アメリカ文学や黒人や有色人への呼称の変化、それら有色であることがとりだされて差別化されてゆく過程に、ヨーロッパやアフリカ植民地との流れなどに関する、森本あんりの「解説」を抜きにしては考えられなかった。その森本あんりの記述から、私たちにとっての「異物」を見て取る媒介となることばを拾うと、まず、次のふたつになろうか。
《人がもって生まれた「種」としての自然な共感は、成長の過程でどこかに線を引かれて分化をはじめる。その線の向こう側に集められたのが「他者」で、その他者を合わせ鏡にして見えてくるものが「自己」である。》
《ある時代のある文化に生まれ育つものは、まずその文化の規範をみずからのうちに取り込むことで成長する。つまり、われわれはみな、人としての自我をもつ存在となった時点で、すでにその文化がもつ特定の常識や価値観の産物となっている。》
私たちはすでに、蝦夷や隼人という言葉を忘れてしまっている。実生活で私がその言葉を聞いたのは、60年前。あることを勉強したいと思い仙台にある大学へ行きたいと言ったとき、母親が「蝦夷の地にまで行かないで。せめて東京まで」と懇願されたのが最後であった。いま、せいぜい日常的に意識されるのは、「うちなーんちゅー」と「やまとぅんちゅー」と対比される沖縄びと大和びとくらいであろうか。それも自らを大和びとと意識していることはなく、何もかも一緒にして「にほんじん」と呼んでしまっている。無意識に自己の実存の確証のように感じている感覚の背景に目を凝らし、疑いを持って垂鉛を降ろす必要がありそうに感じた。
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