2019年11月7日木曜日
不思議な里山
かつての大滝村の、和名倉山や甲武信岳などの奥秩父連峰に源を発する荒川の流れが秩父市の中心部貫いて流れ、南北から東西に大きく屈曲する地点に皆野の町がある。東の小鹿野町に源流をもつ赤平川が荒川に合流するのもこの地点。二つの下線を抱える秩父盆地と呼ばれる山間の広い平地を縁取るように佇んでいる山並みに「皆野アルプス」という名が冠せられている。破風山627m。「はっぷさん」と呼ぶと、皆野町役場観光課発行のマップにある。その山に昨日(11/6)、山の会のmrさんをチーフ・リーダーにして歩いてきた。天気は晴朗。雲ひとつない。
秩父線・皆野駅前には「ようこそ皆野へ」と標題したイラスト地図が大きな看板になっている。その隅に「金子兜太先生 句碑巡り」と、兜太の句とともに書き込まれている。そうか、ここは金子兜太の故郷なのか。「よく眠る 夢の枯野が 青むまで」というのが、兜太が死後に詠んだ句のように響いておかしかった。
駅近くの乗り場から町営バスに乗る。通学の高校生も一緒だ。高校生が降りるとちょうど座席分の人数がリュックなどをもったハイキング客だとみえる。18人。下車した秩父華厳前バス停は、しかし、皆野アルプスの北側に位置し、陽ざしは入らない。しかし、長袖のアンダーウェアに一枚シャツを羽織って寒くない。山歩きにはいい季節なのだ。mrさんは「華厳の滝を見てもしょうがないのですが、でも、みますか」と登山口と逆の方へ向かう。ほんの2分も歩かないうちにガーガーと草刈り機の音がして道を整備している人に出会う。その先ずうっと前方に、なるほど日光の華厳の滝に似た落差60mほどあろうか、滝が落ちている。水量はけっこうある。何度も見て面白いものではないだろうが、観てもしょうがないというほどでもない。
引き返し、バス停から少し下って、野沢川にかかる細い木の橋を渡り、登山道に踏み込む。すぐに「石灰焼窯跡」を左にみる。明治中期から昭和30年頃まで、生石灰を焼いて消石灰をつくっていた掘っ立て小屋が十メートルほどの高さに残っている。そうか、秩父は昔のサンゴ礁がつくった石灰石の大地なのだ。落葉樹の林はすぐに途切れ、スギ林にかかる。手入れされていないのか、このところの台風で荒れ果てたのかは、わからない。いまにも登山道に倒れ掛かりそうな倒木が道脇の灌木に引っかかっている。やがて緩やかな上りになる。
先頭をmsさんが務め、チーフ・リーダーのmrさんはそのあとにつづく。30分ほどで、明るく開けた「大前」につく。ここで皆さん、上に着ていたものを一枚脱ぐ。私もアンダーウェア一枚になる。家が何軒かある。いま人が住んでいるのかどうかはわからない。畑はあるが、アスファルト舗装された林道の先は草に覆われて行き止まりのように見える。その少し先に「←大前山・破風山(近道)・天狗山・破風山→」の標識のある分岐があった。天狗山の方へ辿る。この辺りのスギ林はよく手入れされているらしく、ほぼ間伐期が終わったようだ。たぶん植えてから30年か40年は経っているのだろう。これから年数を経た後は、ほとんど手入れが要らないと、林業に携わる人から聞いたことがある。陽ざしが入るようになった。
祠の置かれた天狗山らしきところを通過するが、山名の標識はない。スギの林は終わり、アカマツとツツジやアセビの灌木になり、落葉樹が稜線をつくる。今日の破風山登降の標高差は400mほどしかない。私がそういうと、CLのmrさんは「でも、上ったり下りたりが、結構あるんです」と言っていたが、なるほど急な下りが出てくる。樹木越しに近隣の山の稜線がくっきりと見える。湿度が低いのかもしれない。クサリのある岩場にかかる。見上げる目の先の木の葉が色づいている。そうだ、秋だと、はじめてのように気づく。上からの陽ざしに透かして見る紅葉は、ひときわきれいだ。
南側の秩父盆地が霞むように下の方にみえる。大きな石組の上に地蔵尊が祀られ、注連縄が張られている。大前山653m。えっと思った。皆野アルプスの主峰・破風山627mよりも、こちらの方が標高が高い。でも、高い方を採らずに低い方を主峰のように扱うのは、なぜか。「岩木山は高いがゆえに尊いにあらず」といったのは、太宰治であったか。もっとも彼はそのあとにつづけて、「周りに高い山がないから」と評して、その岩木山の評判の良さを相対化したのであったか。ここまで約1時間。ちょっと早いように思う。
またクサリ場がある。あるいは木の根を踏んで登る急峻な上りがある。尾根は細い。クサリを張った滑りそうな下りもある。通過するごとにmrさんは悲鳴のような声をあげて、自分を励ましている。この声が聞こえている間は、この人は大丈夫だ。先頭を行くmsさんに「まだ先に、こんなところあるの?」と訊ねている。ああこの人は、先々を心配して生きてきた人なんだと思う。今の今に集中して、我を忘れるようにすればいいのに、先の見通しをつけないと今を踏み出せないのかもしれない。損な性格だなあと、ノー天気なわが身を肯定する。「武蔵展望台」と名づけられたところから、やはり秩父の街の上に霞がかかって、逆光を受けてみえる。
「これだ! これが如金峰よ」という声に顔をあげてみると、樹間に十メートルほどの岩が屹立している。看板があり「如金は金精大明神で生生化育の神」とある。生生化育ってなに? 「自然が万物を育て、宇宙の運行を営むこと」と辞書にはあるから、全宇宙の根源・基点のような存在とみている。思えば私たちは、金精大明神とか生生化育ってことを少しも考えずに、ただひたすら科学的論理的に物事を考えることが合理的って思って生きているなあと、わが身を振り返る。もっともその看板には「霊験ある疣神様として」信仰されたとあるが、はて、生生化育ってことと疣神様ってことは、どう関連するんだろう。「?」を抱え、ハハハと笑いながら通り過ぎた。
少し行くと大きな「富士山浅間大神」と彫り込んだ石碑があった。このようにこの山は、いろいろな信仰の山の神として大事にされてきた山なのかもしれない。これを里山というかどうかは疑問だが、皆野町の(観光課ばかりではなかろう)この山の扱いは、たしかに一大事であった。いつしか稜線はスギの林に変わる。この辺りのスギはもはや伐採に入ってもいいくらいに育っている。「札立峠」とあり、傍らにその命名由来の説明看板が立っている。秩父巡礼の峠道としてつかわれていたようだ。
そこから15分ほどで破風山に着いた。祠は山頂部の片隅に身を縮めるようにしておかれている。出発してから1時間45分。「コースタイムより早いわね。でも、ここでお昼にしましょ」とmrさんは元気な声をあげている。単独行の若い男の人が、ディレクターズチェアに座って、秩父盆地の方を眺めている。南からの陽ざしが山頂部いっぱいにあたっている。「あれが両神山よ」とmrさんが誰かに話している。「武甲山はどこ?」と私に訊く。わからない。秩父の街があそこなんだから、この方向だと思うが、まぶしくてコレと決められない。だがお昼を食べていて、すぐに分かった。山の中腹から砂煙が上がり、武甲山のちょうど中ほどの削り取ったところが台地のように、大きな山体から切り分けられて浮かび上がったのだ。「あれ、あれ、あれだよ」と指さす。皆さんにもよく見えたようであった。いかにも秩父の守り神のように、陽の光を背に受けて聳えている。赤茶色に色づいた紅葉が眼下にみえる。
ゆっくり35分もお昼に時間をとり、先へ進む。破風山のすぐ先を降りたところに東屋があり、先ほど私たちの後ろを通っていった若い女の方二人が食事をしている。単独行の男の人もいた。そこから猿岩の方へ向かう。前を歩いていたmrさんたちが立ち止まって何かを指さしている。近づいてみると、ツツジの花が開いている。このところの暖かさと一転した陽気に季節を間違えたのだろう。ysdさんが立ち止まって見ている。紅葉が緑の葉の間に輝く。今度は白い花ビラの中央に黄色の蕊をたくさんつけた花が咲いている。サザンカみたいだが、お茶の花だそうだ。稜線のルートに立ちふさがるように幹を延ばしていたのは、フジヅル。周りの大木にまとわりつき、あわや絞め殺しの木と言われるようにくねって絡みついていた。
「これより山靴のみち」と手書きの小さい標識が、何カ所かに立てられている。「H.8・4」と支柱に書かれたのをみると、もう20年以上も昔だ。「山靴」って何だ? 「男体拝」という標識がある。観光課のつくった地図には「男体拝おがみ」と仮名が降ってあった。それをみたmrさんは「どんな男体?」と興味をそそられたようであったが、この地点に立つと、意味するところがすぐに分かる。日光の男体山が見える地点ということであった。だが残念ながら、男体山は、上の方が雲の中。それと争った赤城山は、すっくと素敵な姿を見せている。
急な斜面にロープが張ってある。msさんはさかさかと降りる。mrさんがおっかなびっくりで下る。ysdさんはロープに頼らず、岩をつかみ、木の幹に手をかけて、足場を確かめながら下る。なかなか達者なお年寄りたち。おっと年寄りは、私一人かな。細い稜線や岩場、急峻な下りのことを、「山靴のみち」と記したのかもしれないと思う。途中で、山頂近くの東屋でお昼を食べていた若い女性の二人連れが追いつき、追い越していった。「やっぱり、若いっていいわね」とmrさんが昔に戻りたそうに声に出した。
13時4分、平地に降りた。お昼タイムをふくめて、ここまで約4時間の行程。駅まではあと25分。なかなか素敵な散歩道ではあるが、地元の人らしき姿を見かけない。先週と先々週の桐生の吾妻山では、水ももたずに上り下りしてくる地元の方々がずいぶんいた。ああ、里山ってこういう山なんだと思っていたのに、今日のこの破風山はどうだ。地元人らしき姿はなく、ハイキング客もさして多いとは言えず、にもかかわらず、地図は豪勢なつくりだし、案内の説明板も(古いとはいえ)念がいっている。ルートもしっかりしているし、なにより「皆野アルプス」と名づけているのが、誇らしさの象徴だ。なのに、この静けさはなんだ。地元の人は山なんか上らないのか? 不思議な里山って感触が、湧いて残った。
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