2020年4月11日土曜日
ゆめまぼろしの「人生百年時代」
7年続いたSeminarをまとめた「うちらぁの人生 わいらぁの時代」のデザイン編集が(たぶん)続いている。その「あとがき」の原稿は3月初旬に送っていたのだが、その後の「事態の変化」もあって、書き換えねばならなくなった。いや、書き換えるよりは、追加して書き加えた方が「状況」がよくわかるのではないかと考え、手直しをした。
その結果、以下のようになった。
* * *
2020年5月23日の「玉野高校36年卒・喜寿記念同窓会」に間に合わせようとドライブがかかり、何とか日の目を見ることができました。
思えば、ちょうど60年前の私たちは、高校3年生。1960年の5月23日といえば、東京は安保反対のデモが吹き荒れ、5月15日には樺美智子さんが国会議事堂正門で圧死した出来事の直後でした。事件を知った父親が「学生がバカなことをするからだ」といったのに反発した私は、喧嘩をして家を飛び出し、友人の古家野泰也君宅に泊めてもらったことを思い出します。
暦がひと回りまわったと考えると、高校の同窓生がSeminarを開いて喋々していることも、歳相応の奇縁の味ある振る舞いということができます。その奇縁の引き金になってくれたのが、新橋に店を構えて、私たち同窓生の行き交う十字路のコンシュルジュを務めてきた濵田守・貴美子さん夫妻でした。長年のご厚誼に厚く感謝するとともに、よくぞ「36会」を作り、Seminarというフォルムを与えて続けてくれたと思わないではいられません。
「36会掲示板」の採取しおいた記事も、ずいぶんな分量の大半は割愛するほかありませんでした。ハマダ君の目が元気であったころや、キミコさんが仏道修行で頑張っていたころは、やりとりが面白い味わいを醸し出していました。途中から割り込んでくれた、ひさとみさんの気遣いに満ちた「わからない/ムツカシイ」攻撃も、ハマダ君や私の投稿意欲を刺激していました。
Seminarになってからは、13~15人の常連参加者の繰り出す言葉が場を奪ってしまい、それはそれでその方たちの60年の歩みと、それへ向けた関心を湛えていて、なかなか興味深く耳を傾けることができました。回を重ねるにつれ徐々に講師の話に集中するようになり、ときには講師の話を聞きながらその「テーマ」に導かれて自分の内心に問いかけるように考えにふける様子も見られました。
あひみてののちのこころにくらぶれば
むかしはものをおもはざりけり
という歌を想い起しました。歌に込められた若いころの意味合いと違い、後期高齢者になったからこそ感じるSeminarの効用がこもっているように思います。
隔月にSeminarで顔を合わせ、会食もふくめてお喋りに興じるときをもったことが、なにより「抗齢」であったと言えます。参加くださり、講師を務めてくださった方々に、何をおいても感謝申し上げます。
ことに、名古屋から足を運んでSeminarの講師ばかりか、木曽川の鵜飼いやお伊勢参りの世話を焼いてくださった大賀吉弘さん、何度かSeminarに参加され、講師も務め、また山中温泉の旅を取り仕切って下さった角南弥千代さん、草津温泉での歌う講師を、遠路岡山から参加してすすめてくださった黒岩信子さん、牛乳の話を面白可笑しく聞かせてくれた玉野在住の正路直人さんに、あらためて御礼申し上げます。
本文中にも記しましたが、このSeminarは、濵田守、佐藤和恵、三宅健作と私・藤田-k-敏明の4人が発起人となって、スタートしました。もしこの中の誰かにコトがあったときには、その時点でSeminarは終了します。「人生百年」の時代だそうです。さあ、どこまで頑張れるか。それもまた、愉しみです。2020年3月2日
と記して、出版社に原稿を送りましたが、いやはやその後に、こんなオチがつくことになるとは思いもよりませんでした。
4月8日に、岡山より「玉野高校36年3月卒業生全体同窓会」延期のはがきが届きました。その前日には、新型コロナにまつわる「非常事態宣言」が政府より出され、首都圏もこれへの対処でもちきりです。
本文中にも記しましたが、2011年3月11日の東日本大震災が動機となって、36会の私たちの話題が大真面目になり、私たちの生きてきた時代を振り返ってみるセッションに結びつきました。古稀になってからはじめたSeminarも「一度も欠けることなく隔月に開催されて、ここまで7年間つづき、この3月で合計43回を迎えることとなりました」(「はじめに」)と書いていました。全員77歳、喜寿を超えました。
ところがそこへ、文字通り降ってわいた「新型コロナウィルス禍」です。3月Seminarの開催も「様子を見」ていたのですが、「7月に延期」を決定し、それでも5月23日の「全体同窓会」は開かれると考えて出版の準備は着々と進めていたのものが、この結果です。
なにか私たちの時代の「象徴的な事態」と思わないではいられません。
昭和17年から18年にかけて生まれた私たちは、敗戦までの過程も含めて、大震災以上の災厄に見舞われて人生のスタートを切りました。そうして暦は一巡り以上。いま後期高齢者から「末期高齢者」へ近づいているところで、再び大災厄です。まるで、その間に挟まった「うちらぁの人生 わいらぁの時代」が「夢幻のごとき異常な時代」でしたよと、天の声が聞こえてきているようです。
「人生百年の時代です。どこまで頑張れるか。それもまた愉しみです」などと暢気なことを言っている場合ではないかもしれません。もしコロナウィルスに感染しようものなら、果たして手当てを受けられるかどうかもわからない事態に直面しています。Seminarごときで浮かれていないで、もっと深く「人生」と「時代」を見つめ直しなさいよと啓示を受けているような気がします。
「全体同窓会」の延期を知らせるはがきに幹事は「なお、11月になっても、新型コロナウィルスの収束が見込めない場合は、再度の延期もお願いしたいと考えています」としたあとに「中止は考えておりません」と付け加え、必ず開催するという決意を記しています。それが「希望」ですね。
末期高齢者である私たちも、「くたばりません、またお会いするまでは」と心新たにして、頑張りましょう。
* * *
とまあ、こんな具合です。「あとがき」が遺書になるかもしれません。なんとも締まりのない「遺書」ですが、ま、ちゃらんぽらんをモットーにしてきた私たちです。よく体を表しているのかもしれませんね。
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