2020年4月15日水曜日
春うらら お昼を過ぎると 初夏の風
今日は風もなく穏やか。陽ざしに誘われて見沼田んぼの北の方がどうなっているか見に行った。東縁の用水路沿い。「みどりのヘルシーロード」と名がつけられ、利根大橋から川口に至る54kmもの遊歩道が設えられてある。見沼自然公園までは先月歩いているから、その先を行けるところまで行ってみようというわけ。といってもぶらぶら歩いて見沼自然公園までの往復で4時間以上使ったから、さっさと歩いても、2時間はかかる。そこから片道2時間も進むと、片道4時間とあってはちょっと帰ってくるのがしんどくなる。そういうわけで、見沼自然公園までは車で行き、そこの駐車場から北へと歩き始めた。
見沼自然公園の駐車場にはずいぶんたくさんの車が止められている。車の外にタープを張って、椅子と机を出して、電話で何やら大声でやりとりしている人もいる。仕事をしているのかもしれない。テレワークってわけだろう。なかなかオシャレだな。子ども連れで散歩をする人も多い。でも、人が多いからといって、広い自然公園のなかは閑散としている気配だ。コロナ禍をさけて屋外で過ごすには、いいところだ。
三脚とスコープを抱えた人が池の方へ向かっている。なにか夏の鳥が来ているかもしれない。そう思って、公園のなかを一巡りする。池にいたヨシガモはもう旅だったようだ。ヒドリガモとコガモはまだ、腰を据えている。留鳥になろうか、カルガモやオオバンは相変わらず、のんびりとしている。
大きな池なのに、大きなコイが何尾も浅い岸辺に寄ってきて回遊し、ときどき水を跳ね上げている。
ヒヨドリやムクドリはいつものように鳴きたて、シジュウカラがかしましい。メジロの声が聞こえるとカミサンは言うが、姿は見えない。そう言えば、緑の葉が大きく、多くなって、これからは鳥の姿を見つけるのが難しくなる。ツグミが一声鳴いて、飛び立つ。
用水路の土手に乗り、北へ向かう。左側、つまり西側は2キロくらいの幅の見沼田んぼ。その中央に芝川が流れている。畑の土が反されて畝を切っている。ん? 溝を切って畝あ他家に降りてをつくるか。畝を切るとは言わないか。そう思って日本国語大辞典を引いてみたが、用例がない。溝の方には「切る」と使う用例があった。畝はつくるというのが、いいのかもしれない。3月には掘り返された畑にヒバリやタヒバリがたくさんいたが、姿は見えない。ヒバリの声も聞こえない。カシラダカももう北帰行となったか。カラスばかりが畑に降りて、群れている。
ソメイヨシノはすっかり花を落としているが、花芯は朱くのこり、緑の葉とともに枝木に色を添えている。ヤエザクラがむせ返るように花をつけ、重そうに青空に映える。これももう盛りは過ぎた。葉の香りが桜餅を思い出させておいしそうだ。いいねえ、この散歩道。
散歩をする人たちとすれ違う。挨拶はしないが、気持ちは通じているように感じる。不思議だなあ。どうしてなのかなあと、思う。自転車で通り過ぎる人も、運動しているのだろう。ジョギングの人もいる。犬の散歩をしている人、一輪車に乗って犬を連れたのは、中学生か。土手下の車道は、車も通るが、どれもこれもコロナ禍を避けて車でやってきている気配がする。
と、あるサクラの木を双眼鏡で覗いていたカミサンがちょっとこちらに来て見てごらんと手で合図する。傍に立って彼女の双眼鏡の除いている方をみると、木の枝に鳥が動いている。おおっ、白い顔がのぞく。白い腹がみえる。コムクドリだ。メスだよとカミサンがいう。その一本向こうのサクラにも何かいる。覗くと、シメが2羽サクラの朱い花芯を啄ばんでいる。コムクドリのオスがいるよとカミサンが囁く。サクラの木の葉が揺らぐ。赤く色づいた首と黒っぽい羽根と横腹のほんのりとした朱が見える。やはりシメ同様に、サクラの花芯を啄ばんでいるのか。おおっ、別のオスもいる。先ほどの木から2羽のメスが移ってきた。「ここなんていうところ?」とカミサンが聞く。鳥友に、コムクドリをみたよとメールを入れてやるのだという。「膝子と加田屋のあいだの東縁用水路」と、スマホの地図を見て「字」を応える。
先へすすむと大きな公園が見えてきた。七里総合公園と名称を記した看板がある。中央に浅い水が流れ、その両側に広い芝地が広がる。その向こうに川が流れているようだが、それはこの辺りから西へ大きく流れを変え、用水路から離れていく。その公園を離れると用水路は住宅地のなかへ入り込む。もうこれじゃあ見沼たんぼじゃないねといいながら、でも少し先まで行ってみる。もうあと少しで、さいたま市は終わるはず。今日は東北本線の見えるところまで行ってみようと思っていたが、こう住宅ばかりでは「緑のヘルシーロード」がうつろになる。しばらく行って、引き返すことにした。時間は11時50分。昔日の見沼田んぼも、人が押し寄せてきては、いつまでも開発禁止というわけにはいかなかったのであろう。大宮の七里という地は「さいたま市見沼区」。私の棲む「緑区」よりも[見沼区」の方が良かったと私などは思ったが、見沼区の人たちは「住宅の評価額が下がる」と不評だったという。見沼田んぼが廃れ始めたところに「見沼区」と名づけ、まだ健在のところで「緑区」などと変哲もない名前を付けて不評を買っている。変なの、と思う。
七里総合公園でお昼を食べる。東屋があり、椅子も置かれている。小さな子ども連れのママたちが、三々五々、遊具で遊ばせたり、自転車に乗せたり、手をつないでヨチヨチ歩きをたすけたりしている。ママたちは密集しないようにしているが、子どもたちは群れたがり、滑り台などではついつい団子になっている。幼い子は、観ているだけで面白い。道の段差や斜面が興味を引くのか、おむつの1、2歳児がママの手を振り切って行ったり来たりしている。
公園中央の水場では、小学生たちが水に入って遊んでいる。こちらは賑やか。とうとうと流れる水は、何処から来ているのだろう。加田屋川は、いずれ芝川と合流しているのだろうか。公園には桂の葉の甘い匂いが漂う。春うららと思って歩き始めたのに、お昼を過ぎると、もう初夏の気分か。
何種かの草花の名を教わったが、右から左に抜けてしまった。私の頭は春うららのまんまなのかもしれない。
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