昨日(8/9)の何かのTV番組で専門家(医師?)が新型コロナウィルスのワクチンについて「コロナウィルスに効くワクチンなんて、できませんよ」と喋っているのが耳に入った。
えっ、どういうこと?
これまでのワクチンできっちりと効いたのは天然痘のワクチンだけだともいう。
へえ、だとすると、子どもが小さいころに打っていた三種混合とか麻疹の予防接種っていうのは、なんだったのか。どうも百パーセント効くのはできないということのようだ。なんだそうなのか。うん、そうかもしれない。でもそうだよね。実効性が何パーセントかってことは、どのワクチン生産者も言わないし、医者も言わない。
考えてみるまでもないが、私はワクチンのことを何にも知らない。だから、この専門家が「コロナウィルスに効くワクチンなんて、できない」という言葉が、何を言っているのか理解できないのだ。
この番組の専門家の言葉は、番組の素人の言葉が「百パーセント効く」ような響きを湛えていたのに対して繰り出されたものかもしれない。あるいは、副作用もあり、ワクチンができたという言葉が持つ魔術的な力=全面解決というトーンを否定しただけのものかもしれない。
番組の中でのやりとりは、ロシアのワクチンがこの秋には出来上がるというのは信頼できないという話題に移る。ロシアは一切研究過程や論文を公表していない。たぶんにプーチン政権の世論操作というニュアンスだ。
その言葉が私の胸中で(そうだよなあ)と共感的に響くのは、プーチン政権が批判的なジャーナリストに対して行ってきた「裏社会的暴力の行使」を重ねて考えているからだ。かつてソビエト時代にプーチンがKGBに属して仕事をしていたことも、一つの要素に入っているかもしれない。
市井の民の情報受容の回路は、日ごろのさまざまな立ち居振る舞いのフィルターで濾過して、総合的に「認識」をする感性をなしているのだ。「ある情報」に関する「エビデンス」というとき、常日頃の信頼性が、その「情報」を受け容れる感性の土台になっている。加えて、政権やメディアや「エビデンス」を発表する当事者が、自らの利益を損なわないように配慮することも知っているから、「いいものができた」と誰かがいったからといって、すぐに飛びつくわけではない。だが藁にもすがりたい情況のときには、飛びつくかもしれないと思う。危ういところに立っている。
件のTVの専門家は、それに警告を発していたのかもしれない。
では日本政府が「確保した」とされる、イギリスやアメリカの期待されているワクチンはと、番組の関心は移ってゆく。単なる「予約」にすぎない、ウィルスに効き目のあるワクチンというのはできないのだと繰り返している。「罹患するかもしれない」ともいっている。
おっ、「罹患する」って?
まったくの素人である私などの受け止め方でいうと、ワクチンへの期待は、これを打てばコロナウィルスにかからないと思っている。もちろん全面解決するとは思っていない。効き目が2カ月しか持たないという噂も聞いている。今は世界中が手探り状態だと思うから、怪しいのから、ひょっとしたら効き目があるかもしれないというものまで、受け容れたいという心の準備はできている。その真贋を見分ける地点で、「ワクチンなどできない」と言われると、ええっ、この人何を言ってんのと思うのは、当然である。
副作用などもありうることではあろう。それ以上にウィルスを(ワクチンというかたちで)やわらかく取り入れて身を馴染ませようという処方なのではないか。ワクチンが効くというのは、罹患の体内侵入の速さを和らげて、身に抗体をつくることではないのか。「罹患する/しない」という言葉が、何を境として使われているのか。そう考えてみると、専門家と素人の用いる言葉の違いも、ひとつひとつ明らかにしながら、やり取りをしなければならないのかもしれない。
素人というのは、モノゴトを知らないと専門家は思っているかもしれない。だが素人の側からいうと、専門家は彼のやっている狭い世界に限定した「エビデンス」で仕事をしているにすぎない。世界の断片なのだ。素人こそがそれら断片を突き合わせ、「せかい」を総合的にとらえている。だからもし新型コロナウィルスに対する処方としてワクチンでもなんでも提示するのなら、断片ばかりを喋ってないで、総合して喋ってもらいたいのだ。もしそれができないのなら、どう限定した断片世界を舞台に喋っているのかを明らかにして、コメントを加えてもらいたいと思う。
自分の、モノゴトを知らないことを棚に上げてこういうふうにいうと、失礼かもしれない。だが私は、私自身がモノゴトを知らない素人とまず断っている。だがいくら知らないと言っても、最終的な判断と振る舞いは総合的に行わないわけにはいかないし、日々そうしている。そういう立場を、ぜひとも汲んで、メディアではコメントをしてもらいたいものだと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿