翌朝(8/18)、朝3時45分に目が覚め、ヨーグルトとパンとコーヒーの食事を済ませ、テントをたたむ。荷を車に積みこみ、トイレを済ませてキャンプ場を出発した。5時15分頃。武尊神社の奥の林道に駐車場があったから、そこまで車を入れた。これで往復1時間程度行程を節約できる。
5時35分歩き始める。昨年は手小屋沢分岐から避難小屋へ向かうルートではなく、まず剣ヶ峰山に向かうルートを上った。今年は分岐から手小屋沢避難沢小屋へ登るルートをとった。ほぼ十年前に私は歩いた道だ。
「ヨツバヒヨドリ・・・アサギマダラの・・・」
と、後で言葉が交わされている。
「これなあに・・・」
という声に振り替えると、先週棒の嶺へ行った折に見かけたのと同じ花だ。帰宅後写真をみせて師匠に教えてもらったが、その名前が浮かばない。帰宅してメモをみると「ハグロソウ」とある。カメラに収めた写真をみてもらうと、花のついた葉の背の高さを聞かれる。う~ん、これくらいかなというと、
「ジャコウソウかもしれない。調べてみて」
と、『山に咲く花』(山と渓谷社)をどんと置いた。しっかりした葉の脇から出ている二輪の花は、たしかにどちらも似たような形をしている。背の高さが違うそうだ。図鑑は、撮る角度が違うから違った花にみえるところもある。わからない。
紫の花をつけて藪の中に存在感を示す別の花をみせる。
「ソバナ・・・」
「えっ? ツリガネニンジンじゃないの?」
「ツリガネニンジンは一カ所から輪になるように花が出てるでしょ。みてみて」
と、やはり図鑑の方へ目を向ける。これでだいたい、花の名を聞くのを私はやめる。図鑑をみて自分で調べなさいというわけなのだが、門前の小僧は、そこまでの熱意がない。
高度が上がる。カラマツがいつしかシラカバに変わり、ブナ林になっている。大きな木がある。根本は何本もの木が大きくなってくっ付いて一つになり、上の方でまた分かれて、2本に分かれる。幹が途中で曲がって大きなこぶができているに見える。
ツルアジサイとかイワガラミ・・・と、聴いたことのある花の名が交わされる。
「もう、秋ね…」
とやはり後ろで言葉がする。オオカメノキの葉が色づき、袂にびっしりと赤い実がみのっている。そうかお盆を過ぎた。夏は山が遅く秋は山からという。凝縮した季節の移り変わりを体現して、山も忙しいのだと思いながら、歩一歩をあげていく。
「あっ、カメバヒキオコシ・・・花がついてる」
とstさんの声。カメの尻尾のような葉っぱだなと思いながら振り返りもしない。いつもは先頭を歩くkwrさんが今日は最後尾に着いた。私に先導役をやれという。コースタイムで歩くのは、なかなかムツカシイ。後ろの気配を気にしながらゆっくり上ってゆく。
手小屋沢小屋近くの稜線上の分岐に着いた。6時50分、下の分岐から64分。コースタイムは60分だからほぼコースタイムだ。皆さん元気そのもの。ここで気づいたことがあった。じつは十年前に一人で来たとき、ここまでのところに、沢に滑り落ちそうなトラバースが数メートル続いていた記憶があった。だから今回は、ザックに短いザイルを忍ばせてきていた。ところが沢沿いに落ちそうに上るようなところがなかった。ここへきて分かったのは、稜線上の分岐のところで、もう一つ沢から合流する踏み跡がついている。危ういと思っていたルートに代わって、新しいルートが開かれていたのだ。
稜線は樹林の中を歩く様な気分になるほど、いろんな木々が密生している。その途絶えたあたりから、剣ヶ峰山が姿を見せる。この角度からみると、武尊山の山頂からみるのは、急角度の上りを正面からみているとわかる。
ホツツジがある。はっきりミヤマホツツジとわかる花もあった。シウリザクラのような、穂のように伸びた花がたくさんついた木があった。なんだろう。あとでリョウブの花を間近に写した写真をみて、図鑑のそれと較べようとみてみたら、何と図鑑のリョウブの花はまるでシウリザクラのそれのように穂状になっているのに気づいた。私のカメラに残った花がリョウブだとみたのは、その幹がまさしくリョウブのそれだったからだ。どういうことか? 間近に見るのと、少し離れてまるごとみるのとでは、印象が全く違うってことだ。花だけを撮ったのではワカンナイネと昔言われたことを思い出した。
手小屋沢小屋が樹林の合間からチラリとみえる。ルート上に、そちらに下っていく標識が立つ。ルートは木の根を踏むようになる。カニコウモリの花が背を伸ばして楚々としている。
稜線を辿って1時間余で、クサリのついた岩場にぶつかる。小屋そばの分岐で追い越していった単独行の年寄りが上へ登っていく。木の根と岩が絡み合い、その間をクサリが垂れ下がって手がかり足掛かりをつくっている。断続的に、そうした岩場がつづく。30分ほどで、岩場を通過した。シャクナゲが来年向けの蕾をつけている。たくさんのリンドウがまだこれからという風情で、大きな蕾をみせている。
やがて山頂に着いた。8時57分。稜線の分岐から2時間。私のみたYAMAPの地図ではコースタイムが1時間半だったが、昭文社の地図では2時間だそうだから、やはりコースタイムで歩いているということなのだろう。出発してから3時間20分。無事登頂。皆さん、まだ元気。これでリベンジは成功した。雲がかかって、見晴らしはない。先行した単独行の年寄りが座っている。この方は「この上りと剣ヶ峰山を回る下りとでは、どちらがいいですかね」と、稜線上の分岐で尋ねてきた。剣ヶ峰山を経るルートは下りが難しいとガイドブックにあるそうだ。「私たちは剣ヶ峰山へまわります」とだけ応えて先行してもらった。
ここで皆さんは、食べ物を口にする。kwrさんはよく食べる。元気そのものだ。そのうち雲が取れてくる。前武尊山の姿が東南にみえる。その向こうに独特のごつごつした山頂を見せるのは燧岳ではないか。南へ目を転ずると、赤城山と奥日光の山々が重なっている。いちばん高いのは日光白根山、山頂が広く大きいのは男体山、皇海山は赤城山と重なってどれだかわからない。これから向かう剣ヶ峰山も稜線上にぐんと突き出ていて、見事だ。そこまでの稜線上のルートがまるで箱庭を覗くようにしっかりと刻まれている。
若い男二人連れが登ってくる。聞くと、武尊神社を6時ころ出たそうだ。いいペースだ。「倍以上の歳だから」とkwrさんがふると、若い人は32歳だという。なんだ、45歳も年上ではないか。いいねえ、若いってのは、と誰かが言う。
彼らをおいて私たちは出発した。9時10分。霞が掛かったり取れたりと、山の雲は忙しない。だがだんだん雲は取れて見晴らしが利くようになる。標高差200メートルくらいの下りは、平たい板状の石が重なるように置いてあって、歩きにくい。stさんは、これってわざわざどっかから持ってきておいたのだろうかという。まさか、なぜ? と聞くが、答えが見つかるわけではない。急斜面を下った後の稜線歩きは心地よい。後で花の名前を口にしてやりとりしているのは聞こえるが、私はゆっくりと前へ進む。
あとでkwmさんやysdさんにまとめてもらったら、コゴメグサ、ツルリンドウ、ダイモンジソウ、ツリガネニンジン、カニコウモリ・・・、実の部…オオカメノキ、ナナカマド、ゴゼンタチバナ、ツバメオモト、花の部…ヨツバシオガマ、ホツツジ、アキノキリンソウ、オトギリソウ、ホタルブクロ、ミヤマコゴメグサ、ウスユキソウの仲間と、ずいぶんにぎやかだった。
半ばまで来て振り返ると武尊山の山頂にまだ、二人の人影が立っているのがみえる。やがて彼らは動いてシルエットが見えなくなったから、彼らも出発したのであろう。歩行速度が速いってことは、山頂などでのんびりする時間がたっぷりあるってことでもある。いい日だもん、のんびりしたいわねと、言葉を交わす。こちらは年寄りだから、マイペースながら、のんびりとは歩いていない。
剣ヶ峰山への分岐に来る。10時10分、コースタイムどんぴしゃり。先行していた単独行の年寄りが剣ヶ峰山から降りてきて、挨拶を交わしてまた、先行した。剣ヶ峰山は昨年の登頂地点。今回は寄らない。ここからの下りが、岩と大木の根とがつくる段差を、脚を置くところを探り、手でつかむところを探して、岩下り、木下りといった厄介なところ。去年は、このルートを上って、かつ、下った。「よく下ったねえ」と言いながら、今回も下る。
「そういえば去年この辺でホシガラスをみたね」
と、想い起す。去年は6月。シャクナゲがきれいな頃だった。
kwrさんが立ち止まって西の方の山を眺めている。谷川岳の位置の倉沢屋町が沢に向かった崖が周囲の緑に包まれた山腹と違って、際立つ。とすると、谷川の手前の稜線は白毛門や朝日岳ですねと、やりとりがつづく。万太郎や平標山は重なり合って分別がつかない。下の方に藤原湖が広がる。首都圏の水瓶ってやつだ。
この下りは少し時間がかかった。それでも2時間ほどで、手小屋沢への分岐に出て、駐車場に着いたのは12時半少し前であった。出発してから6時間55分。休憩をふくめて、ほぼコースタイムで歩き通した。皆さんは、まだ元気。もう一度キャンプ場に戻り、トイレを使わせてもらってから、帰途に就いた。
高速道は順調。3時半ころに浦和駅に着き、stさんやysdさんを降ろし、3時50分頃家に着いた。起きてから、ほぼ12時間。よく頑張った。この程度は頑張れる、と思った。
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