2020年8月11日火曜日

発狂するしかない


《日本相撲協会は6日、東京・両国国技館で理事会を開き、外食時の居眠り写真がネット上に拡散した田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)をけん責の懲戒処分とした。協会よると、同親方は不要不急の外出自粛が求められていた7月17日、東京・台東区の飲食店で友人と会食》

 

 とTVが取り上げている。「面白おかしく取り上げている」のなら、それはそれでいいのだが、TVのコメントの方向は、「やっぱり自粛が求められていましたから」と、行儀よく知なさいねと舵を切る。おいおい、いつからTVは道徳家のメディアになっちゃったんだい? 


 場所中に親方というのがどれほどのプレッシャーを受けるのか知らないが、ま、いろいろあるであろう。不要不急というが、外で食事をするのや友人と会うのがそうであるかそうでないかは、誰が仕切るんだい? 要するに関係者に要望していることなんでしょ。それを逸脱するやつがいたって、しょうがないんじゃないか。褒めることではないが、「泥酔して寝ていた」っていうのなら、何がモンダイなの? 無様なカッコウをさらすなと言いたいのかもしれないが、相撲取りって、そんなに道徳的にエライのかい? モハンでなくちゃならないって、誰が、いつ、そういっているんだい? 

泥酔する親方もいるよ、キャバクラへ行く関取もいるよっていうのは、イケナイのかい? 相撲取りってそんなにリッパでなくてもいいんじゃないかな。そもそも、遊びじゃないか。いや昔は神事であったって「そもそも論」を繰り出す人もいるであろうが、今の日本相撲協会が宗教団体であるとは聞いたことがない。また、神に捧げる体技であるというのなら、その昔、裸踊りをして暗闇の世界に陽ざしを呼び寄せたことを想い起せば、人の世界の道徳的な振る舞いの模範になれなんて、ケッ、ってもんだね。


 いや今は、俗世界の話に戻そう。田子ノ浦親方の振る舞いに、どうして日本相撲協会が「処分」をもって乗り出すのか。これじゃあ、相撲取りってのは、日本相撲協会のまるごと抱え込まれたドレイみたいなものじゃないか。関取にせよ、親方にせよ、その個人のプライバシーってものがあるんじゃないか。日本相撲協会のやり方をみると、ひとたび相撲の世界に入ったら、興行主・相撲協会の雇われ人になってしまうのかい? 芸人みたいに、不倫をしたって叩かれるのもいれば、公然と二号さんを囲っていても、誰も後ろ指をささない大御所だっている。それって、何処で線引きしてんだよ。


 いやそもそも、家の外で泥酔したってのが公の処分の対象になるってのは、人のプライバシーという個人世界がなくなっちゃったってことだよね。SNSに乗って広がっちゃったんだよっていうんなら、勝手のそれを広げた連中へ「非難」の矛先をむければいい。プライバシーを勝手に「公開するなよ」って。日本相撲協会は、むしろそうやって自らの参加の連中を守ってやる組織じゃないのかい? 

「情報が公開されるんだから、その段階でプライバシーはないんだよ」って理屈が付けられないわけではない。となると、SNSだとかいうのも自ら「(情報を)公開」してんだから、それがどう「非難」を浴びたり、誹謗中傷されたりしても、全部受け容れるべきってことにはならないか。世の中に誹謗中傷して留飲を下げるやつがいるってことは、当たり前くらいあたりまえの話だ。人を謗ることに快感を覚える人がいるってことも、周りをみれば数多入ることもすぐわかる。TV番組に出るとか、名を売るエンタメに顔をさらすってのは、それ自体が「公」になるってことだとすると、それが口撃や攻撃を受けるのは、世の習い。そういう時代になっちゃってるんだね。とすると、誹謗中傷を受けたくなければ、そういう「公」に世界に顔を出さないようにするしかない。私は、それが、賢いとは思わないがね。


 悪いやつがいるのは歓迎することではないが、コロナウィルス同様、共存するしかない。できるだけ場を分けて立ち位置を定めて、出くわさないように暮らす。君子危うきに近寄らずってわけだ。

 だが、世の中が「情報社会」っていうか、なんでもかでも「公開」されてしまうと、「わたし」のプライバシーもへったくれもなくなる。「わたし」自体が、世間様にお見せするようなヒトではない。むしろ(道徳的にいえば)害毒に近いことが内面にふつふつと湧き起ってくることがある。お恥ずかしいが、それが事実だから、しょうがない。

 つまり「わたし」は、情報社会では発狂するしか道が残されていない。

 ある日突然、機関銃をぶっ放して無差別殺人に走るかもしれない。ま、この歳になって今、それほどのエネルギーが残っていないから、たぶんそういう振る舞いはしないであろうが、「わたし」が田子ノ浦親方なら、そんなことが起こるかもしれない、と思った。

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