一昨日(8/24)から一泊で瑞牆山へ行ってきた。野反湖方面へ行こうと考えていたのだが、生憎そちらの好天は1日しかもたない。kwrさんが「みずがきやま自然公園キャンプ場」がいいらしいと調べてくれた。しかもルートは、これまで上ったことのある瑞牆山荘からではなく、自然公園からぐるりと一回りする周回ルートという。北杜市が力を入れて開発し、平成8年頃から周回ルートを策定したらしい。
もう40年も前になるが、不動沢を俎上して瑞牆山に上ったことがあった。しかしそのときは、ザイルを背負っていたし、下山も岩場を懸垂下降するといういわば訓練のためであった。だから、不動沢を登るルートが一般登山路として開かれているというのは、初耳。彼の提案に乗ることにした。
浦和から車で約3時間。昔風に言うならば前夜泊の山行というわけだが、年寄りの登山としてはゆとりもあって好ましい。テント生活二度目で面白くなってきたkwさん夫妻と現地で合流することにした。瑞牆山荘で合流してキャンプサイトに向かうとしていたのだが、私のnaviが案内するルート上にあるはずの瑞牆山荘が、見当たらない。その頃突然の大雨。ワイパーを早回ししながらすすんでいたから、見過ごしたのだろうか。しぜん公園に着いてしまった。電話をすると、山荘に来ているという。はて一体、どうしたんだろう? そちらに行くよということで、キャンプサイトの草地広場で会うことになった。kwrさん手持ちの地図で見ると、中央高速の須玉ICからくる道が、北杜市に入ってから増冨鉱泉を通る道と川上村へ抜けるルートとに分岐する。その川上村へ抜けるルートがさらにまたもう一度分岐して「みずがきやましぜん公園」に入る。その方が、瑞牆山荘を通るよりも短いらしいと分かった。
北杜市の設営したしぜん公園キャンプ場。中央に管理棟を置き、ロッジやレストランやトイレや農産物などの販売所がもうけられているキャンプ場は、何カ所か水場も設けられ、獣除けの通電ワイアが取り囲む草地が広がる(ロッジやレストランはやっていなかった)。車を止めテントを張るのは自在にというわけ。その中央部の草地広場の外にも草地があって、そちらにも幾張りかテントを張っている。なによりも広い木陰にテントを張って北の方をみあげると、目に入る範囲全部に瑞牆山が広がっている。おりから午後2時の陽ざしを受けて標高2020メートルの峨峨たる岩山が明るく聳え立ち、麓を覆う緑がいかにも夏の日を精一杯吸い込んで輝いている。
kwさんたちはディレクターズチェアを出して腰を下ろし、私はブルーシートに座って、ビールを空け、ワインを嗜む。おつまみも用意して、一週間ぶりの言葉を交わしながら、このキャンプ場のいごこちのよさをほめそやす。まるでスイスのリゾート地に遊びに来たように気持ちがいい。
4時過ぎだったろうか、東御市にいるはずのswdさんから電話が入る。
「いまどこですか?」
「みずがきしぜん公園キャンプ場」
「そこのどこですか?」
「えっ? こっちへ来てるの?」
kwrさんが起ちあがり、陽ざしの中を入口の方へ向かう。
「ああ、みえた。みえました。今行きます」
なんと、swdさんと彼女の友人が車でやって来た。今日の山行のことは、山の会の人たちにも知らせていた。 swdさんたちは、今朝やってきて、金峰山に登り、9時間の行程をこなして、私たちに合流しようとやって来たという。
いやあ、いいね。こういう、合流の仕方って。swdさんたちは、立山や蓼科山を経めぐっていたらしい。彼女たちはそれぞれがご自分のテントを積み込んでいる。ソロキャンプってわけだ。
「コロナ時代の山歩きはソロキャンプね」
と、swdさんは力を入れる。立山の雷鳥沢でもソロキャンプをする女の人たちがずいぶんいたらしい。
「あなたは寿命が70って言っていなかったっけ。いつから元気になったの?」
と私が話を混ぜ返す。彼女は、母親も叔母も七十のときにすい臓がんになって身罷ったらしい。そこで七十までに日本百名山を登るのだと、私の山行に同行したこともある。彼女は、kwrさんの知り合いの医者を紹介されて診察してもらい、すい臓がんの気配はないとお墨付きをもらった。
「そうなのよね。次のステージがオープンしたの」
と、今年の70を目前にして開眼したと、意欲いっぱいにソロキャンプをすすめる。
草地広場のテント場には、大きなインディアンテントを張ったり、その脇にタープを張って食事に力を入れたり、薪を焚く鉄製コンロを借りて火を燃やし、調理している人たちもいる。あとから車でやってきて、テーブルや組み立て椅子を出して、いかにもキャンプ生活を楽しむ構えの一群もいる。ファミリーというよりは若い人のグループ十数組。子どもたちはすでに学校が始まっているのか、姿を見せていない。それでもテントの距離は、ポツンポツンと何をしているのかさえ気にならないほど閑散としている。近場に張ったswdさんたちの話し声も聞こえない。
翌朝(8/25)4時少し前に目が覚めた。kwテントは動き始めた。4時に目覚ましが鳴っているのは、swd組のようだ。空には雲がかかっているが、昨夜は雨が落ちなかった。涼しい。標高が1500メートルほどあるから、奥日光の湯元と同じだ。先週の上州穂高の宝台樹キャンプ場よりも3、400メートル高い。寝袋やテントマットは片づけるが、テントは下山してから車に積みこむことにする。一泊二日は張っておいていいからだ。「豆乳のそうめん」にお湯を入れて待つ間に、「安曇野の飲むヨーグルト」とコーヒーを頂戴する。どれもが、はらわたに素直に染み込む。今日はうまく登れそうな気がする。「後から行きます。気にしないでいってください」とswdさんたちは、朝食とおしゃべりを楽しんでいる。ルートも変えるかもしれない、とも。
ではではと出発。5時15分ころか。舗装林道が分かれる地点に、注意書きがあった。巻機山で見落としていたから注意して読む。
《みずがき林道から不動沢へ向かう橋が崩落しております。たいへん危険ですので、通行を控えていただきますようお願いいたします。山頂を目指す方は、瑞牆山荘登山口をご利用ください》
なんだ、これは。通行不能ってことか?
「昨日、受付でこのルートのことをきいたら、危ないって言ってなかったよ」とkwrさん。丁寧すぎる敬語といい、いかにもお役所の(言っておいたぜ)という魔よけのお札みたい。行こ行こ、徒歩をすすめた。舗装林道が終わり、「四駆じゃないとムツカシイ」とやはり受付の方にいわれたざれた道をすすむ。先週の武尊山の神社奥の林道よりは、走りやすいと思った。その林道終点には十分すぎるほどのスペースがあるから、車を止めるのには不都合はない。ここまで車を持ち込むと、行程が40分省略される。
でもすぐに沢には入らない。不動沢の左岸に沿って10メートルくらい高いところを詰めていき、沢に降りるところに、しっかりした橋がある。その先には、補修したのであろう、手すりの金具がまだ新しいクサリ。沢は大きな流木が大石の間にとどまり、水の量は多い。水量が多くなると沢床を歩けなくなる。そのために沢岸上の方に大木が橋代わりにおかれ、それがいかにも滑りやすく危うい。雨が多かった今年の6、7月は「通行禁止」もやむを得なかったか。
沢は瑞牆山の南西側にあるから朝陽はささない。針葉樹林の木間越しに岩山の一角が朝日を受けて明るく輝くのが見えた。5時48分。向こう岸へ渡るように倒れた大木が途中で折れている。これを渡るのはムツカシイなと思ったら、その脇に沢に降り立つ踏み跡があり、沢床を歩く。ちょっとしたルートファインディングだが、結構人が入っているらしく、踏み跡と赤テープをみていくと迷うことはない。沢に沿った橋にのしかかるように老木が倒れ掛かり、それを切りとってルートを歩けるようにしているのがわかる。倒木を乗っ越す処もある。
不動滝に出る。30メートルほどの大岩を水が流れ下る。表面をなめるように流れているところもある。6時38分。出発してから1時間13分。コースタイムは1時間35分だから、少し早いか。見上げると暗い樹林の上の青空に、朝日を受けながら飛ぶジェット機の飛行機雲が二筋の線を引いて横切る。そう言えばここは、新潟から関西方面への飛行ルートになっているのだろうか。キャンプ地にいても、何機もの飛行機雲をみた。明るいシラカバの林を抜けると傾斜が急になる。苔むした大岩の脇を踏み、岩の間から張り出した大木の根を踏みつけて上るようになる。朝の上りは気持ちがいいと、kwrさんは快調だ。途中で先頭を彼に代わる。岩の山だとわかる大岩が迫り出してきて、岩登りも始まる。シャクナゲが多くなる。kwmさんが「花の百名山でしたっけ?」と聞く。わからない。田中澄江がここに求めたとすればシャクナゲだが、シャクナゲの山ってもっと沢山ある。
途中の木に「ししくい坂 頑張って」と書いてある。上から降りてくる人にはよく見えるが、上ってくるものは振り返らないとわからない。どちらに「頑張って」と声をかけているのだろうか。富士見平の方から登る瑞牆山の岩登りはなかなか面白い醍醐味があった。それに比べたら、こちらは登りやすい傾斜もうまく配分されていて、息切れするようなところがない。
ところどころに岩の名前を記した青色のトタン板が張り付けてある。それももう色があせ、一部は折れて落ちてしまっている。小川山への分岐があった。こんなところから登る人もいるんだ。
「左王冠岩」と表示があるので振り返ると、木々を巻き付けた鋭鋒が向こうに見える。「弁天岩」「クーラー岩」と、なんにでも名前を付けている風情。青いトタン板はもう古びて昔の名残をとどめるという感じだ。
「***降りるのは違います。***山頂まで引き返してください」と何やら不思議な看板がある。***のところは、たぶん赤かオレンジで書いてあったのであろう。色あせてしまって消えてしまったようだ。そういうルートを間違える人がいたからこその掲示だったのだろう。ということは、山頂が間近ということか。あるいはこれを読む当事者は「もっと上に書いてよ」といったのだろうか。8時9分、山頂手前の分岐に出る。ここで間違えると、目的地に下れないというわけだ。
山頂着。8時15分。出発してからちょうど3時間。コースタイムで歩くのが、普通になった。5人ほどの先着者がいた。不動沢ルートは私たちが最初の登攀者。どうして? 沢沿いの踏み跡で蜘蛛の糸が何度か顔に張り付いたから、それ以前に登った人がいないと思っていた。お茶を沸かし、あるいはコーヒーを豆を挽いて淹れている人もいる。何十人が載っても大丈夫という山頂の広い大岩は陽ざしを受けて360度の見晴らしが利く。小川山、国師ヶ岳、金峰山、富士山も少し雲を被っているが、高さを誇って頭を突き出している。南の櫛形山は雲の上に山頂部がちょっと見えるだけだが、その右の方には、間ノ岳、北岳、鳳凰三山、仙丈岳、甲斐駒ヶ岳と南アルプスが勢ぞろい。
「その向こうのは木曽駒かい?」とkwrさんが訊く。中央アルプスの木曾駒ケ岳や空木岳が遠景に少し霞む。双眼鏡でもあれば、御嶽山や乗鞍岳も見えるかもよという。西をみればこれまたくっきりと、八ヶ岳が編笠山から蓼科山まで屏風のように見晴らせる。すぐ間近には屹立する巨岩を目にすることができる。その向こうの下界は、雲が張り出して雲海にみえる。北西の方には平地から雲が湧きたつ。気温が上がってきているのだ。
アラフォーの女性が八ヶ岳を背景にカメラのシャッターを切ってくれという。持つと軽い。一眼のミラーレスというやつだ。ほほう、こりゃあすごい。シャッター音まで軽快で上等に聞こえる。
次から次へと人が上がってくる。上にいた人も挨拶をして下山にかかる。いい天気に、kwrさんは寝そべってしまった。私たちはswdさんたちが来るかと40分も長居をして、下山にかかる。
9時少し前に出発。富士見平へと降る。こちらのルートは2014年10月15日に、山の会で歩いている。日帰り登山。最高齢のoktさんが桃太郎岩から上部の岩場をよじ登り、同じルートを「こんなところ登ったかなあ」と言いながら下ったことが思い出される。今日は、私たちが下山するころから、人が上がってくる。岩場ばで上り下りで場を譲る。上から降りてくる若い人たちにも順番を譲る。彼らはたちまち姿が見えなくなる。瑞牆山が人気の山だということを実感する。
やはり昨年来の台風や大雨のせいか、崩落が起きている。流れ落ちてきた倒木が谷間に無残な姿をさらす。鎖も新しくつけられていて、6年前よりも容易に下っている気がする。kwrさんもkwmさんも道を譲るとき以外は、休むことなく、順調に下った。1時間10分。コースタイムより10分多いが、交叉するときの待ち時間を考えると、まずまずの時間だ。
桃太郎岩からは若干の上りが入る。kwrさんは「こいつは草臥れる」と弱音を吐く。上から登って来たグループが「おおっ、年上がいるぞ。ベテランだ」とkwrさんをみて軽口をたたく。「違うよ、ヘテランだよ」と応じる。「ヘタッテルンダヨ」って通じたかな。
コースタイムより早く富士見平小屋に着く。2組が食事をしている。キャンパーだろうか。明るく、テーブルや椅子が設えられている。小屋に人気はなさそうだ。少し休んでおしゃべりをして、いよいよ最後の下りに入る。10時40分。10分足らずで「みずがき自然公園→」へのルートに入る。上部から水がざあざあと流れ落ちて、側溝へ消えていく。いかにも「みずがき」って感じだなこれは、と思う。広い林道。苔むしてもいる。緩やか、かつ、快適に下り、5分ほどでシャクナゲや樹林の中の道に入り、ここも、ふかふかと落ち葉が積もって歩きやすい。
kwmさんが紅葉を見つけた。モミジがそこだけ朱くなって際立つ。クリンソウの群落があったのであろう。終わった花が実になりかけている。道の両側はう~んと苔むしていて、まるで築庭された箱庭を散歩しているようにみえる。天鳥川を越える木の橋を渡ると「←草地広場・草地広場→」と反対側に行きかねない標識があって、どっちだろうと戸惑う。いや、左だよ当然、と左へ道をとる。下に道路が見えるよというので、そちらに降りる。まだ少し、キャンプ地には距離がある。照りつける陽ざしは11時半過ぎ。まもなく真昼に近い。日陰を辿って歩くようにするが、道路沿いにはそれほどの樹木がない。ならば、そちらの草地に入ろうと踏み込むと、そこはテント場すぐそばの草地であった。
11時45分。出発してから6時間半。山頂の40分を除くと、5時間50分。コースタイム通りに歩いたようになる。歩くコースタイムの面目躍如ってところだね。
swdさんたちの車はなかった。登らないで、帰ったのかもしれない。ま、それもいい。ソロキャンプが、コロナ時代の山歩きだとすると、現地集合、現地解散の集合方式で、交通手段はそれぞれに工夫工面する。そういう時代になったのかもしれない。
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