2020年8月13日木曜日

些細なことに引っかかる

 今朝(8/13)の朝日新聞の「天声人語」を読んでいて、ひとつ、ひっかかった。


《▼先日、全国知事会は帰省を控えるよう呼びかけた。ところが担当大臣は、「一律の自粛要請はしない」と逆を言う。これではだれもが迷うばかりである▼……》


 どうして「迷う」の? 全国知事会は、知事の立場で考えている。政府は政府の立場で考えている。それが一致しないからと言って、非難することはない。むしろ、その違いがどういう立ち位置の違いから生じているかをモンダイにするなら、わかる。「だれもが迷うばかり」という「だれも」って誰のこと? どうして迷うの?

 天声人語氏は、国民は知事や政府のいうことと同じ立ち位置に立てと言っているんだろうか。彼らが、国民のお盆の過ごし方について、モデルを提示し、国民はそれを受けて自分の行動の決定をするのが当然と考えているのだろう。でも、そうかい?

 

 国民は中央政府や地方政府に頼りっきりということが前提になっている。ほんとかい? それとも、そういう社会が、このメディアの(当然とする)前提なのだろうか。むしろ朝日新聞などは、個人の自律を(当然の)前提として、記事を書いているのではないか。にもかかわらず、このように平然と、国民が政府に頼りっきりということを当然としてしまう「愚」を、天声人語氏は犯している。


 些細なことに引っかかっていると思うかもしれない。だが、この些細なことが、メディアや政府や地方自治のスタイルに影響しているのだ。メディアは、全国一律の処方箋が出せない状況であることを知らないわけではないだろう。

 むしろ、全国一律の処方箋が出せないことを前提に、中央政府は地方各政府に権限と財源を移譲する法律を、早く制定すべきなのだ。中央と地方の立ち位置を早くから定めて地方分権を実現しようという話は、もう、20年も前から湧き起ってきていた。その推進が、コロナウィルスという急場になって迫られているのだから、準備できていないわけではあるまい。たぶん今の中央政府には、その発想がないのだ。知事会に、ないわけではないが、何しろ財政的な首根っこを中央政府に抑えられているから、言いたいことが言えない。ひたすら、「お願いする」姿勢を保つ以外になす術がないのだ。

 

 今朝は(炎暑の中)朝から出かけていた。帰ってくるときには、突然の大雨と雷で、浦和地区を走るのはたいへんであった。ハンドルを取りながら、暑い日の夕立はあたりまえなのに、どうして傘を持って出なかったろうとうかつさを悔やんだ。そんなことと同じかもしれない。身体はいつも、身に染みていることを当然として反応するのだ。天声人語氏も、案外、日ごろはそういう目をもって国民をみているのかもしれない。

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