荻原浩『二千七百の夏と冬(上)(下)』(双葉社、2014年)を読む。先日キャンプ場にテントを張ってワインを友に読みはじめたのが、この(上)巻。関東北部のダム建設地で発掘された二体の人骨が、取材記者の関心を介在させて、作家の胸中で動き始める。
2700年前と推定される時代が、縄文末期であり、稲作も発生していたと言われる、後付けでいうならば弥生初期でもあるころの、関東地方の山間と谷間を舞台に、二体の人骨がどうして、このような恰好で発掘されるに至ったか。逆にいうと、どういう情況が2700年前のこの二人に起こったのかに思いを巡らせ、その時の暮らし方、集落や集団の関係の在り様、その接触点での悶着の片づけ方、それへの違和感がどう起ったか、どうか。
なにがしかの証拠(エビデンス)に基づいて仮説を立てはするが、物語り化するのは慎むというのが考古学者の好ましい態度。それを入口にして、新聞記者は現在地点からのモノゴトの価値を加味して推量を重ね、断片として報道する。
その記事を読む者の立場はどうであろうか。
そうか、あのダム建設地のあの場所に堆積していた年月の積み重なりへ、わが想いを誘っているのが、この二体の人骨なのかと考えるのが、いわばもっとも深い受けとめ方といえようか。そう考えて新聞記事の断片を組み込み、あたかも2700年の時空を一挙に飛び越えて、思いを馳せる。それを引き受けたのが、荻原浩という作家であったと、読み終わって感じている。二体の人骨に対する最も好ましい想像力の置き方である。
私たちの現在の暮らしがどう築かれてきたかを考えるのを、具体的に目に見える形で受け継いでいると思える最古の形は伊勢神宮の神官たちの振る舞いと、以前にも記したことがある。だがその初発の、稲作が始まるところとそれ以前との、いわば灰色の何百年間の人の暮らしは、現代の私の暮らしからみると文字通り考古学的な時代としてかっちりと分け隔てられ、原初の時代と謂う化石化した時代区分に収められて動いていない。
荻原浩はそれを、目前に据え、人物を起ち上げ、その集落の様子を日々の振る舞いを取り混ぜて、動態的にイメージする。すると、森や山や谷や木々を舞台に生きている動物たちとヒトたちの振る舞い、ときに獲物を追う縄文人というだけでなく獲物として追われる立場に立つヒトの身のこなしに、地形をみて天候を読み、木々や動物たちの得手不得手を読み取って対処する知恵が浮かび上がる。知恵が知恵としてだけでなく、人と人との間のかかわりによって作動したり隠匿されたりするという所業もまた、今の時代と変わらず繰り出されただろうことも組み込まれる。
ちょうど山間のキャンプ場のテントに身をおき、木陰に読むのにはうってつけの物語であった。ましてその翌日の山が、「幸運頼りの限界」を知らしめたスリリングな山行になったことも相俟って、荻原浩の叙述が、わがコトのように沁みこんでくる。
と同時に、ほんとうに遠くへ来たものだと、わが身の手足の延長が、まことに便利至極、力を発揮している幸運の極みと感嘆せざるを得ない。
読みながら文字通り2700年の時空を飛び越えて、この小説の主人公に共感を覚えながら、しかしどこかで、時空を飛び越えているわけではなく、荻原浩と時代の感覚を共有しているにすぎないことも、承知している。別にそこまで事細かく腑分けしなくてもいいではないかという声と、しかし、そうした違いの感触を忘れてしまっては、単なる夢想の世界に遊ぶだけに終わるよという声を、共に聞いていることを意識しているのでした。
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