2020年8月8日土曜日

手詰まりの米中関係か

「東アジア共同体評議会/The Council on East Asian Community」のメールマガジン(2020-07-30)を見ていたら、「米軍による南シナ海人工島爆破は合法」という表題のエッセイが目に止まりました。

 えっ、そんな事件があったの? と目を疑ったのです。

 書き手は倉西雅子(政治学者)。アメリカのポンペオ国務長官が行った中国に対する痛烈な批判演説に触れて、「南シナ海域に中国が建設した人工島に対する米軍による爆破も取沙汰されています」とつづけていました。いわゆる専門家筋の想定するありうる事態ということだとわかりました。

 

 中国が主張する南シナ海の領有権については、2016年に常設仲裁裁判所が法的根拠がないと判決を下しています。それに対して中国は知らぬ顔の半兵衛を決め込み、かつて唐の時代から支配領域であったことを盾に実効支配を既成事実化するべく、人工島の建設・拡充、軍事拠点化を次々と進めてきました。それと同時に、東シナ海での尖閣諸島への関与を強め、これはこれで南シナ海の領有権主張と並ぶ日本(および米国)に対する牽制と考えて良いようでした。

 東シナ海では、経済的な関係を背景にしてアセアン諸国の口を封じてきましたが、近年、それら諸国が経済的に力を蓄えてきたこともあってか、ベトナムばかりかフィリピンもマレーシアもインドネシアさえも東シナ海での中国支配の懸念を強め、それに加えて、オーストラリアが強固な態度を鮮明にして中国批判をするようになりました。「自由航行作戦」と称するアメリカ艦艇の通行も、緊張を高めてきました。

 

 倉西雅子は、東シナ海の中国の領有権獲得が、原子力潜水艦の太平洋への自由展開の足場になることを前提に、オーストラリアの過敏な反応を根拠づけ、2016年の常設仲裁裁判所の判決が「強制執行の手続きがない」ことをあげて、中国の無視に対してなす術をもたない国際関係の現状を指摘して、次のように現状を規定しています。


《今日、南シナ海問題をめぐり米中間の緊張が極限まで高まるに至ったのも、2016年における常設仲裁裁判所の判決時にあって、オバマ前大統領、並びに、国際社会が何らの制裁的な措置も採らなかったからなのでしょう……判決後の自由主義国の融和的な対応は、今般の中国の拡張主義を誘引した‘第二のミュンヘンの融和’であったのかもしれません》


 ナチスの拡張政策を許し、結果的には第二次大戦に向かって行った歴史的経験を思い出させようとしています。そうして、たぶんに期待を込めて、米軍の実力行使に触れて、標題のようなエッセイをものしているのです。


《今般、アメリカが軍事力を行使し、判決の強制執行行為として南シナ海一帯から中国を追い出したとしても、それは、国際法上に根拠を有する行為と見なされると筆者は考えております。常設仲裁裁判所の判決の執行と解釈すれば、米軍が中国が建設した人工島、即ち、軍事基地を破壊したとしても、その行為の違法性が問われることはないということです》

 

 世界の警察官としてのアメリカの軍事力に期待して強い態度を肯定しているのですが、それは、中国との全面的な戦争(の可能性)を前提にしなければ、なかなか打ち出すことのできない戦術といえます。その点を倉西雅子は、アメリカの軍事力行使の「正当性」においています。つまり常設仲裁裁判所の判決があるという、国際法的な「規範的正当性」です。

 ところが「国際法的規範の正当性」という、第二次大戦後に国際関係がつくって来た理念は、いまや風前の灯火です。その灯火を消すような動きをしてきたのは、ほかならぬアメリカのトランプ政権。

 就任以来、国際法的に取り決めた諸種の工程をつぎつぎと離脱し、「#ミー・ファースト」を唱えてきていますから、いまさら「国際法的規範の正当性」の皮を被ろうとしても、またご自分の選挙目当てなんでしょと一蹴されるに違いありません。国際法ではありませんが、国際世論を味方につけられるかどうかは、やってみなければわからないキワモノになります。

 じつは「#ミー・ファースト」のトランプさんが推進してきた、国際的な(不都合な)取り決めをことごとく反故にしてしまいたいのは、中国の主張でもあります。中国もご都合主義的に、あるときは戦後国際秩序の既得権に乗っかり、あるときは(中進国や途上国の)欧米強国がつくりあげた既得権益を覆して国際的な新しい秩序をつくると主張する。ときに大国として振る舞い、ときに先進国ではないと身を隠して、ダブルスタンダードでお好みのままに振る舞っています。その総合的な戦略のひとつが、強いものの主張が国際法秩序をつくるという、剥き出しの力の論理です。軍事力の強化に力を入れるのは、国内的な権力闘争も絡むとは言われますが、その如実なアクションといえます。

 つまり、米中ともに、ご自分の都合を公然と優先するあまり、国際関係の行く末に定見を持っているように見えないのです。その両者が、「国際法的規範の正当性」を争うようにして戦端を開けば、全面戦争に行きつく恐れは十分あります。

 

  倉西雅子は、そうならない可能性を二つ上げています。

(1)中国の軍事的準備は最終段階にあるが、まだ出来上がっていない。つまりアメリカにとって、戦端を開くのなら、いまが最後のチャンスかもしれない。

(2)感染症、洪水など国内の災害が激甚化しつつある中国の現状。中国が人民解放軍を抑え、対米戦争を自制する国内向けの口実が充分にある、とみている。


 つまり、中国が南シナ海から「名誉ある撤退」をする状況が、現前にあるとみているのです。

 

‘第二のミュンヘンの融和’と歴史的な事象を思い浮かべると、ヒトラーと習近平を同列に並べてしまう愚を犯す恐れがあります。1930年代後半のドイツと現在の中国とを重ねてしまうことも賢明な判断とは思えません。何しろ中国は、グローバルな商取引によって(すでに)現在の地位を築いているのですから、ナチスドイツが周囲の先進各国から封じ込められていたのとは、状況が違います。

 中国がいま少し、戦後的な国際法的秩序を尊重して振る舞うようにすれば、国際社会(の世論)は、中国の経済的発展を歓迎するでしょうし、世界的な景気の調整にも、協力的に動くでしょう。だがそういう振る舞いをすると、香港のような社会状況が広がり、「アリの一穴」となって中国の共産党支配を着き崩す危険を招く惧れが、ありうる事態となります。

 となると、香港の強圧支配が示すように、目下の中国政府のとる方向は「名誉ある撤退」にはないように思えます。

 

 ナチスドイツと現在の中国の両者が似ているのは、圧倒的な独裁政権であることです。その政権を保持しているのが、国内的な謀略と暴力の支配の貫徹です。その論理のベースには、人民解放軍という共産党の暴力装置が通底しています。つまり、国内諸勢力の中での人民解放軍の優位性こそが、ナチスのSSの暴力と謀略同様、独裁政権を支えているという政治支配の現実です。「名誉ある撤退」を想定する倉西雅子は、「人民の暮らし」にこそ経世済民の通底する理念があると考えておられるに違いありません。だが、「人民の暮らし」を「共産党独裁」よりも優先することは、中国の憲法に(表現された前衛理論に)照らしても、明らかに論理矛盾です。

 そうした現実との論理矛盾は、これまでの中国では、天の命革まるかたちで出来することと考えられてきました。となると、かつてのソビエトのゴルバチョフのように自己解体の道を選択する余地を、中国共産党政府自身は何処に見つけるのでしょうか。その点を、ぜひとも倉西雅子さんにお聞きしたいと思いました。

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