山際寿一『「サル化」する人間社会』(集英社、2014年)を読んだ。ゴリラ研究者である著者が、ゴリラを鏡にして、わが身を映すように書き記したエッセイ。ゴリラの群れを観察する必須の通過点、ゴリラに受け容れられるようにコミュニケーションをとる方法が、餌付けならぬ「人づけ」。ゴリラの群れに身を置いて彼らの所作・振舞いをつぶさに観察することで、この群れがつくっている「かんけい」を解き明かしてゆく。京大の霊長類研究所が行ってきた方法を受け継いできている。その方法は、類人猿を研究するグローバル・スタンダードにもなって、研究を牽引している。
じつはこの本、同じ団地に住む方からのお奨めで、カミサンが手に取った。その流れで私は読んだ。この方が山際寿一のどこに感銘を受けて「面白かったので」とすすめてくれたのか、まだ聞いていないが、団地の茶話会などで話を交わすうちのカミサンの、何かに共感するところを感じているせいかもしれない。ひょっとすると、2年前、私と一緒に団地管理組合の理事を務めたことで、「団地コミュニティの社会学的考察」に通じる、私の何かを感じているかもしれない。そのそこはかとない「感触」は、ご近所さんとしてはありがたい存在だと、常々思っている。ぼんやりと感じているので、いいのだ。
『「サル化」する人間社会』の一番のポイントは、霊長類はアナログが本質ってことだ。人類に限らず、ゴリラもチンパンジーも、コミュニケーションというのは、じかに触れるもので交わされなくてはならないという一言に尽きる。
ゴリラは目をのぞき込むように見つめ合って、共感性を自らの内部に湧き立たせていく、という。(今の)人は直に目を合わすことを避ける。それは山際寿一によれば、たぶんに近代的な「サル化」した人間社会の、もたらしたものだという。ゴリラと違ってサルは目を合わすのを避ける。それは「ガンをつける」「がんをとばす」という喧嘩の作法に含まれる挑発行為。つまり、「かんけい」に優劣を持ち込み、その決着をつけるのが、その目のうごきだ。「目をのぞき込む」のは、優劣を含まない「かんけい」において、有効に作用するコミュニケーション手段だというわけである。
わかるだろうか。群れのボスゴリラに対しても、目をのぞき込むようにする子どもゴリラは、じつは優劣とかを感じていない。彼らの群れに、そのような「かんけい」がない、という。
これを知って私は、中動態という言葉を想いうかべた。原初の頃のことばには、じつは優劣や高低、勝敗という価値的な意味は含まれていなかった。それが時代がすすむにつれて、ひとの「かんけい」に価値的な善悪や良否が含まれてくるようになり、モノゴトを価値的に見るものの見方が伴ってくるようになった。
つまりヒトの文化は、ゴリラ時代から現代にいたるにつれて、つねに力関係を身にまとう「かんけい」に終始するようになり、いまやその出発点をかたちづくっていた「家族」ですら、解体して個々人単独の思いが先行するようになり、その結果、「サル化」していっていると山際寿一はみている。
デジタル化の時代に生きている人たちには、なかなかわかりにくいかもしれないが、ヒトとヒトとの「かんけい」は、間接的になってきた。電話もそう、ファクシミリもそう、電子メールもそうだし、インターネット社会というのも、文字通り間接的な「かんけい」である。こうすることで、上下関係や避けがたい優劣関係を、文句の付け所のない必然的なシステムと観念させている。それに適応しようとするヒトの習性が、ますます人間を変質させてきている。そう山際寿一は、みてとっている。
読み終わって以下のような「お礼状」を書いた。
***
面白い本を紹介してくださり、ありがとうございました。まずカミサンが読み、その後に私も読ませていただきました。近年の私の関心事と重なり、いかにもゴリラ研究者らしい山際寿一の軽妙な語り口に引き込まれました。
近年の私の関心事というのを「テーマ」にすると、次のようになりましょうか。
(1)「家族」「家庭」がどう変わって来たか。
(2)文化をどう受け継いできているか。
(3)人間とはなにか。「わたし」とは何か。
(4)「平成」という時代が浮き彫りにした戦後75年。
(1)と(2)の関心が進化生物学とかかわってきます。また、生命進化の現在である(3)は、戦中生まれ戦後育ちの私が、どう文化を受け継ぎ、どのように変遷してきたかを問うことに向かい、とどのつまり、デジタル時代の進展やAIの進化によって、時代と人間が大きく変わってきてしまったことから目が離せなくなっています。そうして、現下の新型コロナウィルス禍です。
振り返ってみると、私(たち)の生きてきた時代というのは「特異な時代だったのではないか」という感触です。その視点から山際寿一の『「サル化」する人間社会』を眺望すると、私の関心の原点を一望するような気分でした。
山際寿一のメッセージの要点を、私は次のように受け取り、好感を持っています。
「霊長類の起点は、共感性と共存性にある。その社会関係をつなぐコミュニケーションは、直に目をのぞき込み、見つめ合うようなアナログ的なものである」
あなたが山際寿一のどんなところを面白いと感じご興味をもたれたのか、ぜひ一度お聞きしたいと思います。ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿