「女心と秋の空」というと、差別表現だと非難されるかもしれないが、あれにはじつは、「女心」は男にはわからないという敬意が含まれている。「わかる」と言ってもらいたいのが女心だと先日読んだ脳科学研究を自称する女性の書いた本を読んだが、「ひと(他人)にはわからない」というのがもっとも敬うかたちの心もちだと、長年の「人間研究者」である私は、自信をもって言う。その「秋の空」が、文字通り長雨となって山歩きを阻害している。山の候補を四方八方のいくつかを挙げ、その方面が曇りか晴ならば行きましょうと、山の会の同行者に声をかける。そうして見つけた処へ足を運んだ。
富士五湖の一つ、西湖の北側に富士山と向き合うように峰を連ねる御坂山地。その一角にある毛無山、十二ガ岳に登ってきた。コースタイムは約7時間。日帰りの行程だが、こちらは年寄りを自覚し始めたから、1泊2日。前日(9/14)西湖湖畔キャンプ場にテントを張り、翌日(9/15)早朝から登ってお昼過ぎに下山、帰宅するという手筈。
お昼頃ゆっくり家を出るというのは、車の運転にとっても気楽である。西湖にはキャンプ場がずいぶんたくさんある。平日だが久しぶりの晴とあってか、そのどちらにも大勢のテントが張られ、草地や砂地や木陰に料理をしたり本を読んだり、お喋りをする姿が見える。湖畔キャンプ場の受付の方はこちらが登山目的と知ると、受付裏手の、湖と少し離れた樹林に囲まれた草地を「まだ誰も来ていない」と教えてくれた。落ちあうkw夫妻の車も着いて、そちらにテントを張る。彼らにとっては、3回目のテント生活である。
湖北側の毛無山への稜線と十二ガ岳の一角がみえている。毛無山から西へ向かって一ガ岳、二ガ岳・・・と十二の岩嶺が連なるので、この名がついたといわれる。その峰の凸凹が木々に覆われてなだらかな山容をみせる。富士山は雲の中だ。テントを張り、kw夫妻はテーブルと椅子を整え、これまでの3回同様に、ビールとワインを出して、お喋りをしながら夕食までの3時間ほどを過ごす。これがまた、山同様に至福の時になる。堪らない。
浜辺のキャンプ場は夜遅くまで賑やかであった。夜中に起きてトイレに行くときに見上げた空には、星が瞬いていた。朝3時ころか、ピーッピーピャイポイという切れのいい鋭い鳥の声が3回ほど響いて、眠りから引き出されそうになった。隣のテントの声が聞こえて時計を見ると4時2分。起きだしてシュラフをたたみ、山用の服に着替え、テント前のグランドシートの上に食材とガスコンロと水などを出して、外へ出る。雨は落ちなかったようだ。
5時過ぎ、私の車には荷を積み込み、kwさんの車と一緒に下山口へ向かう。目的地の住所をnaviに入れるが、「河口湖町西湖***」という住所が表示されない。googke-mapでみたときには、根場民宿の中央部に大きな駐車場があったはずなのに、集落にそんなものはない。狐に化かされたみたいと思いながら、ホテルの裏側に駐車場に置かせてもらった。そうしてテント場にもどり、kwrさんの畳み終えたテントや用具一式を積み込んで、車はそこに置いたまま山へと出発した。5時45分。
500メートルほど離れた文化洞トンネル東側の登山口から登り始める。道は人が入らないためか、草ぼうぼう、標識も朽ち果てて倒れそうになっている。急斜面を登る。地面は策や雨が落ちたかのようにしっとりと濡れている。湿度90%というのが実感できる。6時前だが、朝陽がアカマツの樹林を突き抜けて差し込む。1300m辺りは雲の中。上へ向かうとますます霧が濃くなる。
ヤマボウシが大きな丸い実をつけている。足元にはキバナノアキギリが黄色の花を霧のなかにみせる。シモバシラのような花が咲いている。ハクサンフウロが、背の高い草の間から身を迫り出している。
?キク科、?**ハグマ、、?ハギに似た花、?タツナミソウ、?アケボノソウ、トリカブトの山
7時19分。毛無山1500mの山頂に着く。出発して1時間半の、ほぼコースタイム。富士山も雲の中。上空の一部に青空が見える。マユミがたくさんの実をつけている。ほんの少し稜線を行くと「一ガ岳」の表示がある。「なんだ、こんな峰なら平気だね」とkwrさん。彼が見たTV番組ではタレントのソロ登山としてこのルートを登っていたが、岩があって大変な様子だったという。キク科の白い花が道筋を飾る。
「二ガ岳」「三ガ岳」と越えていく。だんだん岩場を上り下ることが多くなる。大岩を回ったりする。「七ガ岳」は小さなこぶのようなピーク。表示板も割れてテープで止めてある。その次の「八ガ岳」は大きな山体を登る。
「はちがたけ!」
と先頭を歩くkwrさんが声をあげる。その表示板をみて、
「やつがたけと呼んでくださいよ、ボクも」
と口にする。kwrさんは昨年から八ヶ岳の縦走を願っていたのに、去年は槍ヶ岳の縦走でくたびれ切ってダメ、今年はコロナウィルスのせいで、行けなくなってしまった。「ガ」と「ヶ」の違いはあるが、表示板と並んで記念写真を撮った。思わぬリベンジだ。
巨大な岩を回り込んですすむ。「九ガ岳」の表示がなかったが、たぶん、回り込んだ大岩がそれだったのだろう。「十ガ岳」への上りと下りは岩場であった。いよいよ岩の本番になる予告編のよう。「十一ガ岳」の先に、「キレット」と名づけられた大下りがあり、谷間に吊橋がかかる。最初の足場が突き立つように宙に浮いている。先頭のkwrさんが脚をかけると、足場が沈むとともに橋全体がぐらりと沈み揺らぐ。おおっ、と声をあげてバランスを取りながら、両サイドのロープをつかみ踏み板を辿る。十何メートルか下は渓になっている。行きつく先に道はない。岩が屹立し、ロープが垂れ下がっているから、そこを上るしかない。岩の先は上へと連なってみえない。kwmさんが吊橋を渡る。その頃にkwrさんは岩に取り付く。
この岩上りが標高差でいうと150メートルはあったのではなかろうか。この山全体が岩でできていると実感させる。
「こんな長い岩を登ったのは初めてだよ」
とkwrさんは溜息をつくように繰り返す。
こうして落ち着いた地面、山頂から100mというところに、西湖の中ほどの集落「桑留尾(くわるび)」に降りる分岐があった。ここから下れば1時間半。でも私たちは御坂山地の富士山を取り巻く外輪山のような山稜を辿ることにしている。トリカブトの群落がそちらこちらにあって、このあと歩いた鍵掛峠まで、絶えることなく咲き乱れていた。トリカブトの山だねとkwrさんはいう。
「山梨百名山」十二ガ岳山頂1686m、9時7分着。出発して3時間10分ほど。コースタイムより10分余計にかかっていることを、kwrさんは気にしている。眼下に西湖とその南側に小さな尾根を連ねる、紅陽台から足和田山への山嶺が珠海との間に立ちはだかる。富士山は、相変わらず雲の中に顔を隠している。
十二ガ岳から金山へ向かうところにも、岩場を下る長いロープが設えられている。ますます岩峰らしさが実感できるが、大部分がこんもりした木に覆われていて、歩いてみなければわからない。
十二ガ岳と同じ標高の金山に着く。コースタイム通り。広い稜線に方向指示のトタン板が木に張り付けてある。ここで御坂山地の主稜線に出たとわかる。少し北に「山梨百名山・節刀ガ岳」があるので、行ってくることにする。稜線は広く、よく踏まれている。山頂近くには岩を上ることもあるが、十二ガ岳を歩いてきた身にとっては、なんでもない。
節刀ガ岳1736m着、10時05分。ここでお昼にする。雲はかかり、青空も見えない。風があるというほどではないのに、汗ばんだ上体が冷える感じがする。一枚長袖シャツを着る。風向きが変わったのだろうか。20分足らずで、じゃあ行こうか、と起ちあがる。一息ついたせいか、kwrさんの脚は軽快である。鬼ガ岳への途中で、単独行の60年配とすれ違う。根場民宿から登って来たという。「今日初めて出逢った人ですよ」とkwrさんが言葉を交わしている。
11時5分、鬼ガ岳山頂。山頂名と標高を記した表示が木に取り付けてあるが、文字は薄れ、消えかけている。「山名表示板くらい、ちゃんとしてやるといいよな」と、kwrさんはだれにいうともなく口にする。じつはこちらの標高が、先ほどの節刀ガ岳より2メートル高い。にもかかわらず、向こうは山梨百名山になり、こちらは百名山から外されている。むろん山は高いから尊いわけではない、とは思う。十二ガ岳も山梨百名山だが、背は高くない。また、山梨には、高い山ならいくらでもあるわけだから、鬼ガ岳だけを取り上げて云々するつもりはないが、でもなぜだろうと思わせる。富士山は、相変わらず見えない。ここから根場民宿にじかに下るルートも地図にはある。トタン板の方向表示板は「雪頭ガ岳→」と根場民宿の方を指している。音だけを聴くと、節刀ガ岳と間違ってしまうなと思う。
御坂山地の稜線も、アップダウンは大きく、大岩が道を塞ぎ、回り込んだり岩場を下ったりする。12時4分、鍵掛峠。コースタイム1時間で来てるよと、kwrさん。富士山の西側の雲が取れ、山頂は見えないが、山麓の大室山1468mがポッコリと盛り上がって、独立峰のように見てとれる。富士山の側火山だ。樹海の広がりも精進湖の一部もみえている。
「あとは1時間半の下り」とkwrさんの元気も出たようだ。ジグザグの安定した踏み跡が長く続く。途中で、一組の還暦ほどのペアと出逢う。
「これから上りですか」
「いえ、ここから、もう引き返そうかと思ってます」
「気を付けて」
根場民宿から鍵掛峠1500mまでの標高差は600mほどある。ジグザグの樹林の中の道を上りつづけるのは、根気がいる。日頃歩きなれていないと、へこたれると思う。
その先に、大下りがあった。標高差で300m余下の渓はみえるが、明るくまばらな木々の間は小さな草しかついていない。渓の水音が聞こえるように思ったが、風音だったかもしれない。渓までのジグザグ道を滑らないように気を付けて下りに降る。渓に降りてみて気づいたのだが、そこから山体を回り込むように下る道の大木が、倒れている。中には、大石を根っこが抱えたまんまど~んと斜面を転がって、谷に向かって落ちている。小さい木の枝が道を塞ぐように折れて吹きだまっている。昨年の台風や今年の大雨が来ると、南西に向いたこの斜面は直接強い風が当たって、木々を倒してしまったのではなかろうか。その手入れをするほどの余裕もない。そんな感じであった。
水場を過ぎ砂防ダムの堤防が見えてくると広い林道に出る。13時。あと30分で根場民宿だと足取りも軽くなった。水場から水をとっている太いゴム管が林道沿いに走る。林道は荒れているが、やがて舗装がしてあり、大型車の轍も残る。車が出入りしているようだ。と、ヒョイと開けたところで茅葺屋根が何棟も建っている古民家風の集落に出た。半鐘もある。その向こうに、富士山が全身を表している。「ごほうびだね」とkwrさんは到着を喜ぶ。観光客が来ていて、茅葺民家と富士山を見て喜んでいる。
こうして、ほぼコースタイムで歩いて無事に下山したのだが、じつはここからが大変であった。私の車を置いたところがわからない。それよりも、朝探した大きな駐車場が林の向こうに垣間見えるではないか。ええっ? じゃあどこに置いたのだろう。たしか「ホテル西湖」の駐車場であった。通りかかった車の運転手に「ホテル西湖を知らないか」と訊ねた。彼はnaviを操作して「レイクホテル西湖ですよね。ここから3キロほど先ですよ」と教えてくれた。なんと、十二ガ岳からじかに降る下山口。西湖の中ほどにある集落だったから、根場民宿からまだ3キロも歩かねばならなかった。いやはや、申し訳ない。駐車場もなかったはずだ。バカだねえと反省しきりの御帰還であった。
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