2020年9月9日水曜日

静かな祈りのような蕎麦粒山

 先月の25日の瑞牆山以来、2週間山へ足を運んでいなかった。平地では猛暑続きだったが、山の天気はほぼ毎日雨に見舞われる予報。山梨、新潟、群馬、栃木と埼玉各地の登山区域を毎日チェックして、晴れた日があれば行こうと、何カ所か候補に挙げて声をかけていたが、その何処もがダメだったのだ。そうして9/7の早朝、秩父市の浦山口の天気予報が「曇り、降水確率10%」とあるのを見つけた。さっそくkwさん夫妻にメールを入れる。合わせて「蕎麦粒山へ行きたい」と話をしていたstさんにも声をかける。友人と別の山に行く予定にしていたstさんが友人も一緒でいいかと応答がある。もちろん、もちろん。こうして、慌ただしく翌日(9/8)の山行が決まり、山の会の人たちにも広くお知らせした。

 秩父線影森駅で、8時に待ち合わせる。東浦和から2時間みていたが、1時間40分ほどで着いた。総長は高速も混んでいない。花園インターからの一般道も、通勤の車と逆向きなのでスムーズに運んだ。影森駅は主要道から少し引っ込んだところにあり、民家に囲まれてわかりにくい。駅前の駐車場は広い。通勤客がここに車を置いて熊谷方面へ出かけるのだろう。武甲山が朝陽を受けて目の前に屹立する。駅長らしい人が出てきて、削られる山の変貌を口にする。あと百年もするとなくなるかな、と。五十余年前にここに住んでいた知り合いは、「武甲が削られて、うちに朝陽が差すようになった」と喜んでいたのが思い出される。

 

 車で来たkwさんとも合流し、電車で来たstさんと友人を乗せて、浦山川の上流、川俣の大日堂へ向かう。大日堂入口の浦山川の右岸にある大きな仕舞屋(しもたや)風の家の前、道路を挟んだ空き地に車を止める。kwrさんが止めることを断ろうと家を覗くと、女将さんらしき人が出てきて、「浦山ダムができるときに、ごね得でね・・・」とこの家の由来を話す。息子は東京で仕事をしていてときどき帰って来るそうだ。久しく話し相手がいなかったかのような気配を感じた。

 歩き始める。8時25分。ほぼ予定の時刻だ。私のお知らせしたコースタイムは6時間10分。kwrさんが昭文社地図でチェックすると7時間5分という。そうだ、毎回そうしたコースタイムの違いを指摘される。私のみている「資料データ」が古いこともあるが、近年のGPSやネットの広がりのお蔭で、歩く人の「データ」が多くなり、時間も修正されていっているようだ。

 実際今日も、帰着時刻は15時31分。山頂のお昼に30分ほど割いたが、それをふくめて行動時間が7時間6分。ほぼコースタイムで動いていたということであった。

 

 古びた大日堂はひっそりと針葉樹林に囲まれて薄暗い。境内の裏側に登り口がある。昔は木の階段を設えたのであろうが、朽ち果てて緩み、ジグザグに切って急傾斜を上がる。この急な登攀が30分つづき、「60号鉄塔」に出る。一息つく。稜線に沿って高圧線の鉄塔は「59」「58」「57」とつづき、高圧線を表記しなくなった最近の国土地理院地図と違って、通過ポイントを示すのに便利だ。「58号鉄塔」883mで稜線に上がり、そこからは緩やかな上りになる。昭文社地図では稜線歩きのようにルートが記されているが、国土地理院地図では稜線を巻くトラバース道になっている。それが、あやしく崩れ、滑り落ちると面倒になると思われる。ほかの道は踏み跡もしっかりしているのに、ここばかりは注意を払った。

 その一角に「明治神宮」の署名の入った掲示板が二カ所たてられてあった。たぶん、ここからここまでという領域を記す必要から、立てられたのであろう。下の方は杉林、標高の上の方は檜の林になっていた。掲示板は、踏み込むな、持ち帰るな、荒すな、ここは明治神宮の所有林だという趣旨のことが記してあったが、林はみごとに整備され、なるほど植林してから80年くらいの年数がたつような気配。でも、秩父にそんな針葉樹林を持っているなんて話は、初耳だ。


 先頭を歩くのは、いつも通りのkwrさん。その後に、今日初参加のyokoyさん、stさん、kwmさんとつづく。彼女たちはいずれも草花に詳しいらしく、ときどき立ち止まっては言葉を交わしている。神宮の森を過ぎてしばらく稜線を辿ると、急峻な上りが待っていた。約標高差で300メートル登って仙元峠1444mに着く。この上りがきついとか、武尊山のそれに比べれば、そうでもないとか、kwmさんとstさんが話している。yokoyさんは黙々とkwrさんについてすすむ。ずいぶん強い人のようだ。途中の大木が根を残して、土がまるごと崩れ落ち、何十メートルも下へとえぐっている。

 

 仙元峠は秩父と多摩を結ぶ唯一の峠だったそうで、江戸の人たちの三峰講、上州の人たちの富士講は、この峠を通って行き来したということが、峠の大きな看板に記されている。

「ここでお昼にしますか」とstさんが訊く。まもなく正午だ。

「いや、あと20分頑張って山頂まで行こう」とkwrさんが動き出す。

 標高差は、わずか30メートルだったのに、標高差50メートルくらいを下りに降る。そうして登り返す。それがきつい。こうして大きな岩が現れたところで、山頂に行きついた。

 12時15分。3時間50分かかった。山頂は巨岩がいくつか並び立ち、灌木に囲まれている。見晴らしは良くない。一組のご夫婦がお昼にしている。彼らは東日原の日原鍾乳洞の辺りからから登って来たという。往復するらしい。

「5時間半かかりましたよ、そちらは?」

 とstさんたちと言葉を交わしている。こちらは埼玉県民ですからと、蕎麦粒山を都県で分け合っている。

 

 お昼にする。20分ほどでkwrさんが身支度を整えている。おや、もう行くの? と訊くと、いやいや・・・と苦笑いをしている。kwmさんも、そろそろ終わるようだ。stさんとyokoyさんは上の岩で、お喋りをしている。上空には雲かかり、しかし向かいの山並みはよく見える。川苔山や鷹ノ巣山などが重なって西の方へつづいている。風が涼しく、心地よい。

 途中の林の途切れたあたりからは、東側の有間山や大持山などが、明るい日差しを浴びて見えていた。そちらも、しかし、山嶺が重なり、どれがどれかわからない。長沢背稜と呼ばれているのは、どこからどこまでのこと? とstさんはまるで高校生のような好奇心丸出しだ。ところが、先ほど上った仙元峠の表示板には「天目背稜」とあった。天目山が間近にあるからだ。その向こうには酉谷山もあり、去年9月に歩いた熊倉山も見えた(はず)。三峰山から雲取山に向かう山嶺と三差路のようにぶつかる。そこまでが長沢背稜かどうかはわからない。

 

 ご夫婦が先に出発し、私たちもそれを追うように下山にかかった。12時45分。30分の昼食タイムだ。ひとたび下り、標高差50メートルほどの上りがある。下るときほど、きつさを感じない。

 仙元峠に着く。表示板を読むと「仙元というのは水の源」とあった。そうか、そうだったのか。あちらこちらにある「仙元」の意味が、私の心裡で解きほぐされる。たしかに山は、水の源だ。明治神宮の森であっても、水こそが命の源。山に登るのも、祈りを捧げるような行為だ。泉源/仙元まで、山頂まで足を運んで、感謝をささげる。ことばにするとウソっぽくなる。沈黙の祈りこそ、心裡を伝えるのにふさわしい。それには無心で山に登るという好意こそ、相応しい。神も仏もない。自然こそが大いなる源。

 そう考えてみると、今日の私は、何も考えないでのぼっている。ただただ、前の方の後をついて歩いているが、足元の慥かさをみているだけ。ほとんど瞑想の状態だったなと、振り返って思う。静かな山であったが、同時に、祈りの山でもあったと感じる。

 

 下山中、先述の崩れかけたトラバース道を通っているときに、左太ももに攣るような緊張が入る。歩度を緩めても、攣りそうな気配は変わらない。歩くのをやめて、ザックからエアゾルを出し、太ももに吹きかける。そうして歩いても、緊張はすぐには解けない。ゆっくりと、皆さんより遅れてすすむ。水が足りなくなると足が攣るといつか耳にしたことがある。水を飲む。5分ほどすると気配が収まり、そのうちなんでもなかったかのように自在に足が動かせる。よかった。去年だったか、一人で山に入ったときに、足が攣りそうになって慌てたことがあった。それ以来、エアゾルを買い、kwmさんたちが遣っている漢方薬を薬袋に入れて歩いていたのが、幸いした。

 でも考えてみると、以前は攣ることもなかった。最初の攣りそうな感触がどういう状態で起こったのか、いまとなってはわからない。だが一つ言えること。2週間山に行かなかったこと、つまり身体を動かさなかったことが原因しているとしたら、どういうことなのか。私の脚の筋肉に行きわたって、つねづね引き攣りを防止していた潤滑油が、もう2週間以上は持たないと教えているようである。毎週山に入っていてこそ、トレーニング抜きに、身体が保たれている。それが間遠になると、たちまち潤滑油は切れて、今日のように千メートルの標高差を上り下りするのに耐えられない。

 59号鉄塔に来たとき、私のボトルの水が空っぽになった。あらっ、空っぽだと口にすると、stさんが甘いけどと言ってピーチ味のジュースを少し分けてくれた。それは口にするとほんとうに甘くて、益々水が欲しくなる態のものであったが、それで少しずつ口を湿らせて残りの1時間を歩き、最後の大日堂への急斜面を下って行った。

 車に乗せてあった、運転用のテルモスのお茶を飲んだときは、ほんとうに生き返るってこういうことなんだと思うほど、身の裡にお茶が染み渡るのを感じ、感動したほどだ。

 

 ともあれこうして、蕎麦粒山の山行が終わった。stさんとyokoyさんのお二人を影森駅まで送り、「無事下山」のメールを送ろうとしたら、「充電してください」と表示が出て、スマホの電源が切れた。しかし順調に浦和へ帰還。5時45分。長沢背稜まで行ってきたという充足感は、半端なモノじゃない。

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