川内有緒文・中川彰・写真『バウルを探して完全版』(三輪舎、2020年)を読んだ。なんだこれは、「わたし」の本ではないか、と思った。
著者は1972年生まれというから、私の娘のような若い方。ただ経歴は世界中を旅した赫赫たるものがある。もちろん観光旅行ではなく、NGOであったり国連職員としてであったり、世界各地の困窮する人たちの現場に足を運んでいる。その彼女が、パリでの国連仕事に行き詰まりを感じて仕事を辞めて日本に帰国し、ふと思い立ってバングラデシュの〝バウル〟に会いに行こうと思い立つところから、本書ははじまる。
いわゆる書籍分類をすればノンフィクションとなるであろうが、わずか2週間ほどの旅が、まるでバングラデシュという国のドキュメンタリーであり、その国の人々がどのような文化を堆積して日々を過ごしているか、その暮らし方が、哲学的な次元にまで目が行き届いているかのように綴られている。一気に読み切ったわたしも、ほんのちょっとした「こころの旅」をしたように感じてうれしい。しかもその旅は、バングラデシュという国と町への旅というよりも、「わたし」の内面へ向けての旅であった感触なのだ。
その私の感触は、たぶん、この著者自身の「旅」の始まりと終わりとの、わずか2週間の間に起こった変化であり、彼女の「せかい」の広がりと深まりと重なっていると受けとめている。
バングラデシュを知る人に〝バウル〟のことをきくと、たいていの人が知ってはいるが、「どういう人?」と訊ねると、言葉にできない。いろんな人がいるよという。ミュージシャンだともいう。修行者だともいう。イスラム世界のバングラデシュで修行者? どんな宗教? ときくと、さて? と言葉にならない。吟遊詩人だと説明する人もいる。「バウルに会えるかな」と訊くと、いや何処へ行けば会えるかはわからないよ、という頼りない情報を抱えて2週間の旅に出る。
18世紀末に生まれた吟遊詩人の元祖のような方の名前に行きつく。ラロン・フォキル。
ラロンの歌、ラロン・ソングが人々の間で親しまれ、口ずさまれている。まるで日本の小学校唱歌のように親しまれてはいるし、それを謳って一躍名が売れ、「日本でいえば美空ひばり」という歌姫もいるが、彼女は歌を教える学校を営んでもいる。
あるいは地方の町の一角に(全国から)〝バウル〟が集まって三日間、かわるがわる人が登壇して「まるでNHKのど自慢」のようであったり、いや「紅白歌合戦」だと思うほど、(人々に)よく知られた歌い手や演奏家も登場する。その傍らに、もう何年もずうっと座り続けて人々の尊敬を集めている歌わない〝バウル〟がいる。(ある程度中流階層の?と思われる)親たちはわが子がそれを口ずさむのを好ましくは思っていない様子もうかがえる。なぜか。彼のフォキルというのは「乞食」を意味するという。〝バウル〟は在野の哲人という感触か。
この著者の旅で出逢う〝バウル〟が彼女の「バウル概念」をかたちづくり、また壊してはつくり直し、さらにまた壊さないと理解できないという転変をくり返し、ついに彼女は、ある種の達観を手に入れる。一つの概念にまとめようとすることが、すでに「ドグマにとらわれてはいけない」ことを為している、と。ありとある「かたち」を、それとして受け入れて(わが身の裡を)みつめていると、〝バウル〟というのは、己の内面に視線を向けて問いかけの旅をしている人たちだと、氷解していく。その過程が、「旅」の過程を書き記すことによって浮かび上がってくるのが、読んでいてスリリングであり、興味深い。
そこには、モノにとらわれ、モノゴトに拘泥し、いろいろなモノを持つことによって損なわれていく人の身のナニかが、忽然と浮かび上がってくる。それは、しかし、言葉にするとウソっぽくなる。人から人へ伝えるのは、心から心へ伝えるものでなくてはならない。その言葉がラロンの詩であり、歌だ。しかも歌は、いかようにも「解釈」できる。できるから、まるで日常の歌謡のように口ずさまれたりする。だがその意味ところを象徴的に解いてみると、深い哲学的な視線が浮き彫りになる。しかし、そうしては真意が伝わらない。そこに謡わない〝修行者〟が存在する。
とどのつまりと、コトを要約しようとするのも、別様にいえば修行が足りない証である。こうして、中空に投げ出され、しかし、間違いなくわが身の裡への旅をはじめることになる入口の扉を開ける。そこに立っているという実感が、率直な読後感である。
本書中に引用されているラロン・ソングを三つ、末尾に紹介しておく。最初のは「オチンパキ(知らない鳥)」というたいへんポピュラーな歌だそうだ。
ここに登場する「鳥」とは何か。「八つの部屋、九つの扉」とは何か。それを問うた著者に、一人の〝バウル〟が応える。
その答えを聞いて「ということは、母屋というのは**ですね」と反応した途端に、このバウルは、何か大きな失態をしたかのように、口を閉ざす。その失態をしたかのような振る舞いのなかに、私は〝バウル〟の伝承の仕方の核があるように感じた。それこそが、わたしの忘れているコトであり、今の時代の日本が(無意識のうちに)捨て去ろうとしていることだと強く思った。
*「オチンパキ(知らない鳥)」
鳥籠の中、見知らぬ鳥は、どうやって往き来をする?
つかまえたら、「心の枷」を、その足にはめたのに。
八つの部屋は九つの扉で鎖され
中をときたま閃光がよぎる
その上には、母屋がある――
そしてそこには、鏡の間。
心よ、おまえは籠をあてにしてるが
おまえの籠はもろい青竹作り、
いつパタリと崩おれるやもしれぬ、
ラロンは言う、籠が開けば
その鳥は どこに一体逃げ去ることか。
**ノヨン・デワンの歌の一つ
盲人がもう一人の盲人に言う
行こう、祭りに行こう
盲人はいう でも道を知っているのか
盲人は答える
知らない でもとにかく行こう
だってほら この世は祭りなんだから
この世は 盲人だらけの祭りなのだから
学者が学があっても自慢ばかりしている
長老は悪口ばかり言っている
どいつも こいつも
この世は 盲人で溢れている
だから行こう 世の祭りへ 盲人の祭りへ
***ラロン・フォキル「誰もが訊ねる、ラロンは一体どの家の生まれなんだい」
誰もが訊ねる、ラロンはいったいどこの生まれなんだい
ラロンは言う、「生まれ」っていったい何だい、
この目でまだ目にしたことはないよ
(中略)
ある人の首にはヒンドゥーの数珠、
別なヒトにはムスリムのトズビ
それで、生れがわかるっていうのかい
生まれてきたり、死んで逝くときに、
「生まれ」の印を持つやつなど、どこにいるのかい
溝を流れるただの水が、
ガンジス河では聖なる水になる
なんの違いもないただの水が、
器によって大違い
世界中が、生まれの話で持ちきり
誰もがその話で、一喜一憂
ラロンはその生まれへの迷信を、
とうに七つの市場に売り払ってしまったよ
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