現場の教師であったとき、世間の屁理屈に悩まされた。
どうして制服を崩して着てはいけないのか。髪を染めてはダメなのか。アイシャドウやカラーネイル、ピアスなどの化粧(装い)はなぜ許容されないのか。
生徒が訴える分には、その場で直に話すことができた。生徒は理屈を聴きたいのではなく、学校のスタンスを確認したいのだと考えて、ことばを繰り出した。装いと学校と生徒の立ち位置に関する教師としての思いを話す。それが「説得力」をもつのは、日ごろの教師自身の立ち居振る舞いが生徒の信頼を得るに十分なものであったからだと、いま振り返って思う。
しかし世間の方は、面倒であった。ここで世間というのは、親やマスメディアや地域の人たちのご意見であった。ピンからキリまで開きがあった。直感から屁理屈まで、ご意見の土台がさまざまであった。それが学校という場へ向けて交わされるから、教師は(自身の暮らしにおける変化に伴う感覚の揺らぎとともに)その「外」から差し込まれるご意見に翻弄される。現場もまた、生徒の装いに関してピンキリの主張と振る舞いが錯綜するようになった。
1990年前後の、平成がはじまるころ。高度消費社会の最盛期、バブルの渦中にあった日本の社会は、旧来の殻を脱いで産業社会の再編を目指さねばならない立場にあった。誰もが一斉に同じことに向かうのではなく、人それぞれの個性を主張し、活かして生きていけという気風が世間を風靡し始めていた。それが後押しして、メディアは、個性を抑圧し画一化する学校イメージを喧伝して、教師を叩いた。
それに対して私(たち)は、おおむね次のような観点から向き合った。
(1)「ダメなものはダメ」、屁理屈をつけて言うと、必ず的を外す。でもどういう論理が隠されているかを考えなければならない。
(2)学校の制服や規則には、それなりにそれが定着した由来がある。それがこれであると手に取るように示すことはできないが、「学ぶ」という「修業時代に不可欠の要素」を含んでいることを経験的に感じる。時代や社会が変化したことによって、相応しくない(と感じる)規律や規則がある。しかし、「成長期の人の本質」はそう簡単に変わるものではない。だから古典の指摘が、今も生きていたりする。
(3)規則や規律を一概に守るものとしたり、否定することと考えるのではなく、(2)の「感じる」ことを一つ一つ丁寧に読み解いて、試行錯誤し、それを検証しながら、次のステップへすすめることが大切。
学校現場で起こる制服や頭髪・化粧のモンダイは、いつも具体的である。具体的であるから、応答もまた、屁理屈に陥ることが多い。いろんな教師がいるから、生徒の好みに迎合する教師もいれば、そのようなことはどうでもよい(学校教育において本質的ではない)と考える教師もいた。逆に、それら規律・規則に(2)のような直観的経験を持つ教師も少なからずいて、その学校における規律や規則は、それら教師たちの(学校現場における)力関係に左右されることが多かった。世の中も、大雑把にいうと二つに分かれた。自由がいいという世間と(服装や頭髪が)だらしない生徒がいるのは学校がだらしないからだと考えて、言葉を交わすことなく分岐していた。
現場の私たちは、せいぜい自分の担当する学年のそれを取り仕切ることで精いっぱい。学校全体をどうするというようなことは、「(担当する)学年の状態」を差し出して、ほかの学年に考えてもらう(あるいはこちらの学年も手直しをする)ことしかできなかった。管理職は、手も足も出なかったが、口ばかりは達者に世の潮流に迎合していた。
そのとき、「学年通信」という(生徒向けに学年団教師が発行する)月刊誌と「無冠」という表題の(教職員組合分会の発行というクレジットを被った)教師間の週刊紙が意見を交換する力を発揮したと、振り返って思う。もちろんその場その場のモンダイを始末するのに追われ、根底的に考えるのは、後回しになってきた。
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最近、大澤真幸『動物的/人間的――1.社会の起源』(弘文堂、2012年)に、思わぬ方面からの面白い指摘があった。
「ダメなものはダメ」ということがあって初めて、人類史は出発しているのではないかという。大澤真幸は、進化生物学などを読み解きながら人類史を総覧して、「原否定性」という概念を提示する。
《原的否定性とは、理由もなく否定されていること。ダメだからダメということ》
(a)「原否定性」が人類史の当初からかたちづくられてきている。バイブルにいう「(エデン園の)知恵の木の実を食べてはならぬ」というのもそれのひとつ。近親相姦とかが、なぜ禁忌として形成されたかは、後付けの議論はいろいろとなされているが、どのようにかたちづくられてきたかを問うと、「原否定性」に突き当たる。
(b)動物において(その禁忌)は自販機と同様に予め仕込まれている。だがヒトの場合(その禁止は)「選択的」である。そこに、ダメなものはダメということ(原的否定性)への、原的肯定性が生まれる契機が発生する。「なぜダメなのか」と問う。理由によって「禁止」を崩してしまうのは、知的に低劣だから。知的に高い(神に近い)認識をすれば、「原的肯定性」が生まれる契機となる。「知恵の木の実を食べてはならぬ」という原的否定性を(選択的に)受け入れるために、「神の言葉」としてヒトはつくり直した。
となると、例えば、子どもが大人とは異なる世界を過ごさねばならぬ時代があるという「原的制約」もあるのではないか。それが、時代が人間主義的な、豊かな、人権意識が広まった世界になったために、「なぜ子どもは大人と違ったステージを持つのか」ということへの「理屈」が必要になった。
子どもは小さい大人という時代認識が崩れて、保護養育を必要とする「こども」が誕生した。それがさらに昂じて、人として同じという「権利意識」が生まれ、その「権利」として「大人と同等の権利を持つ」として、「こどもの権利条約」などが国連でも決議された。
だが、それは「権利」であって、子どもの実態ではない。子どもは、意思が尊重されるとはいえ、その意思が大人と同じ判断ができる主体と見積もることはできない。だが、子どもは保育され教育されるという考え方の中に、当人の意思がどうなのかと問う要素が入り込むようになった。世間の論議は、「こども(の主体と成長)」を見損なうようになった。
しかも学校現場からみると、「こどもの権利」は、個々人を主体として想定している。だが、子どもは、子ども相互の関係において生長し、変容し、自己形成する、主体形成途上のものである。個人を取り出して、その局面だけで論じると、子ども集団の薫陶力も見損なうことになる。
主体という認知には、(教育される当人の)求めるものがすでに(当人に)分かっているという逆転が起きている。ことに教育が委託されるようになると、親の庇護とか保護が介入するわけだが、個々の生徒の実態に即して、その場の対応を考えるよりも(世間の学校・教師批判に応じて)法的規定性の方が優先され、いわば杓子定規に(魔よけのお札のような)定めが解決策として登場するようになった。学校当局の応対も、そのようにして、規律・規則の根底的な受け止め方を外れ、世間的なお払いの儀式のようになっていった。
大澤真幸の指摘は、あらためて根底的に、人類史的な視点から「ダメなものはダメ」という「原否定性」と、それが「原肯定性」に転化していく筋道を示している。そういう次元で、学校における規律・規則のモンダイを、とらえ返してみたいと思った。
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