昨日記した友人Nさんの逝去に際して、奥さまにお悔やみのご挨拶を書こうとしていた。その今朝の「折々のことば」にこんな一文が載っていた。
《人は自分の思いを手本のない自分の言葉で話すしかない。ここは大学ですから、会話の授業はやりませんよ ある仏文科のフランス人講師》
引用者の鷲田清一はこんなコメントをつけている。
《評論家の加藤典洋が大学時代の受けた仏語作文の授業で、フランス帰りの受講生が、日本文学の翻訳よりもっと実際的な日常会話や作文をやったほうがいいと発言した。講師は、親しい友人を失くしたときに正しい挨拶ってある?と返し、こう続けた。表現の真の力と困難を学ぶのが大学というところ。……》
どんぴしゃり。私は早朝から、まさに手本のない自分の言葉で書くしかない日本語作文に取りかかった。昨日一日Nさんのことを考えていたことを思い出しながら、彼が私にとってどのような存在であったかを、具体的な時代と場面を想い起しながら、訥々と綴った。くしくも1970年代を総覧するような気分になった。
Nさんに感じた不思議は、何だったろう。フランス現代哲学に通暁する知的な到達点と裏腹な市井の熊さん八さんにつきあう耳の傾け方と語り口は、Nさんの身の裡のどこに齟齬をきたさず仕舞いこまれていたのであろうか。「育ち」かとも思うが、Nさん自身の口からそれを聞いたことはなかった。もし今度奥さまにお会いする機会があれば、それをこそ聞いてみたいと思いつつ、4時間ほどかけて書き上げた。
「親しい友人を失くしたときの挨拶の言葉」をこれから何通も書くことになるのだろうか。それとも、誰かが書いてくれるのが先になるのだろうか。こればかりは、わからない。
手書きこそがいいとは思ったが、タイプして印刷し、封筒に入れて切手を貼り、ポストに投函しようとしたら、また、いつかのように郵便回収車が収集を終えているところ。手をあげて受け取ってもらい、やあ今日も、また、イワン・デニーソビッチの一日だと喜んだ。
台風一過、群馬県北西部の野反湖周辺の天気が良くなった。テントをもって白砂山と野反湖西岸の山を経めぐってこよう。昨日、山友にお知らせをし、3人で行くことにしてテントサイトに予約を入れた。2泊3日。むろんソロ・キャンプ。ただ私は、山歩きのテント泊なので、キャンプを楽しむというセンスは、ない。必要最小限の荷をもって、寒さにだけは負けないように準備をして出かける。相方の二人が、焚き火用の火置台を手に入れたと言ってきた。寒さ対策というのだが、焚火をして楽しもうなんて、まるで若者みたい。ま、そういうのを見るのも悪くないか。
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