2020年10月29日木曜日

ひっち・ハイクの三方分山

 昨日(10/28)は「午前中・晴れ、午後・曇」の予報。富士山を見に行こうと精進湖へ向かった。浦和駅で二人を乗せ、kw夫妻とは現地で落ち合う。約2時間20分で精進湖畔に到着した。だが富士山は、雲の中。下山口の県営駐車場から見上げても、手前の大室山の盛り上がりはかろうじて見えるが、その後ろの富士山は何処にあるかわからない。

 8時40分、歩き始める。寒くもなく暑くもない。10分足らずで登山口に着き、沢沿いに山へ向かう。緑の多い山肌のところどころに黄や赤に色を変えた木の葉がみえ、焚火の煙がたなびく。すぐに沢を越える、今にも折れそうな丸太橋を渡り、渡り返し、山道へと踏み込む。トリカブトの小さい花が目に入る。

「そう言やあ、十二ガ岳もトリカブトの山だったなあ」

 とkwrさんがつぶやく。面白い山だった。西湖畔にテントを張って9月半ばに登ったのに、もう遠い昔のことのように感じる。沢を離れ、砂防ダムの堰堤の手前からジグザグの急傾斜を上る。30歳代の一組に道を譲る。stさんの元気な声が聞こえる。根を剥き出しにして倒れた大木の枝葉が、まだ緑を保って頑張っている。マムシグサの実が明るい朱色で目立つ。太い木が踏路を覆い、前方の山肌の緑が朝日に照らされて緑の色を軽くしている。その中に色づいた紅葉も、なかなか乙なものだ。樹間から今日の最高点の山が姿を現す。樹間の向こうの紅葉が柔らかい色合いを湛えて秋の到来を感じさせる。三方分山1422m。「さんぽうぶんざん」と読む。なんとも風情の無い読み方だ。かつての精進村、八坂村、古関村の結界をなしていたのがこの山の名になったらしい。いまや合併で名が変わってしまった。

 女坂峠1210mに着く。9時45分。登山口910mからのコースタイムは1時間20分だが、55分で歩いている。「いつもより、ゆっくりですよ」とkwmさん。「阿難坂(女坂)」と木の標識がある。かつて甲府と河口湖を結ぶ峠道の一つであったと記す。「精進湖3km→」とある。

「3キロも来たかね」

 とkwrさん。

「3キロを55分なら、街歩きのペースだね」

 と応じる。かなり適当だが、それはそれで困るわけじゃない。

 北の方へ抜ける標識に「上九一色村古関」とある。「サリンじゃなくてトリカブトを使えばよかったのにね」と誰かが言う。「サティアンって、今もあるんだろうか」と言葉が加わる。そう言えばもう、四半世紀にもなる。その末裔はいまも健在らしい。これも時代が生み出したものなのだろうか。

 木々の色づきが鮮やかになってくる。東へ向かう稜線のところどころに綱が張られ、北側が大きくえぐられて、踏路の下が空洞になっている。踏み込まないようにルートを手直ししている。このところの台風や大雨のせいだろうか。そういうところが何箇所もあった。

 センブリが白い花をつけて楚々としている。アザミの残り花が一輪だけ咲いていた。落ち葉が散り敷き、見上げると色づいた木の葉が移り行く季節を感じさせる。オオカメノキの朱い実がたわわについている。向こうに見えるピンクのはマユミですよと、誰かが指さす。白いキクの仲間が花を咲かせて毅然としている。薄緑のコシアブラが一本、すっくと立ちあがる。一息入れようと立ち止まる。樹間に富士山が見える。「ええっ、あんな高いところにあるんだ」と誰かが言う。雲が取れ、姿を現した。みえた、見えた。これをみるために来たんだからと思う。

 10時半、今日の最高点、三方分山の山頂に着く。コースタイムより20分も早い。ま、早い分にはモンダイはない。下の方で追い抜いた一組の二人が、南の方の富士山を眺めている。

「みえて良かったですね」

 と言葉を交わす。精進湖と富士山が一視に入る。

 今度は私たちの方が先行する。ここから先は150m下っては100mほど上るというアップダウンをくり返しながら、1300mの稜線を南へ辿る。湖西山(精進山ともいうらしい)を越え、三ツ沢峠(精進峠と名を変えたらしい)に出る。コースタイムは30分とあったところが、35分。まあまあか。でもそこから次の根子峠(ねっことうげ)まではコースタイム30分なのに、45分もかかってしまった。どういうことなんだろう。根子峠の先のパノラマ台で追いついてきた件の二人連れも、エラク時間がかかったとコースタイムのことを口にしていたから、私たちのペースが落ちたわけではなさそうであった。

 そうそう、ひとつ触れておくことがある。根子峠への稜線の紅葉は、陽ざしもあってか見事なものであった。その途中に「←至・根子峠 ひっち 精進峠・至→」という標識が太い木に取り付けてあった。「ひっちって、なんだ?」と口々に。「ヒッチハイクかね、こんなところで」と言葉を交わして通り過ぎた。気になったので帰宅して辞書で調べたら、「ひっち」には「筆池」「筆致」「櫓」の三つがあった。最後の「櫓」は「ひつじ」とある。そちらの項目へ目を移すと、次のように詳しい解説があった。


《ひつじ【櫓・稲孫】(古くは「ひつち」)刈った後の株から、また生える稲。または、それになる実。…古今集「かれる田におふるひつちのほにいでぬは世を今更に秋はてぬとか〈よみ人しらず〉」……》


 とあった。「ひこばえ」のことを指すようだ。たぶん、これが地名の「ひっち」に近いのではなかろうか。まさかこんな高所で「田」をつくったわけではあるまいが、古今集の歌は、世に出ることもかなわぬままに生涯を終える哀しさを謳ったのであろうか。ここを通過したのが、今まさに秋。世に出たことなどどこ吹く風と、彼岸のお迎えが来るのを、ただただボーっと待つ身にすると、そういうこともあったわなあと懐かしい感懐に浸る。まさに「ひっち・ハイク」の三方分山だと思った。

 根子岳からパノラマ台へはコースタイム通りであった。右手下方に本栖湖を見やりながら、徐々に富士山に近づいていく。途中に「千円札の逆さ富士はこの先」と本栖湖の方への道標もあった。パノラマ台にはたくさんの人がいて、ちょうどお昼をとっていた。ススキの穂が揺れる向こうに、富士山がすっくと立っている。意外にも雪は山頂部から抉れた谷間に白い筋になってついているだけ。雲は富士の北側、五合目当たりに漂っているが、富士山のお中道は、山腹を仕切るように横一線についているのがわかる。

 少し東を見やると、足元の精進湖から西湖、その向こうの河口湖が、両側から迫る樹海と山並みとの間に一望できる。「湖の水面の高さがそれぞれ違うんだね」と、新発見のようにkwrさんが口にする。河口湖の上に連なる稜線の左の端には、山頂に通信塔が立ち、三ツ峠だとわかる。9月に登った毛無山や十二ガ岳、根場民宿から登る王岳への御坂山嶺も、鮮明に見える。stさんは「密度が濃い」という。いい山だったという意味らしい。30分も山頂に滞在した。

 下山路は根子峠に戻って、緩やかに刻まれた、落ち葉散り敷くふかふかの道をジグザグに下ってゆく。斜度は45度くらいあるみたいと下方の湖をみながらysdさんは言う。そう思うくらい、傾斜が急なのだが、ルートは緩やかに刻まれて、調子よく降る。

 駐車場に着いたのは1時半。行動時間は4時間50分。コースタイム4時間半のところを、4時間20分で歩いた。いかにもコースタイム男の先導であったが、これくらいの軽い「ひっち・ハイク」が好ましく感じられるようになったのかもしれない。

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