2020年10月31日土曜日

「金無垢の正論」?

 昨日の「私たちが身を置くコミュニティ性とは何か?」に関して、やはり長年逢っていない大学の先輩から次のようなコメントがあって、驚くと同時に、これは何だろうと考えている。


《F様 なるほど端倪すべからざる金無垢の正論ですね。というような言い方が漱石の『それから』に父に対する主人公代助の言葉として出て来ます。Mさん(メールをくれた大学の後輩)がどう御意見に応対するか、それも興味深いです。結局、当事者同士で解決するか、自治体が仲立ちして解決するか、個人が解決するか(撤去)という簡単な問題に変わりがありませんが。W拜》


 なんだか揶揄われているみたいですね。『それから』の代助がどのような場面でいかような思いを込めて父親にその言葉を吐いたのか思い出せませんが、「なるほど端倪すべからざる金無垢の正論ですね。」というセリフは、ほとんど浮世離れした世迷言というニュアンスで響きます。

 いま私が浮世離れしているのは間違いありませんが、おおよそ「正論」を吐いているという感覚を持っていませんでしたから、不意を突かれたように、ちょっと驚いています。そうか、そこまで私は、ズレているのか、と。

 ひょっとしたら「コミュニティ性」という言葉が、いまさら何をというのかと思われたのかもしれません。というのも、1年少し前になりますが、私が身を置く団地の管理組合の理事長を務めたときに感じた感懐を、『団地コミュニティの社会学的考察』としてまとめたとき、最初にそのタイトルを目にした同世代の友人二人が、「高度成長時代の遺物の廃墟? の話ですか」とか「……高齢化、そして、そもそも論として空き家だらけではコミュニティなんて言葉は成立しないですよ」と反応したからです。つまり「コミュニティ」という言葉を、もはや実態どころか、とりあげる意味もないほどの抜殻の概念とみていたのです。


  『団地コミュニティの社会学的考察』で私がとりあげたのは、一年間の管理組合理事長としての経緯とその都度の感懐でした。400字詰め原稿用紙にするとおおよそ80枚ほどのエッセイです。要点は、ごく簡略にいうと、以下のような点です。


(1)築後30年のわが団地は大規模な改修を前にして、修繕積立金の値上げをしなくてはならない。どこかの管理会社にお任せするのではなく自前管理をタテマエとしてやって来たわが管理組合は、戸建て住宅の改修管理をするときの判断や資金や改修依頼を、管理組合という公の場で審議決定して、しかも組合員多数の同意を得てすすめなければならない。つまり、戸建て住宅住民が、独りで、あるいは家族でやっていることを、公然の会議で(それなりの意を尽くして)やりとりすることになる。

(2)ところが居住者は、それぞれの人生を何十年もかけて紡いできた言葉や感性や感覚、価値観をもっているから、言葉を交わす舞台を共有することからして、大仕事になる。30年同じ団地でくらしていても、それらを共有する機会は、理事を同期で務めて顔見知りになるくらい。それも、十年に一度となると、互いに子細を忘れてしまって、馴染にすらならないことが多い。

(3)つまり(2)の状況のもとに(1)の協議や決定を行うというのは、互いの言葉や感性や感覚を擦り合わせて、ズレや距離を推し量り、団地の建物の補修管理という局面において言葉を重ね合わせていくことが必要になる。その実務を取り仕切る所作と関係が「コミュニティ性」である。

(4)上記の(3)を組み込まないと、たいした論議をすることもなく、あるいは、「建物維持管理に関する専門家」に任せて、あとはよしなに、とお任せするしかない。それでは修繕積立金の大幅な値上げは承認してもらえまいと考えたとき、建物の修繕管理と費用というコスパ的合理性だけでは話がすすまないことに突き当たった。

(5)上記の(4)のモンダイが、コミュニティ性の消失という高度経済成長期から辿った私たちの社会の特徴なのではないか。私たちの戦後過程は、経済一本やりですすめてきたけれども、自分の暮らしの周辺を整えることを地方行政にお任せにして、せいぜい町内会という旧時代的な行政の下請け的な末端組織に担わせて、知らんふりをしてきたのではないか。

(6)いまさらコミュニティ性の復活という無いものねだりはできないかもしれないが、それに代わる「かんけい」を組み込むことをしないと、地方自治も含めて、自分たちのことを自分たちで取り仕切るという自律的な社会構築はできない。


 とまあ、そういう考察をしてきました。「正論」を述べて良しとするようなセンスは、微塵も感じていません。そこへ、Mさんのケースが飛び込んで、昨日のような感懐を綴ることになった次第です。まさか大先輩のWさんから、代助のセリフを使ってまで揶揄われるとは思いもよりませんでした。

 とは言え、浮世離れして暮らしているのは、間違いありません。まして、Mさんが今後どう対応するかについて、何かサジェストをしようなどという意図も見識も持ち合わせていません。

 ただ、日本全国、何処へ行っても似たような事象が起きているなあと、わが経てきた時代を岡目八目で、社会学的にみているだけです。何をもって「正論」と思われたのでしょうかね。

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