第3日目(10/14水)、8時、キャンプ場を出発。バンガローのあいだを縫い、ダケカンバの林の中を登り始める。5分ほどで古い登山口の標柱の立つ地点を通過する。その脇には今日私たちが歩くルートの距離が表示してある。7・4km。4時間とみると、おおよそ時速1・85kmのペースとなる。最大標高差は450mほど。それが早いか遅いかはわからないが、たぶんkwrさんは、そのコースタイムで歩くことになろう。ただ、彼が調べてきたコースタイムは、私が事前に提示したものとは少し違うという。どこが? エビ山から弁天山へ行ったところから、目的地の富士見峠までが、私の提示は15分。だが、彼の調べたのでは30分となっている。どうしてなんだろうとは思うが、わからない。
陽ざしが明るく強い。すぐに上着を脱いだ。kwrさんは首に陽が当たるという。西へ向いて上っているからだ。帽子の庇を首の方に廻せば、という。陽ざしの当たった紅葉が、際立つ。足元を見てばかりのkwrさんにはわからないが、後から彼の姿をみている私には、ハッとするような景観にみえる。その都度、カメラのシャッターを押す。立ち止まって下を見ると、野反湖のキャンプ場の全景とその湖畔にあるテント場が見える。湖の対岸にある八間山が太陽の陽を背中にしょって威風堂々としている。なるほどkwrさんが「八間山」という名の日本酒があるといっていたか。それも、よくわかる。野反湖の守り神というわけなのだろう。1時間20分で三壁山に着く。
「昨日の山は、リハビリだね」とkwrさんは笑う。(昨日に比すれば)今日はらくちんという意味のようだ。ルートのササは手入れが行き届いている。刈り払って広い。見晴らしは良い。左の方を見ると、昨日登った白砂山が、堂岩山から八間山の稜線の向こうに、頭をグイっと持ち上げて際立っている。踏路を遠望する山歩きというのも、悪くない。山頂直下の急登が思い出されるほど、屹立している。笹原の稜線を行く。ところどころ開けた地点から南西が見えたり北西の方が見えたりする。
「あれは草津だね。あんなに高いところにあるんだ」
「あの山は、なんだろう」
とkwrさんが指さす。歩いていて後で思い出した。あの丸っこい大きな山体は、浅間山だ。
小ピークの山体を回り込んで、さらに向こうの高沢山1906mに登る。その山頂直下に、分岐があり、「カモシカ平・大高山 至→」と記した朽ちた標識があった。広いササ原を山体の東側に広げているのが、カモシカ平なのであろう。朝日を浴びてササが輝いている。ルート上の泥濘に偶蹄類の足跡がくっきりとついていた。シカと思ったが、あるいはカモシカかもしれないと思い直した。
高沢山1906m、10時03分。35分のコースタイムだ。笹原と樹林に囲まれ、見晴らしはまったくない。そこからの下りは見事に紅葉が目に入る。一番いい季節にやって来たと思った。散り敷いた落ち葉のじゅうたんがこれまた見事であった。開けた地点から西方の山が見える。
陽ざしを受けた紅葉が見事に輝く。エビ山1744mに10時45分。これもコースタイムどんぴしゃり。「いや草臥れたよ」とkwrさんは腰を下ろし、カロリーの補給をする。私もバナナを食べる。エビ山の山頂には、若い人とアラカンのそれぞれ単独行の二人がいて、若い人はスマホをいじり、アラカンは弁当を食べている。ここからキャンプ場に戻るのなら、「1・8km」とある。40分ほどだそうだが、キャンプ場を中学生の一泊で使わせてもいいねえと、kwrさんは昔を思い出したようだ。
10分ほど休んで弁天山への下りを辿る。急な下り道。両側は丈の高い笹原。足元は岩と大きな段差の急勾配。正面にはこれから向かう弁天山、左には湖が見え、一番下は平らかな笹原が広がっている。kwmさんがシラタマノキの花やツルアリドウシの実を見つける。今日は植物に関心を示さないものしかいないから、彼女は面白くないだろうなあと思う。湖とほぼ同じ標高に降り立つわけだから、二百数十メートル下る。降り切って少し登ったところに、湖を経てキャンプ場に向かう分岐がある。
「キャンプ場ってのが固有名詞だね、ここでは」
とkwrさん。降り切ってまた、登る。途中で団体さんと出逢う。先頭の方が道を空けて「すみません、20人です」と断る。皆さんに「ありがとう」と言いながらすれ違う。若い人も多い。街中を散歩するような靴を履いた人もいる。どんな団体さんなのだろう。エビ山への上りは苦労するだろうなあと、kwrさんと話す。分岐がある。「弁天山北」とあり、ここから二俣に分かれ、「←富士見峠・弁天山を経て峠→」と標識が立つ。これで分かった。ここから弁天山の山体をトラバースして富士見峠へ向かえば15分だが、弁天山山頂を越えて峠へ向かえば30分ということだ。コースタイムの謎が解けた。山頂には小さな弁天様の石像があった。
弁天山の山頂から振り返ると、高沢山の東側の谷から雲が立ち上ってきている。そうか。眺望のいい山の天気はおおむね午前11時ころまで、それを過ぎると雲が出て見晴らしは悪くなるということか。
「それにしても去年、よく槍ヶ岳の縦走をしたもんだねえ」
と、kwrさんは口にする。昨日と今日の疲れ具合では、とうてい歩けないと感じているようだ。一年歳を取ったってことか。
紅葉の中を過ぎて降ると笹原に出る。向こうに湖と今日の到達点の富士見峠が見える。足元にシャジンの仲間とマツムシソウが咲いていた。あれっ、夏の花なのにと思う。
こうして12時25分到着。私とkwmさんは車を取りにキャンプ場に戻る。そのあと「道の駅六合(くに)」によって温泉に入り、浅間蕎麦を食べて帰路に就くことになった。そのときkwrさんがどうして「六合」って書いてクニって読ませるんだろうと疑問を呈した。帰って調べてみると、「日本書紀」に「日の神の光、六合に満ちにき」とあって、六合をクニノウチと読ませていることが分かった。なぜそう書くかはわからないが、日本書紀の時代からそう読ませていたことがわかる。由緒ある読み方なのだ。
じつは、もうひとつ記し置きたいことがある。来るときにnaviが八ッ場ダムの方を指示したと書いた。帰りにそうなるのかと思っていたら、違う道をたどる。ああこれなら、昔の道だからと思っていたら、道路標識の「←渋川」を無視して、直進をすすめる。ままよ、行ってみようとそちらへ行くと、とうとう来たときの道を通らず、何処をどう通ったのか渋川伊香保ICにポンと入ってしまった。帰りに寄ろうと思っていた「道の駅おのこ」とか「道の駅こもち」は何処にも見当たらなかった。狐につままれたみたいというのは、こういうことを言うのだろうか。
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