ますます勢いを増しているコロナウィルス。第三波の到来と東京都医師会長が言明した。全国のあちらこちらで、感染者数の新記録を更新している。
にもかかわらず、そろそろ自粛という「閉門蟄居」に我慢ならなくなった高校同窓の後期高齢者が、いい加減、覚悟してやりましょうよと、延期しているSeminarの実施を要望してきた。ではと、11月末のSeminar開催案内をおくった。
すると、欠席連絡があったのは2名、判断に迷っているのは2名、あとは十数名が出席の返事をしてきた。皆さん、東京、埼玉、神奈川の在住者ばかりだから、どの県も、感染者数は、高い水準を維持している。いつも使っていた会場は、医療関係の大学とあって、さすがに5人以上の会合禁止で借りることができなかったが、新橋の繁華街にある「鳥取・岡山アンテナショップ」が会議室を貸してくれることになった。会食するなら借用料は無料と4時間の使用が認められた。
シャーロックならぬ、ステイ・ホームズの大冒険と呼んで、開催が決まった。
でも、この皆さんの気分は、なんだろう。自粛を「我慢できない」ってこと? コロナウィルスと共存していくしかないのなら、それぞれが自衛策を講じて、それでもだめなら(人生を)諦めるしかないとカンネンしたということか。いずれにしても、なんとなく共通する感覚が流れているように思える。
顔を合わせることもなく、日頃ばらばらに暮らしている私たちが、TVや新聞やラジオを通じて接している「世界」の動向が、わが身の裡に何がしかの同調する波長を引き起こし、心裡に似たような感覚を呼び覚ましているということではないのか。つまり私たちは、ふだんから、顔を合わせ、振る舞いをみているうちに、なぜか同調する気分を内側に醸しだしているのである。
そう気づいたのは、みるともなくみていた昨日(11/11)のTV「ためしてガッテン」。コロナウィルスのせいで、リモート会議が盛んだが、なんとなくリモートだと会議が盛り上がらない。参加している人たちもアイデアが浮かばない。なんとなく、仕方なくその場に顔を出しているような気配が漂っている。それを、身ぶり手ぶりを入れ、うなずく人がいると、俄然発言も、リモート会議参加の皆さんの顔つきも違ってくる。
それにかこつけて、「お題」を与えられた「天才ラッパー」の、ふだんの韻を踏む「スウィング」の回数を、まず数える。その後に腕を胸の前に組み動きを封じて「お題」を与えて、同じようにやってもらうと、なんと半減する。つまり発言者、あるいはラッパー自身も、体の動きが言葉を繰り出していく技に連動しているということがわかる。
つまり語り手も、同席する人たちも、身ぶり手ぶりを交えて話したり、それをうなずいて聞いたりする聴衆がいることで、俄然、話の内容も弾み方も、大いに変わってくるということだ。
いつであったか、東大の心理学研究でメトロノーム百台を同じ台の上に乗せて、それぞれを勝手がってに動かしたところ、ほんの数分で、百台のメトロノームが同じリズムを刻むようになっていたという実験を思い出した。私たちは情報メディアを通じて、日本社会とか、世界という同じ「台」の上の載って、勝手がってに動いているメトロノームなのだ。いつ知らず、なぜともわからず、身のリズムが同調する。コロナウィルスの蔓延と自粛、しかもその動きが日本ばかりか世界を一つにしている。つまり世界が一つに感じられていることが、いっそう同調性を誘ったのかもしれない。
そう考えると、トランプの登場とヘイトスピーチの蔓延や人種差別的な、あるいは難民排斥的な動きなども、ある種のメトロノームの同調とみてもいいかもしれない。ずいぶん大雑把なみてとり方だが、ヒトの暮らす世界って、案外、そういう単純な共鳴装置を携えて、この時代まで生き延びてきたのかもしれない。ホモ・サピエンスとして。
さあ、どうなるかはわからないが、11月末のSeminarをやってみて、あとで考えてみようと思っていたら、傍らからカミサンが「あなたも頑張らなくちゃあね」と声を掛けた。
うん、どうして?
「バイデンって、1942年生まれ。あなたと一緒よ」
そうか、Seminarの面々は、1942年生まれと1943年の早生まれ学齢の同窓生だ。そうか、アメリカと学制は違うから一緒にはできないが、でも、私たちと同じ学年だ。それで、これからの四年間アメリカの大統領を務める。トランプとそれを支持する7000万人余の軍勢を相手に、世界最強の国家の首長として大立ち回りをやろうという気概をみよってわけだ。
そうか、年寄り面して、のほほんと過ごすわけにはいかないのか。、それもいいか。同年齢の頑張りをみていると、こちらも少しは、元気が出るかもしれない。
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