2020年11月15日日曜日

こりゃまた、失礼いたしました――「断裂」の行方

 大学時代のサークルの先輩後輩とのやりとりで「断裂」を感じて、訣かれを決断して、最後の「断裂」を感じた所以を記したメールを送りました。あまりの長文なので、冒頭の前説を本文にし、あとをpdfにして添付ファイルにつけて。

 ところが、その添付ファイルが開けない。「添付ファイルがついてないよ」というのもあれば、「開けない」というのもあります。私もやってみたが、写真くらいしか受け付けていないのであろうか。連絡網管理者の(やはりサークル後輩の)Mzさんに、開き方を教えてくださいと依頼しました。

 さっそく、開き方が送られてきました。パスワードを使って、さらに奥のURLにアクセスする必要があった。若い人たちは、このあたりの手順を身につけているんですね。さらに、添付ファイルがついていない(と見える)わけも、説明してあった。この「連絡網」は今回はじまったわけではなく、すでに何年も前からあったものだが、そこへ付けた添付ファイルを開けると、一緒に何やらウィルスが忍び込むことがあって抗議を受け、新規に出直しをしたらしい。ただそのときの警戒注意のままにしてある方のところでは、開けないということのようです。まいわば、私は新米の飛び込みで、言葉が通じないのも、無理のないことかもしれないと感じています。

 

 それとは別に、後輩のMさんはメールにこう書きこんでいました。

 《「断裂」がありますか。私は、明朝早起きしたいので、今夜は早めに就寝します。先に書きましたが、スマホでは文章をじっくりとは読みづらいし、16日には帰京するので、帰京後にじっくり読もうかな。反応には、しばらく時間をくださいね。》


 先輩のWさんは、(添付ファイルを)読むまでもないとみているようです。さすが、言葉を専門とする学者のようです。

《F様 Wです。ざっと調べたところ、やはり添付ファイルはないようです。しかし、絶対ではありません。今はその添付ファイルがなくても議論は可能なようなので、改めて探す必要もないと思います。「断裂」はアキレス腱を連想する言葉ですね。私はこのような言葉を自分に対して使われたことがありません。最初から「断裂」などと言われたら、もう議論はいいよ、という意味のように感じます。》 


 そうなんです。「議論はもういいよ」というより、「議論になっていませんね」というのが、私が指摘した「断裂」の意味だったわけです。

 そこへ北海道に在住のSさんが近況報告を送ってきました。彼は、私とサークル同期であっただけでなく、学部学科専攻も同じだったので、そちらの同窓生にも同じ内容の近況報告を送ってたのです。PCなら「添付ファイル」が開けるだろうと、「お目通し下さるとありがたい」と書き添えて、pdfを送りました。

 Sさんは、次のように書いていました。

《添付pdfの件、試してみました。普通にダブルクリックしたら開かず。ただ、ワンクリックしたら、(普段使っているgoogle chromeではなく)新たにMicrosoft edgeが起動し開けました。何故か分かりませんが。/「断裂」の方は、私には残念ながら難しくて今のところ内容が理解できません。》


 お二人は「断裂」があるとは思っていないようですし、Sさんは「難しくて」と取り合ってくれません。そうか、そうなんだと、わが胸中に浮かぶ思いを反芻しています。なんだか独り相撲だったようです。

 MさんもWさんも、私との言葉のキャッチボールを軽快にやりとりしていたつもりなのに、なぜかFは直球勝負していたつもりらしいと、いまさらに気づいたのかもしれません。Sさんが「難しくて」とやんわりと敬遠したことで、そのあたりの事情が浮かんできたわけです。

 2,3年に一度しかあっていなかった者同士が、半世紀以上もの間をおいてやりとりした言葉を、直球勝負のように投げたり受けたりするもんじゃないよ、何考えてんだおまえさんはって、言われたようなものですね。


 こりゃまた、失礼いたしました。

 植木等じゃないが、そう言って退席した方が賢明です。いろんな感懐が、湧き起ってきます。私自身の人生が、こういう軽く快ちよく触れるか触れないかでやりとりするキャッチボールを経験していない。ひとつひとつの出来事や出くわす言葉を、わが輪郭とみてとらえ変えし、わが身に引き寄せて意味を問い直すという、なんともメンドクサイ回路を築いて、そこに入ってこないことを組み込む作法を知らない。そんなことで、「他者」と向き合って、はて、何処までコミュニケーションを成立させることができるのか。よくぞ、その歳まで、身近にいた人たちがつきあってくれたものだと、嗤われてしまいそうです。

  いやはや。

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