大統領選で敗れたトランプが、籠城戦をするのかと懸念されていましたが、どうも、撤退戦に入ったようですね。12月の各州からの選挙人選出が「投票結果」の通りだったら、城を明け渡すと関係部署が明け渡しの準備に入ったとバイデン側に通告しました。トランプ本人は、あくまでも「不正選挙」を訴えてぎりぎりまで頑張ると気勢を張っていますが、ま、それは敗軍の将のつね、殿を務めるのが誰かはわかりませんが、このまま突き進むと籠城戦しか残らなくなり、それは討ち死にしか道が残されないと、彼の頭も理解したのでしょうね。
あるいは、前代未聞の票を獲得したトランプを担ぐの人たちが、4年後を目指せと視野を広げたのかもしれません。つまりまだまだトランプ人気は、侮れないということです。
トランプ人気が何を意味しているのか、相変わらず考えておかねばならないと思っています。ひとつリンクするのは、トランプの登場は、かつてのドイツにおけるナチスの登場と同じ質のものではないかということです。ナチスも、ワイマール共和国の「最も民主的な体制」のもとに誕生しました。第一次大戦後にドイツが背負うことになった過酷な負債に苦しむドイツ国民にとって、憤懣のはけ口は債権の行使を急ぐフランスなどの近隣諸国でした。そう言えばヒトラーは、優秀なゲルマン民族を旗印に掲げました。ちょうと都合のよい標的としてユダヤ人を見つけて槍玉にあげたのも、トランプの見つけた標的と同じですね。対立候補クリントンであったり、イスラエルに敵対するイランやテロリストであったり、果ては中国やコロナウィルスにまで、次から次へと標的をでっちあげてきました。それは自らを指示してくれる選挙民の歓心を買うための宣伝戦であったし、ウソでもなんでも百遍繰り返せばホントウになるという「マインカンプフ」の操作戦術と似たようなものです。ただ一つ違って幸いだったのは、トランプはナチスの親衛隊のような私兵をもっていなかったことです。プラウドボーイズや全米ライフル協会を私兵に育てようと思っていたのかもしれませんが、やはり彼らもアメリカ民主主義社会の育ち、そこまで利用されるほど馬鹿ではなかったといえるかもしれません。もっとも、そうは言っても、武器を持った彼らがいつまたトランプ親衛隊に豹変するかわかりません。大統領が正式に後退するまで、目が離せない所です。
ナチスは敗戦によって解体され、ドイツ国民もそれを支えてきたことを肝に銘じて、戦後大胆な法的規制を自らに課しています。はたしてトランプの4年間をアメリカ国民がどう総括して、今後に活かすか。分裂を、ふたたびユナイテッドするのがバイデンのお仕事になるのでしょうが、ただのオバマ時代への復帰だとすると、また再びトランプ勢力は生きながらえるってことになるんじゃないか。そんなことを東洋の島国の片隅で私が心配するのは、国際政治がこれほど私たちの身近な暮らしにビンビン響いてくるようになったのは、やはりエゴ剥き出しのトランプ流が目に見えるように展開してみせてくれたおかげです。それは同時に、日本の政治もまた、トランプとほぼ同じ土俵で繰り広げられていることを如実に曝してくれています。国家の為政者が、こんな素人の私と同じセンスで、右往左往しているのかと思うと、安穏としているわけにはいかないと不安になるのです。
民主主義というのは、素人が国家の運行を操船するようなものです。潮流を読み、星を見ていく先を見定め、いやそもそも、何処へ、なぜ向かうのかも、その都度見極めながらすすむのですから、船の能力や将来的なコトを見越した修復を重ねながら、重い荷や軽い荷の優先順位の評価をつけながら、降ろしたり積んだりしなくてはなりません。専制国家のように「優れた誰か」にすべて任せてのほほんとしていると、いつか経験したような沈没の憂き目をみないとも限りません。それらすべてが、「あなたの手にかかっています」と責任を押し付けられる。それが民主主義です。
優秀な民族という甘言、偉大な国よ再びという願望、#ミー・ファーストというホンネ剥き出しの心地よさは、足元を危うくすることを肝に銘じなくてはなりません。いつも勝つことしか頭にないと、すべてがフェイクと謗りたくなっても来ます。トランプのデタラメなフェイク・ニューズは、まさしく民主主義時代の産み落としたものにほかなりません。
多種多様な人々とかかわりあって世の荒波を航るには、いろいろな事態に遭遇することになります。挫けず、倦まず弛まず、雨にも負けず風にも負けない丈夫な体をもって、生きていってねと、次の世代に託す祈りを込めている次第です。
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