2020年11月30日月曜日

天罰をどう呼び戻すか

 2020/11/17の本欄で、浅田次郎『マンチュリアン・リポートA MANCHURIAN REPORT』(講談社、2010年)を取り上げた。そのなかで、物語の分岐点としても取り上げられている万里の長城を舞台とした物語、浅田次郎『高く長い壁』(角川書店、2018年)を読んだ。前著で不完全燃焼しているこの作家自身の、日本軍の中国侵略への批判を少し燃焼させたのが後著、と私は読みとった。

『マンチュリアン・リポート』は天皇の密命を受けた将校が身をやつして張作霖暗殺の経緯を調べ午前に報告するという筋立てであった。当然視界は大局を見つめるようになり、調査報告も統治者の目線に絞られ、関東軍の動きも上層部の怪しげな蠢きを浮き彫りにするように話はすすんだ。だが、その大局を辿る著者の(現地調査の)視線は、軍内部のヒエラルヒーからもこぼれ落ちる「倫理性」に目が止まり、軍の大局視線からは大きく外れる現地住民の暮らしと憤懣に気持ちを寄せないではいられない。その思いを、南は南京後略、北は満州の鎮圧に傾ける軍事戦略のはざまで取り残される万里の長城付近の駐屯軍に起こる「事件」、小状況にことよせてミステリ仕立てにしたのが、『高く長い壁』である。

 大局と小状況を対比して考えてみると、目下のコロナウィルスに対する政府と東京都の齟齬と確執にも、思いが及ぶ。経済の衰微を大局と呼んでいいかどうかは議論もあろうが、政府が経済状況を勘案しているのに対して、東京都はコロナウィルスの広がりをみている。それを小状況とよぶのもまた、異論がないわけではなかろうが、小状況は東京都がよくつかんでいる。しかし、大局をみている(と考えている)政府は、小状況の権限を認めないで、末端まで支配が行き届くことと思っているから、go-toトラベル開始のときに、東京都を除外するという決定をしてしまった。ところが今になって、小状況をつかんでいる東京都が要請すれば受けると「責任を都に押し付けるような姿勢に転じた。それを都知事は遺恨をもって素知らぬ顔を続ける。政府は、go-toトラベル開始時のスタンスを変えたと表明すれば片づくことなのだが、メンツにこだわる現政権は、下駄を都に預けたまま、ワシャ知らんよという。こんなことをしていたのでは、都民は堪らないねといいたいが、もともと自助・自己責任で自己防衛しなさいというのが政府の基本姿勢なのだから、国民の方は、政府の無策には慣れている。こんな時にもしあなたがミステリ作家であれば、小状況のどのような事件を媒介にして、大局の無茶苦茶な無頓着で無策な様子を炙り出すか。そんな心もちで読むと、なかなかこれも、「高く長い壁」であることが読み取れよう。

 つまり、八百万の神をなんとなく信奉している庶民目線でいうと、政府がワシャ知らんよという顔をするのに対して、わしらも知らんもんねと、応じている。それが現実態。もし政府が、シモジモは金銭に触れることとなると素直に動くと金をちらつかせて庶民の琴線を揺さぶると、美味しい所だけ頂こうかなと元は己の納めた税金であることを忘れて得をした気になる。でも、それ以外のやりとりは、バカだなあ奴らはと白けてみている。私は、これはこれで、「高く長い壁」を掘り崩していく手立てになっていると思う。むろん長年かかるであろう。あるいは、「危機」を醸成して、わしらも知らんもんねという心持を保てないほど(為政者が)揺さぶってくることも経験上知らないわけではないから、用心はしている。だが、利用できることは利用する。でも利用されるのはまっぴらごめんと、距離を置いて眺めている。

 せいぜい、浅田次郎のようにミステリを仕組んで、「高く長い壁」に乗じて無策を続ける為政者たちに天罰が下ってくれないかと、祈っているのである。

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