2021年3月10日水曜日

コロナ時代を生きる。助けて。

 緊急事態宣言を再再度延長はしたものの、結局何をどうするかは、各人が考えてくださいと、無策というか、自助努力へ丸投げである。政府も首都圏の知事たちも「掛け声」だけで精いっぱいのようだ。為政者がコロナ禍を回避するために、どう「密」を避けるかを戦略的に打ち出さない限り、この状態は続くと考えるしかない。

 人の流れ(の多いの)がモンダイというのは、その通りだ。だが、都知事にそれを止める思案は期待できない。なぜなら、一極集中を解消したいとは(都知事としては)口が裂けても言えないからだ。首都圏の1都3県も、東京からのいささかの分散を受け容れはするものの、大きな変転は希望していない。政府は、言うまでもなく、中央集権制を崩すつもりはなく、地方分権もタテマエ程度には掲げるが、実行に移すとは毫も考えられない。

 つまり、「密」を戦略的に思案する「部署」は、どこにもないと思われる。自然発生的には、すでに、地方への分散が始まっているようだ。微細だが東京から、周辺都市への人口の社会移動が起こっている。周辺都市への「住みやすい街」という評価が高まってもいる。都心のタワーマンションの売れ行きが鈍っている。

 では、戦略的に「密」を避ける将来計画を誰が考えるのか。結局、民間のシンクタンクか学者しかいない。それがどれほど政策に汲み上げられるかも、学術会議と政府のやりとりをみていると、まことに心もとない。加えて、(議会への提出文書の誤字・脱字、訂正や配布しなおしが増えているという)官僚の力量低下の報道を知ると、政府には全く期待できない。民間のシンクタンクや学者の施策を、地方自治体が汲み上げて、できるところから政府の施策決定をまたずに、どんどん「経済復興計画」として実施していくのがよいと思う。というか、それしか方途はない。

 首都圏や都心から地方に、若い人々を呼び寄せる。あるいは、齢を取ってからの暮らし方を提案し、田舎暮らしとまではいわず、地方都市での余裕あるのんびり暮らしのすゝめを広める。そこには、都会生活で溜まったストレスを解消するだけでなく、会社や行政に依存するのではなく、自分たちで自律的に暮らしを立てる、生き方の違いを盛り込んだ視点が盛り込まれているのが、よい。

 つまり、コロナ禍を避けて暮らすというのは、ワクチン接種がはじまればそれでひと段落して、元の暮らしが戻ってくるというのではない。この先ずうっと、変異株をふくめてコロナ禍とともに長く暮らしていく覚悟が必要なようだ。つまり、これまでの一極集中型の都市生活とは違った生き方が求められていると、現下の行政の無策ぶりをみていると思わざるを得ない。自助努力するのであれば、私たち自らが、生き方の方向転換を図る必要があると、「自粛生活」の中で感じている。

 もちろん、稠密な人の集まりだけではない。食事の仕方も、宴会のやりようも、スポーツ観戦や演劇や映画などのエンターテインメントも、コロナ対応を組みこんで展開する形を考えておかねばならない。

 しかし、そこはかとなく思っているだけでは、事態は動き始めない。もちろん、民間のシンクタンクや学者さんには思案してもらいたいし、どこかがそういう声を拾って集約し、将来設計を展望してくれないと、社会的な動きにはならない。トヨタがスマートシティというのをつくるそうだから、そういうところでも、コロナ時代の街づくりをみせてもらいたい。

 と同時に、私たち個々人が考えたり、動き始めたりすることもあるのではないかと、私の気分の中で「なにか」が蠢き始めている。なんだろう。

 「密」を避ける日頃の振る舞いの仕方。買い物にせよ、人付き合いにせよ、日常的な運動や趣味の「なにか」にせよ、コロナ感染を避けるために「かくかくする」ということを、むしろ、日常の暮らし方としてこの先長く続けていける「かたち」に仕上げていく地点に来ていると思う。一時的な避難生活ではなく、この先、末永く付き合っていく暮らし方として思案し、次の一歩へ踏み出す。

 公共交通機関を最小限にするのも悪くない。できるだけ歩く、自転車で、あるいは車で移動する。人と会うのも、必要最小限にする。同時に、コミュニケーションを欠かさないために手段を講じる。若い人たちはリモートの会議や集まりを容易にもつことができるようだが、年寄りには、ムツカシイ。なぜだろうと考えてみると、機器の操作がわからない。もちろん「トリセツ」を読めば書いてあるとはわかるが、それがめんどくさい。メンドクサガッテハイケマセンというのは、若い人だから言えること。年寄りがメンドクサイと思うのは、ごくごく自然なことなのだ。とすると、ヘルプ機能を持った社会的なサービスを、手近なところに設えてほしい。デジタル的にはいろいろ設けられているだろうが、アナログ的に応答してもらえる社会サービスが適切なのだ。

 というふうに、モデル的なデキル人たちばかりでなく、うまく生きられない人たちもそれなりに適応できるような社会的仕組みを組みこんではくれまいか。できるだけ自助努力はするから、そうやって助けて頂戴。そう思っている。

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