2021年3月12日金曜日

札所巡りの道――丑年の竹寺

 昨日(3/11)、軽い山歩きに行った。前日は風が強かったので、日をずらした。高速をつかえば1時間余のアプローチだからと7時ころに出たのが災いした。世の中は通勤時間帯だ。高速に乗るまでが混む。降りてから、また混む。2時間かかった。当初、小殿のバス停付近に車を止めて歩く予定にしていたが、同行する人がいないとわかり、竹寺に車をおくことにした。そう教えてくれたのは、山の会のkwmさん。先週歩いて、3時間半の道とあった。お茶を頂戴し、団子を食べてきたと、ご亭主と一緒に、育った実家に立ち寄ってきたとメールを頂いていた。地図をみると竹寺は山の中だが、駐車場があるらしい。そこから子の権現まで往復するルートは、要所に巻道もあるから、往還に違った道をとることができる。

 竹寺の駐車場は、naviの案内する一本道のどん詰まりにあった。広い。止まっている車は2台。トイレもある。「竹笹そば」「竹笹そば」の幟がはためいている。歩き始めたのは9時5分。掲示板にはイラストの案内図が貼ってある。傍らに色がはげ落ちた古い境内案内図が肩をすくめている。自然林に踏み込んだのかと思うほど灌木や竹を生かした境内が奥へと続き、おっ、一木造とでもいうのだろうか、一本の木を彫りぬいたトテームポールの下方と中段に仁王や地蔵が彫り込まれている。本坊の左方後ろの山へと広がる通路には竹の鳥居が十本連なって建てられ、その先の石段を上ると大きな茅の輪と牛頭天王本堂が待ち受けている。お寺なのに竹の鳥居か、神仏習合の極みだなと考えるともなく思いながら、上へと登る。そう言えば、駐車場から境内への入口の処にも赤い鳥居が立っていた。

 一番高い所に位置している牛頭天王本堂の脇で、大工仕事にとりかかっている60年配の方がいる。

「何をつくってるの?」

「明後日13日に、ここのご本尊12年ぶりの御開帳の祭礼があるんだよ。そのご奉祀された方々のお名前の掲示場」

 牛頭天王本堂には八王子の像が本尊という。そういえば、naviで「竹寺」と検索すると「竹寺(八王子)」とあり、いや八王子じゃないよ、飯能だよと思ってよく見ると、住所は飯能になっていた。えっ? とすると、八王子って、もとは牛頭天王の八人の王子ってことが謂れなんだと気づく。丑年ごとに御開帳で、12年毎。今年は歳男ならぬ齢寺ってわけだ。竹寺と並べて八王寺とも書いてある。

「(ご奉祀って)檀家の方々?」

「いや、このお寺は檀家がないんだよ。全部、こういうご奉祀でまかなってる」

「そりゃあ、たいへんですね」

「うん、それに、ほらっ、そばとか団子とかってもんもあるだね。まだ早いから人がいねえべ」

「いや、これから子の権現まで行ってくるから、帰りに頂戴しますよ」

「ああ、子の権現は、そこの脇の道。1時間くらいよ」

 と見送ってくれた。

 すぐに「←小殿・子の権現→」の標識が目に入る。よく手入れされた杉林に囲まれた道は、しっかりと踏まれていて往来が多いことがうかがわれる。

 10分くらい先の合流点から巻道を外れ、山頂部を乗っ越すルートをたどる。二等三角点が置かれた標高630mのピーク。ここも杉林に囲まれている。そこから下って巻道と合流するところが豆口峠。「神送り場」の看板がある。「疫病退散を願って、夜中に鉦や太鼓を打ち鳴らしてこの峠を駆け上り、疫病神を追い払う儀式」があったようだ。コロナでもやってるかな、と思う。

 ふたたび上り、降って、歩きやすく踏み固められた道をたどると、伊豆が岳や天目指峠からのルートと合流する。ここにも質素な木の鳥居があり、分岐の標識が置かれている。伊豆が岳への踏み跡は、登山路だ。じつは、子の権現は「32番札所」。竹寺は「33番札所」であるから、いわば巡礼の道。それで踏み固められ、山頂経由ではなく、巻道が設えられているのだ。

 子の権現には参拝に来る人が三々五々見られる。お札をもらっている人もいる。上の本堂付近には金のわらじや下駄の、大きな飾り物が置かれていて、山歩きのご利益を表しているようである。ここは、伊豆が岳からの下山の通過点としてよくとおった。一昨年であったか、山の会でも、飯能アルプスの経路としてここへ降りたこともあった。

 帰りには、ピークを巻く道をとり、後半は小殿からのルートを辿って竹寺へ戻った。大工仕事はほぼ終わっていた。何人かの参拝者もきている。登山者らしい服装の若者がポツンポツンと、見える。12時前だからうどんを食べながらお昼かなと考えていたが、茶店は相変らず留守のようであった。駐車場の車の中でお弁当を食べ、1時過ぎには家へ帰った。

 3・11の十年目。災害準備の一番大事なことは、まず、元気でいること。今日くらいの山散歩なら、毎日続けてもいいと思った。

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