軽快に歩いて帰って来た一昨日の山歩きが影響しているのであろうか。昨日は、何かを書き留める気が湧かなく、本を読んだり、図書館へ足を運んだり、5月の長旅の計画をたてたり、蕎麦を打ったり、つまり身の習いになっていることをだらだらと続け、ぼーっとして過ごした。若い頃は、よし、もう一息と気合を入れて書きものをしたりしたものだが、その、もう、一息が湧いてこない。湧いてこないことを、忸怩たるものと感じていないのが、年寄りの特権のように思っているのが、高齢者の見極め。
ふと思うのは、この「年寄りの特権」というのは、わが身が衰退していく着実な過程を歩いているという認識をベースにしていることだ。若い頃は、つまり健康な身としては、身の衰えという「生きるのが下手な振る舞い」に反照してわが身を励まし、身を立て名をあげと考えていたともいえる。つまり、歳をとるというよりも、身の衰えという悲劇的な出来事に反照して、自らの立ち位置を確認していたといえる。どうしてそれ、つまり「衰え」が、反照ではなく、すんなりと受け入れられるようになったのか。もちろん、わが身が「衰え」の当事者だからであるが、「生きるのが下手な人の在処」を自然なこととして認識するようになったからにほかならない。逆にいうと、健康に生きることのなかに「衰え」が当為的なものとして算入されていなかった。反証するべきものとしてしか認識されていなかったのだ。
健康という幻想に「衰え」が組みこまれて泳なかった。いわば永遠の命を仮託していたのである。「衰え」は、世の習いであるのに、それを排除した「健康志向」が身の重要事と思い込み「衰え」を悲劇的なコトとみなし、遠ざけようと振る舞っている。その「健康志向という合理性」は、じつは、誰もが、どこでも、いつまでも、健康であることはできないという時系列を組みこんだ認識に支えられている。それにも気づいていない。
反照が幻想を保持するのには欠かせない、ということを私に最初に教えてくれたのは、宇野経済学であった。資本家社会の姿をとらえるには、資本主義に浸った幻想ではなく、そこから一歩ステップアウトした幻想が必要だと哲学的に位置づけた経済学がそれであった。そのステップアウトした幻想が、例えば社会主義であったのに、資本家社会の幻想は幻想であるのに社会主義のイデオロギーは「真理」であると思い違いをしているのがマルクス主義者だとみてとっていたのである。
では、それらの「幻想」の真実性は、何処で確証されるのか。いや、そんな確証されることなんかありませんよ。真理がどこかにあるという幻想を作り出したのはソクラテス哲学。それがヘーゲルまでの哲学世界を呪縛してきたと見切ったのがニーチェだったと知ったのは、いま少し後のことであった。
おや、なんのお話をしてたのでしたっけ。そうそう、「年寄りの特権」でした。三題噺的に結論付ければ、ニーチェの見切りの果てに到達したところに、ゾロアスター/ツァラトーストラがいた。それはニーチェにとっては大地に還るという自然観との出会いであったのだが、考えてみると私たちは子どものころから、その自然観に似た感覚を身に備えて育ってきている。「年寄りの特権」が反照ではなく自然(じねん)だと受け容れるのは容易であった。ただ、ニーチェは、反照という回り道を認識の経由地点として組み込んで「じねん」を抱え込んだが、私たちはショートカットしてしまっている。だから、じつは、そのじねん感覚も、ニーチェを理解したことにはならないと肝に銘じることではあった。
回り道をするのが良いか悪いか。私たちは学者じゃないから、市井の民の自己認識としては、直観的符節合わせだけで十分である。一知半解と謗られるかもしれないが、ニーチェを理解したいわけじゃないから、勘弁してよ。そういうことを夢うつつで思って目が覚めた。
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