1年前(2021/09/10)の記事、「季節のせいか復調の兆しか」を読むと、東松山の森林公園へ恐る恐る出かけていたことがわかる。そう言えば去年は、4月の遭難事故のリハビリで右肩と肩甲骨と首が傷んで、満足に歩けなかった。奥日光の戦場ヶ原を抜けようとしたが直ぐに草臥れて、途中から赤沼に引き返した。2時間しか歩いていない。そのあと、丸沼高原のロープウェイで上がって日光白根山の中腹まで登ったが、休み休みして4時間余歩いたのがやっとだったと思い出される。
5月から転院してリハビリをはじめてから3ヶ月、リハビリ・クリニックでやっている鍼を奨められて行った頃から、恢復が早くなったように感じる。月2回の鍼が年末には月1回になり、やがてマッサージだけになり、それも2週に1回となっていたのが、今年の7月。そして、左手の平の手術をしたのだが、そちらの痺れと痛みがはじまって以来、右肩と肩甲骨の不具合は忘れてしまっている。良くしたものなのかどうかはわからないが、より大きな負荷が加わると小さい負荷は忘失される。身はほどよく全体を身計らっているようだ。もっとも、そのツケは身全体の劣化として支払いようもなく劣後負債になっているんでしょうけど。
このところ9月に入ってから気温もそこそこ涼しい日がつづく。今朝ほどは夜中に脚が冷えるように感じて目が覚めた。タオルケット一枚では用が足りなくなってきた。台風もいかにも9月らしく、相次いでやってきている。その昔日の季節感が嬉しくなるのは、歳のせいか温暖化の所為か。
昨夜は「中秋の名月」を見ようと夜7時半頃外に出た。
えっ、ないぞ?
そう思いながら、見晴らしの利く武蔵野線の高架橋へ行ったら、やっとみえた。まだ低い所にまん丸の月が輝いていた。双眼鏡を通してみると昔と変わらぬあばたがくっきりと大きくみえる。湿気が少ないせいか、それとも「名月」と思っているせいか。本当に名月なのか。そうだ、月は同じ面しかみせていないのだと改めて思った。
わが身は年々歳々移り変わる。恢復と同時進行で経年劣化も進む。月だって同じように地球との関係や太陽との関係で少しずつ移ろっているのだろうけど、私らヒトの時間尺度では見分けることのできない不動の様相を呈している。
中学生の頃、まだ舗装もされていない国道を歩いて、夜中に西の家から卵をもらってくるお使いに行ったことを思いだした。煌々と照る月が道を照らして周りの田圃も闇も怖くなかった。そのとき歩いている私に、月がついてくることに気づいた。何だか見守られているように思って嬉しくも不思議に感じたことがあった。
これもいま考えると、過ごしているときと空間のスケールの違いがあるからだとアタマはリカイする。リカイはしても不思議の感覚は残るから、そのカンケイに「悠久のとき」をみてとって、彼岸と此岸の共存を腑に落としていたのかもしれない。
これって、ただの妄想と言ってしまえばその通りだが、メカニックなリカイよりも自らの立ち位置を決して手放さないで超越的存在に対する敬意を込めていることを意味する。これは素晴らしいではないか。限定的存在のヒトが、超越的存在を身の裡の世界として組み込む作法がこういうことに現れている、と思えてうれしい。
科学的探求が解明する理知的世界理解は、当初(その理解の裏側に)、ヒトの卑小性という立ち位置を伴っていた。それはじつは、理知的理解の対象世界に対して超越的な存在として敬意を払っていた証しなのだ。それが失われた。理知的理解がメカニカルなリカイに終始し、その超越的(立ち位置の違いから来る時空間のスケールの違い)存在に対する畏怖の念、敬意を喪失してしまった。それが、社会的な関係として言えば、資本家社会の機能的な駆動力に圧倒されて科学が利益に通じる技術としてのみ評価されるようになったからだ。それは同時に反面で、(自分の立ち位置を手放さないが故に発生する)畏怖の念が、ただ単なる権威的な力に遵う従順性となって現れるようになっている。
それが群れをなすことによって自律しているという幻想を纏い、政治的熱狂として表出しているのが、アメリカ共和党のトランプ現象ではないか。いやアメリカばかりではない。日本の旧統一教会も、自民党も野党も、みな卑小なるヒトの立ち位置を忘れ(同時に超越的存在への畏怖の念と敬意を忘れ)、悠久の時に自らを位置づける作法を忘失してしまったのではないか。ただ単に宗教性の喪失と言うだけではない。ヒトの卑小さ(の自覚)をどこかに置いてきてしまった生き方が、世界覆い、自然を食い尽くそうとしている。SDGsとしゃれる前に、その哲学的な視線を導入する手立てを暮らしの中に組み込む工夫を考えようではないか。
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