2022年9月7日水曜日

何が心を揺さぶっているのか?

 後で考えてみると不思議な体験であった。ある田舎の図書館に入った。建物の作りが斬新な感じに惹かれて踏み込む。入口で靴を脱ぐというのも、好ましく感じた。建物と蔵書を大切にしていると思ったのだが、全体が木造の建物と床に座っても構わない触れ方を演出していると思い当たって、さらに感心したのであった。

 不思議な体験というのは、その後のこと。吹き抜けの傍らを広い緩やかな階段が折れ曲がって二階へ通じ、ベンチに座って本を読んでいる人がいる。左手は吹き抜けが天井まで続き開放感に溢れる。床上の、その右脇からはじまる蔵書の書架をみたとき、おおっと何かを感じた。面白そうと思ったのだが、なぜそう思ったのか精密にはわからない。

 20世紀の日本の戦争にまつわるいろんな本が並んでいる。その並びがなぜか、おおきな物語を語りかけてくるように受け止めたのだろうか。先の戦争のことは、もう飽き飽きするほど読んできたり、自分なりに筋道立てて腑に落としているつもりであったから、ざわざわするほど刺激を受けるとは思っていない。それに続く棚には、小出版社の50冊を超える人物伝記シリーズ本が並び、その先にはジャレッド・ダイヤモンドの何冊かと文化人類学と思われるタイトルの本が並び、法政大学出版の哲学の背表紙が何冊か置かれていて、歩みが止まる。何かがわが胸中にスパークしたのであろう。ここにいたら、何時間でも、何日でも過ごすことができるという思いが湧き起こる。

 書架の間を抜ける通路から隣の部屋に入ると、四方に本がビッシリ置かれた書架とさらに隣部屋に通じる通路があり、その四隅に「ゐ」「も」などの仮名を大書したカードが添えられている。それらの書架の本もまた、系統発生などの背表紙とともに、進化生物学の関連本に混じって動植物の本と哲学の関連本が並ぶ。その向かいの棚には山野草と腐葉土に関する本が上から下の方まで置かれ、この仮名の札は何を意味するのだろうと疑問符を残したまま次の部屋へ移り、「そろそろ行かなくちゃあ」と時間が来ていることをカミサンから告げられる。30分以上も経っている。まだ図書館の一階を含めて1/3もみていない。書架だって半分はみないままだ。

 私の街の図書館よりずうっと書架が魅力的であった。何かを語りかけているような感触が、たくさんの本の背表紙を眺めているだけで湧き上がってきた。所謂図書分類にしたがった配列というのではなく、本を選んだ人の胸中に漂う物語りが滲み出してくるような感触が漂っていた。私の関心に沿っていたからだろうか。いや、原始時代から現代につながる歴史の本も、へえ知らなかったなあと思うようなことを背表紙が語るようであった。

 誰が本を選んだのだろう。こんなにこの田舎町に図書の予算があるとは思えない。はじめに思ったのは、この図書館が隈研吾の建築設計によるということ。彼が口を利いて、出版社が寄付を申し出てくれたのではないか。1冊3000円の本が百冊でも、30万円の出費だ。大手出版社からすればお付き合い程度の金額だから、苦も無く応じることができると思った。

 この「雲の上野図書館」は、泊まった宿の窓からみえる。通りを隔て民家の向こうに背景にした山に溶け込むように静かにたたずむ。図書館の横に似たようなおおきな建物が並ぶ。あれは何? と訊ねると老人ホームだという。これも隈研吾の建築だそうだ。この近くに住んで毎日この図書館に通って過ごしてもいいかもと思ったことを思い出し、老人ホームは一杯かと訊く。一階はケア付き介護老人ホーム、2階はそうじゃないが冬場は申込者が多くて一杯になる、と。広い梼原町の中心部を離れると、標高7、800㍍の冬は厳しく、病院が近いここへ移り住むのが安心というわけだ。そうか、ならば夏場だけでも、この老人ホームに入って毎日隣の図書館に通おうかと思ったくらいだ。隈研吾の建築で知れ渡るようになったこの檮原町だが、彼の手が入ることになったからなのか、町政がそれを引き入れたのか、最初の建築が行われた町役場の1994年以来、ゆるりと様子が変わっていき、21紀も10年代に入る頃から、街の中心部がぐうっと整備されてきたように感じる。それはまた、別の機会に記す。(つづく)

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