台風が首都圏を直撃する最中に行われることになった36会seminar。雨台風という予報報道に期待を寄せて実施に踏み切った。静岡地方では大変な豪雨に見舞われていたのに、東京はそれ程でもなく、静かな雨降りの中、新橋に着いた。いつもと変わらぬ賑わい。
30分ほど前に、フミノさんがヴァイオリンを持って現れる。ここへ来る途中レッスンがあり、演奏道具を持ったままやってきた。ならば、seminarの時間を少し削るから腕前を披露してよということになった。
「腕を上げたねえ、音の膨らみが良くなった」
「いや、高い弦に換えたからですよ」
と謙遜する。この部屋の音の反響が随分大きいとわかり、調整している。
ぽつぽつと参加者が到着しはじめ、おしゃべりがはじまる。前回は会場が取れず8月実施になったから一ヶ月ぶりの再開なのだが、よく元気でいたねえと久方ぶりの感触が漂う。このseminarの言い出しっぺの一人ミヤケさんが先月に続いて今月も欠席と知って、心配する。メールでは「夏風邪が長引いて咳が止まらない」と書いてあった。先月は「家で転んで骨折はしていないが気落ちして」欠席した。1年前に長年連れ添った奥さんを亡くしている。
「男ってさあ、連れ合いに依存しているから、相方が亡くなると気力が萎えてしまうんよ」
と、やはり奥方の世話になりっぱなしのマンちゃんは言う。
「オレなんかはさあ、コレに見放されたら、直ぐアウトだよ」
と、近くに座る連れ合いを見やりながら口にする。
女の方々は、娘さんは近くにいるの? と独り暮らしになったミヤケさんを気遣う人が要るかどうかに気を回す。それこそ、一月ごとではなく、毎週とか日ごとに「見回り隊」が必要な気配が広がる。皆さん傘寿の身の在処をひしひしと感じているようであった。
顔触れが揃ってseminarがはじまる。今日のお題は「躰に聞け!」と大上段に振りかぶったフジタさんの70歳代を振り返る山歩きとその帰結という十年間のまとめのような近況報告。「山歩きの中動態哲学」と副題を振ってはいたが、ムツカシイ話は脇に置いて、数え70歳ではじまった山の会の活動を大きく三期に分けて概観する。
最初の4年間はほぼ毎月1回の山行。冬と夏にそれぞれ1回の泊まりがけ山行をしている。ところが5年目から山行回数がほぼ倍増する。なぜ?
いえね、会員が「主宰者のプランはきつすぎる」て言ったり、ガイドに案内してもらうお客様になったりして、山の会の人達の間に(力の差も生じてきて)憤懣が溜まる。フジタは逆に、ガイドしているつもりはなくて、山好きの友達を育てているような気分だったから、こちらにも憤懣が溜まっていった。そこで5年目から、それまで通りのフジタ・プランの山行と並行して、会員が交代でプランニングした山行(日和見山歩)の二本立てにしたから、山行回数も山中日数も倍増した。
それが更に会員間の力を差や山行意欲の違いを生む。そこへもってきて、60歳代になった女性陣の方は、孫の世話とか親や連れ合いの介護という役割が被さってきて、山への向き合い方が変わってくるってこともあった。筋力の衰えも緩やかに進むから、「山歩きがきつくなる」。他方で、二本立てになったことからフジタ・プランの山行はますます調子に乗ってオモシロさを求めて厳しいものも多くなる。達者な会員たちは「日和見山歩」に甲斐駒ヶ岳と仙丈岳を2泊3日で踏破する計画も出てきて、「きつい山行」は一層興に乗る。
そういう厳しい山行を望む人達が新規に加わるようになり、参加会員の面子が変わってくる。燕岳から槍ヶ岳に上る表銀座を歩きたいという希望も出て来たから、夏にそれを目指し、3月からトレーニング山行としてフジタが(参加希望者の声を聞きながら)プランを立て、それまでフジタが単独行で行っていた週一山行が組み込まれて、月3回の山行にまでなっていったのが2019年からの2年間であった。
ところが2020年から新型コロナウィルスがやってきた。山小屋の閉鎖とか県外移動の自粛なども続き、「日和見山歩」は途絶える。その隙間を塗ってフジタ・プランの山行は、車でアプローチすることとテント泊が多くなっていった。
その結果と言って良いだろうか、2021年4月の秩父槍ヶ岳山行の際、フジタが沢で滑落し秩父山岳救助隊に救出され4月いっぱいの入院、その後のリハビリ生活の間に、フジタの山の会はすっかり姿を消すことになったのでした。
入院期間中に思い巡った、日頃の暮らしに対する根源からの「反省」、寄る年波への視線がみせる体と心との相応と乖離。それらが80年の人生を統括するように、わが身に堆積している人類史的文化や関係を浮き彫りにする経験。それを表題的に言葉にすると「躰に聞け!」ってことになると、締めくくった。
その間に、山登りのこと、故障や病のこと、病院食や入院のことにことばが挟まれ、遣り取りが交わされる。ひょっとすると、この遣り取りの現場に揺蕩う「かんけいの気配」こそがseminarであり、皆数え傘寿の高齢者が足を運んで来る元気の素なんじゃないか。
ひょっとするとというのは、つまり、交わす言葉の向こう側に、それに関わる人達の生きているモチベーションの素を湛えた湖があるような気がしたのである。
前回同様、seminarと会食が終わると同時に男たちは散会し、女性たちは隣のレストランのテーブルに場所を占めておしゃべりタイムに入るようであった。この違いが、平均寿命や平均余命の違いに繋がっているように思った。
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