2022年9月28日水曜日

罪の意識と天罰

 図書館の書架で読み応えのありそうな厚い本を手に取った。宮部みゆき『黒武御神火御殿』(毎日新聞出版、2019年)。570頁の読み応えと言うよりも、この作家の視線の行方に読み応えを感じている。

「三島屋変調百物語六之続」という副題がこの作品の前段があることを示しているが、それを読まずとも、短編中編のそれ自体で「物語り」がまとまっている。ここに収録されているのは4話。そのうち表題の「物語り」が300頁以上を占める。

 それを読みながら「罪の意識と天罰」って何だろうと考えていた。

「罪」というのを「神の教えに叛く」と考える唯一神信仰の人たちは、身の内側からの(自然的なー本能的な)衝動との闘いという「関係設定」の上で、「罪」と向き合う。このとき「神の教え」という絶対的な基軸は、身の外から差し向けられたものであるにも拘わらず「信仰」を介在させて内化され、あたかもわが身の裡にわが身を見つめる目を育てている。何をするにせよ、わが身の裡の「神」が見ているという自問自答が、己の生き方を対象として見つめ内発的に身を正す契機となる。「やがて裁きの日が来る」ことに身を引き締めるというのは、その審判に「脅えて」今の振る舞いを正していくのであろうか。「脅える」という、(ダンテの神曲に描かれている煉獄のような、あるいはボッシュの絵が示すような地獄図に投げ込まれるという)世界が(永遠に)待ち構えるという自意識は、永遠の魂の平安を想定していなければ、発生しない。「神と私」という「絶対的存在vs一個の人」という関係に於いて成立する信仰であり、罪であり罰である。

 だが、多神教の「罪」は、我が儘にー自己中心的に振る舞いが、世俗の周囲に及ぼす及ぼす「迷惑」によって発生してくる。つまりそもそもが集団的というか、社会的な関係に身をおいて思考されいるから、世俗の集団が、その個人の振る舞いをどう受け止めるかによって「罪」も浮遊する。

 いつであったか30年ほど前に「なぜ人を殺してはいけないんですか」とTVの討論番組の見学者である青年が問うて、それ以降暫くの間世の中のいろんな立場の人たちが応えて、ああでもないこうでもないと騒がしかったが、そう言えばあの時「あなたは(なぜ)殺したいのですか?」と問う人がいなかったように、今思う。つまり「人を殺すなかれと神が曰うているから」で片づいていたことを、神なき時代に人の言葉で説明しようとするから、嘘っぽくなったり、「そう問うこと自体が許されないこと」と(因果応報とか共同体の保持を理屈として繰り出して、中途半端に)禁忌と言ってみたり、「お前を殺してやろうか」と腕をあげたりして決着がつかなかったことがあった。あの応答者たちは、たぶん、西欧的な「汝殺す勿れ」を当然のこととして応答しようとしたからじゃないか。

 多神教の社会では、一個のヒトの「罪」も絶対性を持って提示されない。ケースバイケースというと定めようがないように思えるが、誰がどんな状況の下でどのように振る舞ったかが遊動的に判断される。行為者とそれを受け止める周囲の人たちの寛容と苛烈の間が「関係的に」動く。もしそれを行為者の身の裡の意識として求めると「恥ずかしい/恥ずかしくない」というのが、「罪」の意識に取って代わる。戦後ひところ《日本には罪の文化がなく恥の文化である》とするルース・ベネディクトの指摘は、無責任の体系に通じる「遅れた文化・日本」の象徴的言葉として取り沙汰された。だがはたしてそれは、「後れている文化なのか」と、宮部みゆきは問い返しているようであった。

 こういう根柢的な問いが、「天罰」という形であったり、三途を川を渡る7・7、49日までの間に奪衣婆の洗礼を受けたり、閻魔様の前に引き出されて審判を受ける物語りにして受け継がれて来た。そうした俗信の天罰噺の一つとして提示しながら、その行間に一神教と多神教の違いを浮かび上がらせ、人の声に応えようとせぬ絶対神に対照させて、多神教の利他的振る舞いを、侍が町人や商人を護らないで何の存在理由があるかと(これまた罪深き何かを抱えている)お武家さまが身を捨てて血路を開き、自己処罰的に振る舞う。つまり天罰が天命のように置かれた状況に応じて自然に降りてくる。この物語り展開に、幅の広い迷惑な人たちの受け入れや罪人への容赦が組み込まれていて、ああ江戸の庶民のお話だなあと懐かしく読み進めるのであった。

 今の人たちは、こういう噺に共振するような素地をもっているのかな。

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