2020年6月30日火曜日
法と倫理の相互関係(1)――日韓関係の鍵
オー・ダニエル『「地政心理」で語る半島と列島』(藤原書店、2017年)を読みすすめている。前回(2020-6-28「韓国人の非近代性の根拠」)の記述で「非近代性」と読み取ったものと、私の身の裡に沁みついた「近代性」とを、出来得るならば同じ俎上に上げて考えてみたいと思っている。
2020年6月29日月曜日
深山幽谷の気配を湛える石裂山
今日は梅雨の晴れ間。車で栃木県へ向かった。来週の山の下見。何十年か前に登ったことはあるが、細かいことは全部忘れている。新鹿沼駅から人様を乗せて登山口に向かうのに、うろうろするわけにはいかないと思って、行ってみた。
2020年6月28日日曜日
韓国人の非近代性の根拠
従軍慰安婦問題とか徴用工問題を巡る韓国の、国民や政府のわけのわからない振る舞いを、とても奇異に思ってきた。「恨(ハン)」が生きるエネルギーという言い回しも、何だかわかるようでわからない国民性だと思ってきた。それを、日本人にもわかるように解き明かしている本に出合って、目下読んでいる途中である。
オー・ダニエル『「地政心理」で語る半島と列島』(藤原書店、2017年)。「地政心理」という看板に少しばかりいかがわしさを感じはしたが、藤原書店の出版物ということで、それを帳消しにして手に取った。著者は、韓国生まれ、アメリカの大学で博士号を取り、中国の大学教授や日本の一橋大学や京都産業大学の客員研究員を経て、いまソウルで政治経済リスクを評価する会社を経営する、私よりひと回り若いかた。
日本と韓国の置かれている地政学的な位置とそこに暮らすがゆえに身に刷り込まれてくる精神的・心理的なエートスのもたらす差異を解析して、日本文化と韓国文化、それぞれの国民性、根っこにある気風の違いを、丹念に資料を読み解いている。資料への目配りも行き届いている。
2020年6月27日土曜日
感じる「疲れ」
水曜日に山へ行った。
木曜日は、7,8月の山行計画を仕上げ、山の会の人たちに送った。そのあと前日の山行記録に取りかかり、文章を仕上げた。
金曜日に、その文章に写真をつけてpdfにして、山の会の人たちの送信した。歯医者で、新しい入れ歯の噛み合わせ調整をしてもらった。これで違和感が消え、食べ物が少し挟まるが、まあだいたい良くなった。
午后ストレッチがあり、汗をかいて運動をする。講師はマスクをしたまま、体育館の換気を良くし、クーラーを入れて、容赦なくメニューを提示し、年寄りを元気づける。
2020年6月25日木曜日
霧の中の快適登山・武甲山~大持山周回
昨日(6/24)、予報は「曇り、夕方に雨」。芦ヶ久保駅前の「道の駅」駐車場に集まり、2台の車で登山口へ向かった。生川(うぶかわ)の一の鳥居。武甲山の表参道だ。すでに十数台の車が止めてある。
9時、歩き始める。明るい陽ざしが深い樹林の合間から落ちてくる。このところ雨続きだから、ラッキーだねと話す。3月の大平山以来コロナ閉鎖に出くわして不参加であったmsさんも顔をみせている。上りはじめるところに建つ「LOGMOGcafe&shop」の黒い板壁には白墨で「土日祭日」「現在休業中、再開は7月中旬を予定しています」とinformationが記されている。表参道の賑わいがコロナウィルス以前にはあったことをうかがわせる。
生川沿いの登山道が大きく崩落し、ロープを張って迂回路が設えられている。去年の台風や大雨の名残であろう。道はしっかりしている。kwrさんが、私のコースタイムは昭文社地図と大きく違ってるよという。一の鳥居から武甲山山頂までを、私は1時間40分としているが、昭文社地図を見ると2時間20分。今日のコース全体を私は5時間20分と案内していたが、全体では6時間10分かかるという。後で調べてみると、私の昭文社地図1995年は、一の鳥居から武甲山山頂まで1:40とある。kwrさんの最新版がコースタイムを修正している。最新版の方がより正確だ。
2020年6月24日水曜日
シャクジョウソウとビロードハマキ
昨日(6/23)、9時まで雨、そのあと曇りの天気予報に期待して、北本自然公園へ足を運んだ。小雨が降り続く。降水量0mmがウソのように、降り注ぐ。参ったねえ。お弁当ももってきたのに、これじゃあダメだね。そう思いながら、まずはビジターセンターへ入る。
2020年6月23日火曜日
コロナウィルスと向き合う自然観
予約書の受取りだけの利用だった図書館が、時間は制限されるが書架も見て回れるようになった。ちょっと軽い小説でも借りようとのぞいたら、吉田修一の『怒り(上)(下)』があったので、借り出した。手に取って読みはじめる。おや? これは読んだことがあるかなと、頭の片隅をよぎる。事件は起こるが犯人は逃げる。場面が変わって、行方不明だった娘と東京から千葉の港町へ帰る父親の姿が描かれているところで、ああ、これは読んだと確信に変わる。だがストーリーは、思い出せない。
ブログの控えをチェックしたら、2018-11-3に「事象をみる、原因はどうでもいい、か。」と題して、次のような感想を綴っていた。
2020年6月22日月曜日
かたちは平常に戻る
昨日は夏至。一年で一番昼間が長い日であったが、あいにくの曇り空。午後5時の日食も、関東地方では見ることができなかった。そして今日は、朝から一日の雨。いかにも梅雨らしい天気になったが、午后2時半に「防災放送」があって、2月末以来、久々に「日常」が戻ってきたと思った。
「地域の皆様、いつも私たちの学校帰りを見守って下さり、ありがとうございます。今日もよろしくお願いします」という小学生の声が響き渡り、そういえばこの4カ月は、まったく放送がなかったり、午前11時半ころと午后4時半ころの2回だったりしたと、振り返って想い起した。小学生の登下校がなかったり、一日2回の分散登校だったりしたものが、今日から平常に戻った。それを夏至を境にするなんて、なかなか味なことをやるじゃないか。
2020年6月21日日曜日
医療の過剰――雨にも負けず風にも負けず
持病持ちや後期高齢者はコロナウィルスに感染して発症すると手当てを受けられないかもしれないという緊急事態は、どうやら越えたのかもしれない。第二波が恐いとメディアは新しい局面へ焦点を移しつつある。となると、第二波に備えて、ここまでのコロナウィルスの教訓を、とりあえず医療に関してまとめてみておきたい。
2020年6月20日土曜日
とうとうはじまったか
今朝目が覚め、カミサンに「昨日ストレッチはなかったの?」と問われてはじめて、ストレッチのことをすっかり忘れていたことに気づいた。
ショックも何も、手遅れも手遅れ、遅すぎるどころではない。六日の菖蒲どころか、六月のアヤメになってしまった。
じつは私は「会計」を担当している。毎回、講師への「謝礼」を用意して、持参する。ストレッチの代表者に手渡し、彼から講師に渡してもらってきた。私がお休みするときは、事前にお渡しする。それができないときは、立て替えておいてもらって、次の週に弁済するというふうにし、それで十年以上過ごしてきた。こんなことは初めてだ。
もちろんさっそく、会員全員宛にメールで、「お詫び」を送った。
2020年6月19日金曜日
目からウロコの大爆発
昨日(6/18)は、4カ月ぶりの「ささらほうさら」。私は与那国島へ旅に出ていて、2月の集まりに顔を出していないから5カ月ぶりだ。いつもの広い会場が借りられず、三密回避のために人数制限もしている。だが、不特定多数の人が来るのではなく、長年の顔見知りなのだから、公の制約に従順である必要はない。でも半世紀近いお付き合いのせいか、5カ月ぶりが別に久し振りという気がしない。顔を見ると、つい先週も会ったじゃないという程度の「馴染み感」が人閒に漂う。言葉を交わさなくてもいい関係。身の倣いが甦る日常って感じ。
2020年6月18日木曜日
信仰の山・武甲山
武甲山は石灰石採掘の山と思ってきた。最初に目撃したのは54年前。そのときすでに、皆野町や秩父市に向かった武甲山の北面は、山頂から削られており、剥き出しの山肌が荒々しい気配を湛えていた。その後どんどん削られはしたが、山頂は残されていた。北面は大きく削り取られ、中央部の北半分が台地のようになって秩父市の市街地へ迫り出すようなたたずまいを見せている。
これまで何度か登ったことがあるが、いずれも、浦山口側から。つまり秩父市の西の方から巻くように登って山頂に達していた。
2020年6月17日水曜日
都知事選の争点
都知事選の立候補者がおおむね出そろったようだ。
小池都知事は、予想通り、選挙向けにウィルスコロナ対策を行ってきたことを披歴しているように思う。要するに、懸命に都民の健康と経済の復興を考えて、バランスを取りながら取り組んできました。うまくいっていないとすれば、ウィルスが悪いか、夜の繁華街で遊ぶ人たちが誤魔化しをしてきているからだと、ちゃんと犠牲の羊を看板に出している。それに付け加えて、4年前立候補のときの公約が果たされていないことについては、それをあとの4年間で達成していきたいと、反省もなく、肯定している。
そういう言葉の詐術を、どこまで実際の展開と較べて、「不実」を感じとるかどうかが、たぶん、選挙戦にかかっていると思う。それが「争点」だ。
2020年6月15日月曜日
三国の境をうろうろと
「自粛解除」の響きがよほど体にいいのか、カミサンの鳥友たちがひっきりなしに「鳥情報」を送ってくる。自粛慣れしたカミサンは散歩をするように、あちらにこちらにと私を連れていく。何しろ私の車がアッシーくんだからだ。
今日は雨の予報ががらりと変わって、猛暑日の暑さ。昨日鳥友のOさんからコウノトリのヒナが大きくなっていると報せが入る。もう一人の鳥友Fさんからも、渡良瀬遊水地のMAPCODEの****と8桁の番号が記してある。マップコードってわかる? と聞かれ、でもスマホのgooglemapが使えない。結局、Oさんの「国道4号を行って、野木駅入口を左折、思川を渡って土手を下った最初の信号を左折してまっすぐ行くと土手にぶつかる」とあるのをメモして、場所を調べる。栃木県の小山市になる。渡良瀬遊水地の北側。広大な葦原が広がっている。googleの地図では「コウノトリ人口巣塔」とある。何だ、こんなにはっきりしているのかと拍子抜けをしたくらいだった。ところがスマホのgoogle-mapで調べると小山市のその周辺に「コウノトリ人口巣塔」というのが、ほかに5カ所もある。ずいぶん力を入れてコウノトリの保護と育成をしているようだ。
2020年6月14日日曜日
村八分
本届いたよ、大変な仕事でしたねと電話やメールが入る。あわせてコロナウィルスの「閉門蟄居」が大変でしょうと、ねぎらいの言葉が交わされる。岡山県はそれほど感染者が出ていない。田舎の方が「3蜜」にならず、ヒトの暮らしにいいのかもと私が言ったものだから、いやそうでもないよ、じつはねと話しが転がった。
2020年6月13日土曜日
大胆に試みる内発性
昨日のニュースで驚かされたのは、アメリカワシントン州シアトルの「自治区」の誕生。デモ隊が警察署などを占拠、「警察なしでもやっていける」と一帯を「自治区」と宣言したという。シアトル市長もこれを認め、今後どうなるか様子を見守るとしているのが、いかにもアメリカらしい。アメリカらしいというのは、もちろん私の原イメージのアメリカ。人々が集まってコミュニティを作り、善し悪しを一つひとつ確かめながら「法を作り」制度化していった径庭を彷彿とさせる。
それを市民のアクションで行うだけでなく、行政当局が「成り行きを見守る」という姿勢で容認するところが、また、好ましい。つまり、一つの仕組みを絶対化せず、自らを振り返って根底的な制度改革に踏み切る「試行」を受け容れる、その志が「人民の人民による人民のための政治」を体現しているようでうれしくなる。
2020年6月12日金曜日
〝今年きんぎょも行場を失い〟
「古稀の構造色」を受け取ったという60年前の同窓生からの礼状が届く。これからゆっくり読ませていただくとあったのちに、住所と名前を記し、末尾に〝今年きんぎょも行場を失い〟と謎のような言葉がつけられている。
「・・・?」
裏を返すときんぎょ2尾の泳ぐ絵に「清泉洗心」と清楚な墨書。「たみ子」の署名と落款が押してある。
そうか、絵手紙だと気づいた。絵葉書をつかったと思っていたが、違う。筆を用い、水彩絵の具で色を付け、葉書一面のバランスを上手にとってきんぎょを泳がせ、墨書を入れる。
2020年6月11日木曜日
『時雨譜』――わが身との御対面
菅原貞夫『時雨譜』(砂小屋書房、2020年)を4月に頂戴した。オシャレな歌集である。だが私は、もっぱら制作途上の「古稀の構造色」にかかりっきりで、手に取って読むことができなかった。やっと「古稀の構造色」が出来し、菅原氏にはお返しのようにお送りしたが、制作由来は記したものの、歌集恵贈への御礼は記していなかった。やっと、以下のような返信をした次第。
2020年6月10日水曜日
真夏日の奥武蔵・有間山
明日11日あたりから関東地方も梅雨に入りそうだ。来週に予定していた山の会の山行を、一週繰り上げて、昨日、行ってきた。熱いほどの晴天。
車で登山口に乗り付ける。小さな駐車場には、すでに4,5台が止まっている。バスで来る人を待って、歩き始めたのは8時45分。kwrさんが私の事前に明示したコースタイムはちょっと早すぎる、昭文社の地図でいうと6時間以上かかるよという。私のコースタイムは、「埼玉県の山」(山と渓谷社)による。そういうこともあるだろうと思う。
2020年6月9日火曜日
ちゃらんぽらんがいいかんけい
凪良ゆう『流浪の月』(東京創元社、2019年)を読む。なんでこの本を図書館に予約したのかは、わからない。刊行されて9カ月ぶりに届いた。ひょっとしたら新聞か雑誌の書評欄をみて、読んでみようと思ったのかもしれない。私は他のことが忙しなく読む暇もなかったが、カミサンが読んで面白かったと言ったので、仕事がひと段落ついたところで手に取った。
2020年6月8日月曜日
#コロナウィルス 「自分なりの答え」とは?
TVを観ていると「BLACK LIVES MATTER」を「黒人の命は大切」と日本語に訳した看板を掲げて大阪の街をデモっているのが目に入った。どうしてMATTERを「大切」と訳すんだろう。昨日も私は、MATTERを「モンダイ」と訳してコメントを記したばかりだ。
「大切」という訳には、ものすごい違和感を感じる。どうしてだろう。そこには、あきらかに訳者の価値意識だけでなく、世界観というか、生きることに対する観念が反映されている。「大切」と訳すと、「BLACK LIVES MATTER」と提示した本意が損なわれるように感じられる。
2020年6月7日日曜日
コメントの加え方
このブログのコメントに書き込もうとした方から、「エラーが出て書き込むことは出来ませんでした」と報せがあった。私も、コメントに書き込んだことはなかったのではてどうしたものか思案した。一つ思い出したのは、googleのアカウントを持って初めて書き込んだのではなかったか。
そこで、「コメント」へ書き込みをしてみた。なるほど、メールアドレスを記入するところが出てくる。パソコンからだったが、スマホのgoogleのメールアドレスを記入すると、スマホの方に「本人確認」のメールが届いた。つまりこの手間は、いたずらなどを防ぐために、身元確認できる人だけがコメントできるようにしてあるのですね。
googleのメールアドレスは無料で簡単に取れますので、ぜひ、コメント欄に記入できるようにお試しください。
なお、本文への書き込みもgoogleアドレスからできると思いますが、2016年のこと、さてどうやってのか、私はすっかり忘れています。見当がつく方はお試しの上、その方法をほかの皆様方へお知らせくださるようお願いします。
賑やかに「古稀の構造色」の延長戦を展開できれば、これほどうれしいことはありません。
36会Seminar事務局
BLACK LIVES MATTERというHUMAN SOCIAL-SYSTEM-VIOLENCE MATTER
ミネアポリスで起こったジョージ・フロイトさん殺害事件が全米に広がりをみせている。「BLACK LIVES MATTER」という抗議の言葉が「人種差別」への抗議と解説されると、ちょっと違うんじゃないかと違和感が胸中に残る。
「キング牧師へのテロ抗議デモ以来の広まり」とメディアは伝えているが、それでは「黒人モンダイ」に限定しすぎる感じがする。今回のそれは、「人種差別」というよりは「わが命のモンダイ」と響く。
コロナウィルスの渦中にいることが、そういう響きを湛えていると思われる。
2020年6月6日土曜日
「古稀の構造色」の重み
先般出来した私家本「うちらぁの人生、わいらぁの時代――古稀の構造色」を、関係同窓の方々に送り、幾人かの方々から「拝受」の返信が届いています。その中に、同窓生ではありませんが、私の半世紀を超えるお付き合いの友人・マサオキさんに「近況報告です」とお送りしたところ、ハガキの裏表に細かい文字でびっしりと書き込んだ。次のような「令状」が届きました。なるほどこのような軽重を問う問い方があったかと、感嘆しています。ハガキのままにしておくと、いずれ埋もれてなくなってしまいます。ここに無断転載して、世間にお披露目しておこうと考えました。ご笑覧ください。
2020年6月5日金曜日
自己防疫する段階に入ったか
昨日(6/4)の東洋経済onlineの記事で「枩村 秀樹 : 日本総合研究所 調査部長・チーフエコノミスト」が、緊急事態宣言発動後の新型コロナウィルスの動向を総括して、「第2波では緊急事態宣言を避けて冷静な対策を」呼びかけている(枩村の「枩」は松の異体字)。要点は次の通り。
2020年6月4日木曜日
システムへの反省が最強のコロナ対策
東京アラートとやらが発動されて、「営業自粛」などは一進一退の様相になりそうだ。年寄りにとっては、毎日が外出自粛のようなもの。せいぜいご近所の散歩とか買い物程度だから、別に「アラート」に応えているわけでもなく、家に閉じこもっている。
まして夜の繁華街は、縁が遠い。午後十時というと、もう寝ている時間だ。居酒屋やバーどころか、外食すらよほどの慶事か凶事でもないとしない日々であるから、大騒ぎすることは何一つない。スーパーなどが混んで、空いた時間に行かねばならなくなったことと、マスクをつけることが、変化といえば変化というところか。
2020年6月2日火曜日
テレワーク完了!
昨日、出版社から「出来上がりました。今日中に発送するとのことです」と、メールが来ました。3月に入稿して、ページデザインをしてもらい、表紙も作り本にしてもらう一仕事が、やっと終わります。この間、出版社の方とのやりとりは全部、メールでデザイナーは、何年か前にも私の本をデザインしてくれた方。その方と私は、一通もやりとりをしていません。まさにテレワーク。
でも、デザイン編集してくれたページは、クラウドのどこかに保存されているのを、私のパソコンにダウンロードして、みることができました。出版社の方は、二稿まではpdfで送ってくれ、それで校正を済ませましたが、最終稿はやはりプリントアウトしたものじゃないとまずかろうと、宅配便で送ってくれました。なるほど彼の見立て通り、紙に印刷されたものをチェックすると、誤字脱字、見落としがいくつも見つかりました。プロはプロだなと、感心したものです。
2020年6月1日月曜日
with-コロナ、with-distance
「wit-コロナ」という言葉をよく目にするようになった。「共生」するってことを言っているのだと、すぐに了解してしまう。だが、with-には、「一緒に」という意味ばかりでなく、「~と議論する」とか「~に対処する」という使い方もある。つまり「with」という言葉に込められた感触には、善し悪しを別として中動態的に表現すると、「~とかかわる」とか「~に向き合う」という意味合いがこもる。
それが日本語に変換されるときには、対立的な部分と確執を醸して乗り越えていくという要素が消えてしまう。「一緒に」ってことは「同調的にでしょ」とか「仲良くするってことでしょ」と(人それぞれのもっている)善し悪しの価値観が自ずから組み込まれてしまうことが多い。その「人それぞれにもっている価値観」の多様性が、「with-コロナ」という言葉を使うやりとりの、ことばの社会的な幅になる。それを意識しないと、やりとりが錯雑して、議論ではなく言いっぱなしの演説会になる。
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