2020年6月25日木曜日

霧の中の快適登山・武甲山~大持山周回


 昨日(6/24)、予報は「曇り、夕方に雨」。芦ヶ久保駅前の「道の駅」駐車場に集まり、2台の車で登山口へ向かった。生川(うぶかわ)の一の鳥居。武甲山の表参道だ。すでに十数台の車が止めてある。
 9時、歩き始める。明るい陽ざしが深い樹林の合間から落ちてくる。このところ雨続きだから、ラッキーだねと話す。3月の大平山以来コロナ閉鎖に出くわして不参加であったmsさんも顔をみせている。上りはじめるところに建つ「LOGMOGcafe&shop」の黒い板壁には白墨で「土日祭日」「現在休業中、再開は7月中旬を予定しています」とinformationが記されている。表参道の賑わいがコロナウィルス以前にはあったことをうかがわせる。
 生川沿いの登山道が大きく崩落し、ロープを張って迂回路が設えられている。去年の台風や大雨の名残であろう。道はしっかりしている。kwrさんが、私のコースタイムは昭文社地図と大きく違ってるよという。一の鳥居から武甲山山頂までを、私は1時間40分としているが、昭文社地図を見ると2時間20分。今日のコース全体を私は5時間20分と案内していたが、全体では6時間10分かかるという。後で調べてみると、私の昭文社地図1995年は、一の鳥居から武甲山山頂まで1:40とある。kwrさんの最新版がコースタイムを修正している。最新版の方がより正確だ。

 
 黄色の小さなラッパ状の黄色い花をつけたミゾホウズキがある。葉の先が切れ切れに分裂し、菊のような黄色の花を高く伸ばしたサワギクがある。別名のボロギクの方が葉の様子を表していて面白い。寄り集まった沢山の小さな葉の中央部分が薄緑で外へ向かうほど色が濃くなるグラデーションが面白い葉がある。カラマツソウ? とどなたかが口にしたが、後で調べてみるとマルカゼソウの葉に形が近い。花はないからわからない。小さな花びらを十文字に開いて頭頂部に何輪かつけている草は、茎で隔てられた四枚の葉が二枚ずつ大小になって一カ所から輪生している。ミヤマムグラというらしい。マムシグサがまだ若々しい花を伸ばし、目を惹く。
 フタリシズカが麓の方から上の方までたくさん咲いている。標高の低い方は花期を過ぎ、上の方が見ごろという感じ。「あっ、これサンニンカシマシ」というと、「これはヨニンニギヤカ」とつづき、「ゴニンヤカマシ」もあった。中腹に、ツルが1メートルほどに大きく伸び、茎のところどころに着いた葉の付け根に赤茶っぽい花をつけたツルガシワが群生している。
 葉がボタンに似ているルイヨウボタンが、武甲山の上の方に樹林の床を覆うように広がっている。たくさんあった。「どんな花なんだろう」と訊かれたが、私はその花の名をつい先週教わったばかり。花期は終わったようだ。
 
 雨が落ちてきた。雨具を着る。何人かが追い越してゆく。若い男たちの3人パーティが後ろから来る。私たちが道を開けると、後に立ち止まる。
「先へ行ってよ」というと、少し躊躇している。kwrさんが
「オレたちより三十くらい若いだろう?」と急き立てる。ではではと、彼らが先行する。
 この人たちとは、後々まで出逢う縁があった。山頂近くの神社の社の庇の下で、彼らは雨宿りをしながらおしゃべりをしていた。シラジクボで私たちがお昼を食べているとき、彼らが追いついて先へ進んだ。大持山から一の鳥居へ周回する、私たちと同じルートを歩くようであった。そしてとっくに先へ行っていると思ったのに、大持山から妻坂峠へ下る途中の広い稜線の、右の方で話し声がする。下っている彼らに追いついたのだ。霧に包まれてぼんやりとしか姿が見えない。私たちはkwrさんを先頭に、歩一歩と急斜面を下っている。彼らは一人が下にいるが、上の二人が木を杖がわりにもって、滑らないように慎重に降りている。先頭のリーダーらしき人に「やあ、また会いましたね」と挨拶すると、「技術に負けちゃいましたね。体力じゃあ、勝ったけど」と苦笑いしている。だが考えてみると、彼らの足回りは運動靴ではなかったか。山歩きなどしたことのない人たちが、スニーカーなんかでやって来た日には、この急斜面は難儀するだろう。技術の差は、用具の差なんだね。
 
 11時10分に着いた武甲山の山頂は霧の中。コースタイムより10分早く歩いている。
 1304mの金網の向こう、北側は、雲に閉ざされて何も見えない。晴れているときは皆野町と秩父市の市街が箱庭のようにみえる。kwrさんも若いころ武甲山に上った記憶があるという。浦山口から往復するのは、武甲山の西側を上る。北側は山頂から半分削り取られ、年々掘り崩されている。石灰石の山だからだ。セメントの原料ということで、この山を掘り崩し、かたちを残すために今は、山の中を掘っているそうだ。
 南側の表参道へまわって初めて武甲山の森の姿をみることができた。中腹には、大杉広場と呼ばれるところがあり、直径が2メートル以上、胸高周りは6メートルを越えようという杉の大木があった。それも一本や二本ではない。神社林として育てているのか、杉林の手入れは良くされていて、下草も生えていた。
 山頂には5人ほどの人がいる。単独行の若い女の方が引き上げるところだったので、どちらへまわるのか尋ねたら、このまま生川へ下山するという。往復4時間、標高差約800メートルの山行は、休みの日のトレーニングにはもってこいだ。表参道というだけあって、道も広くしっかりしている。
 何ウツギかはわからないが、ウツギの花が満開だ。すうっと茎をのばしその先端に四つに分かれて白い穂のような花をつけているのがある。ヤマブキショウマとあとでkwmさんが教えてくれた。図鑑で見ると、その雌花だ。「地味」とある。雄花は穂がふさふさとしていて「派手」。こういう花の名前を耳にしていたら、いい加減覚えてもいいはずなのだが、なかなか私の頭に留まらない。
 
 25分くらいでシラジクボに着いた。11時43分。ここでお昼にする。ここから持山寺を経て生川へ下る道がある。それではじめて、大持、小持ではなく、持山の大と小だと山名の由来がわかる。武甲山の南に位置する最高点1294メートルの山並み全体を持山と呼んだのに違いない。武甲山と高さで10メートルしか違わないのだから、麓からみると、こちらもやはり、どっしりとした堂々たる山に違いない。
 大きく降り、大きく上り返す。木の根が剥き出しになり、いかにも奥武蔵の山に風情だ。ギンリョウソウを誰かが見つけた。コアジサイが、やわらかい穂のような花をつけて小さい群落をつくる。小持山手前の武士平への分岐で一息つく。「いや、けわしいよ」とkwrさんが声にする。雨具をとる。
 そのすぐ先に小持山があった。11時54分。シラジクボから50分、ぴったりコースタイムで歩いている。
「ここがkwrさんの、山行中間点だね」と私。
「どうして?」
「前半はコースタイムより、5分か10分早い。後半は、5分か10分余計にかかる。ここはちょうどコースタイムだから、中ほどなんだよ」
 そういったのが、効いたのかどうか、この後、意外な展開になった。
 
 小持山から大持山への道は、標高差はそれほどないが、岩あり、削れ落ちた滑りそうな道ありで、結構慎重に歩かねばならない。先頭はペースを落とすことなく、さかさかとすすむ。kwmさん、stさんが後の続く。少し間合いが開いたmsさんが懸命についていく。私はうしろから「急ぐことないよ。追いつかないでいいですよ」と声をかける。
 大持山の三角点に着いた。ここまで40分のコースタイム通り。最高標点の大持山はそこから10分くらいのところにある。鳥首峠と妻坂峠への分岐点だ。やはり雲の中。休むこともせず、妻坂峠へ向かう。三角点から1時間10分というコースタイムだが、こんなに早く降りては、と思う。本人に言わせると、引力に魅かれて止まらないんだそうだ。引かれるのではなく魅かれるなのだ。じっさい、45分もかからないで妻坂峠についてしまった。
 kwrさんは「ここに来たことがある」という。ここから武川岳へ向かうルートを一人で通ったそうだ。一人の女性と出逢い、訊くと大持山から武甲山へ向かうというので、そりゃあすごいと驚いたという話をする。名郷がどちらの方かとstさんが話に加わり、蕨山、有馬山、武川岳、大持山、武甲山と周辺の山々がひと固まりになって胸中の地図に描かれていく。
 
 ここから生川への下りルートは、しっかりした山道で、急なところはジグザグに切ってあって、昔の名郷と横瀬を結ぶ峠道であったことがうかがえる。一人、草臥れてゆっくりと下山している方を追い越した。林道を横切るが、その林道は大きく中央部が陥没して、ガードレールも曲がってしまっている。路肩が流出してしまったんだ。それを横目にみながら、草付きの道を下る。
 一の鳥居に着いたのは3時14分。今日の行動時間は6時間14分。お昼や休憩の時間を入れてコースタイムで歩いている。たいしたものだ。ついていくのに懸命と思っていたmsさんが「面白かった」と言ってくれたので、ホッとした。この気分がなくなると、山歩きはできなくなる。
 芦ヶ久保駅へ同行者を送り、7月のkwmさんkwrさんと山の話をして帰途に就いた。5時半帰着。順調すぎるほどの帰路であった。

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