2020年6月19日金曜日
目からウロコの大爆発
昨日(6/18)は、4カ月ぶりの「ささらほうさら」。私は与那国島へ旅に出ていて、2月の集まりに顔を出していないから5カ月ぶりだ。いつもの広い会場が借りられず、三密回避のために人数制限もしている。だが、不特定多数の人が来るのではなく、長年の顔見知りなのだから、公の制約に従順である必要はない。でも半世紀近いお付き合いのせいか、5カ月ぶりが別に久し振りという気がしない。顔を見ると、つい先週も会ったじゃないという程度の「馴染み感」が人閒に漂う。言葉を交わさなくてもいい関係。身の倣いが甦る日常って感じ。
昨日の講師はWさん。「生命進化と化石」と総タイトルを振っているが、化石は入口に過ぎない。だがこれが、目からウロコであった。Wさんは素人相手に話をする導入に工夫していた。
まず、私などのよく知る塩原温泉郷付近の地質図を示し、そこが盆地状になっており、日光中禅寺湖程度の大きさの降り積もった地層の特徴を取り出す。周囲の「高原山」と総称する鶏頂山や釈迦ガ岳、谷を挟んだ日留賀岳など標高1800mほどの山並みが思い浮かぶ。木の葉化石園という地名がしるされている。通り過ぎるときに目にしたことはあったが、それがなぜ「木の葉」なのかを考えてみたこともなかった。「塩原化石湖」があった。5億数千万年前のカンブリア時代。周囲の山の土砂が雨や洪水によって運び込まれ、「木の葉が分解する前にどんどん埋め立てられ、沢山の化石が残された」ときいて、木の葉化石園の命名由来が腑に落ちる。ただの名前ではない。名前の奥行きが一気に、周囲の地形、その噴火や大量の雨による土砂の堆積、しかも「分解されないまま」泥に埋まるときの酸素の有無も影響しているいう、太古のこの土地の姿が目に浮かぶ。名がつくというのは、たいへんな事なんだと思う。
Wさんは、その堆積物の「石から化石を取り出してみましょう」と五寸釘の尖端が平らに磨かれたドライバー様のもの、金槌、下に敷くゴム製のクッションと飛び散る石片の粉末を拾う新聞紙を用意する。原石は手に力を入れても割れた。層をなす筋(「おなじ地層の縞状」とWさんは呼ぶ)に沿って五寸釘の尖端を差し込み金槌で軽く打つと、ポンと割れ、中から小さな虫が出てきた。Wさんのは双葉陽炎の幼虫がしっかりした姿をみせている。「おっ、これ葉っぱだ」とほかの参加者の声が上がる。これも、しかし、入口。
Wさんは三葉虫の化石を三つもってきていて、それをみせる。出目金のように目が飛び出ている。目の化石が残るのは稀有らしい。目というのが軟らかい肉質だからだそうだが、これが残っていたことが、進化生物学の上で、大きな発見になったのだと話はつづく。そこからが今日のメインだった。
目がどう発生したか。それがどのように生物の進化に影響したかをWさんは解説する。私が関心を惹かれたのは、次の三つ。
(1)目は当初、微生物が持つ単純な光受容体。「眼杯」と名づけられた杯状の凹みだが、それは一方向からの光しか受け取れない。多数の眼杯が集まることによって周囲の多方向の光を受け取ることができる。つまり複眼になることによって、状況認知が広くできるようになる。私はトンボの目を想いうかべて、そうだったんだと得心していた。
(2)カンブリア紀の「目の誕生」が動物たちの加速度的な進化をもたらし、それを「カンブリア大爆発」と呼ぶそうだ。「目の誕生」が動物たちに広がったワケを説明する「光スウィッチ説」が面白い。遺伝子の情報に未だ機能していない多数の「スウィッチ」があり、その一つが何かをきっかけにして「ON」になったという。つまり進化というのが、何世代にもわたる「危機的な体験」によって遺伝子に形成されるというよりも、ほんのひと世代で「スウィッチ」が入って「進化」があったように見えるというのは、私たちヒトの「固体の経験則」も進化に役立っているとみることを可能にし、腑に落とすのに作用する。
(3)目の誕生によって「加速度的に弱肉強食の連鎖がはじまる。さまざまな攻撃手段、さまざまな防御手段を獲得したものが出現し、多様性が高くなる」という、動物の「せかい」が爆発的な広がりをもったと言えるのが、面白い。光スウィッチにあたるものを皮膚感覚に持って感じていた「せかい」が、「目」という機能に集中特化させたことによって広がる「せかい」の反面、皮膚感覚で観て感じていた「せかい」が失われていったことを、どうみるのか。ヒトの「視覚重視せかい」を通して私たちはいろいろに感じている。五感の中の一つに重きを置きすぎることによって、他の感官を軽視することを、あらためて考え直さなくてはならないのではなかろうか。
Wさんの話は、三葉虫の目がどう進化していったかを、分子生物学の探究を介在させて、さらに子細に腑分けする方向へ向かった。
「目の誕生」が、なぜ三葉虫だったのか。
軟組織―硬組織、化石化しやすい鉱物でできていたこと、複眼が球面収差をどう補正していったか、それが皮膚の振動などの感覚とどう連携するようにはたらいたかと考えると、神経系のネットワークへも言及しなくてはならない。
これはこれでスリリングなのだが、ここまでに放り込まれた刺激的な「探究」が私の胸中をいっぱいにしてしまった。
化石の探求が「目の誕生」を追いその仔細に踏み込んでいく道筋や、分子生物学のまことに微細なところに目をつけて解析していく進展は、ヒトの好奇心とそれを手助けする大型コンピュータの発展などもあって、急加速である。動物の大爆発ばかりか、好奇心の大爆発を誘う。コロナウィルスとの共生をイメージしながら、私もすっかりホモ・サピエンスに戻って、5億年余をひとくくりにしていたのでした。
Wさんの話は「生命進化」の起源にさかのぼって、地球の歴史と符節を合わせて、どう進んできたかを概観する方向へと向かったが、それを中断して、続きは8月の夏合宿に持ち越されることになった。たぶんそこでは、生命体とウィルスとの依存関係がどう進展してきたかにも、言及することになるであろう。まだ、くたばるわけにはいかないと思っている。
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