2020年6月18日木曜日
信仰の山・武甲山
武甲山は石灰石採掘の山と思ってきた。最初に目撃したのは54年前。そのときすでに、皆野町や秩父市に向かった武甲山の北面は、山頂から削られており、剥き出しの山肌が荒々しい気配を湛えていた。その後どんどん削られはしたが、山頂は残されていた。北面は大きく削り取られ、中央部の北半分が台地のようになって秩父市の市街地へ迫り出すようなたたずまいを見せている。
これまで何度か登ったことがあるが、いずれも、浦山口側から。つまり秩父市の西の方から巻くように登って山頂に達していた。
昨日登ったのは、南側から。一の鳥居という駐車場があり、そこから「表参道」が山頂まで続いている。そうか、こちらが表、とすると秩父市に向いた、削り取られていった北側は「裏側」であったか。私は、こちらの方から登ろうと思ったことがなかった。というのは、横瀬町に属するこちら側には石灰の採取砕石をする工場がいくつもあり、大型ダンプカーが行き交っていたからだ。ついつい生川の沢の奥にまでダンプカーが行っているものと思っていた。だから、車でアプローチするのも嫌だなあと思っていたわけ。だが、来週の山の会では、そこから武甲山と大持山を周回するルートを歩くことにしている。せめて車を置くところの様子でも見ておきたいと、下見に行ってきた。
植物や鳥の師匠でもあるカミサンが行ってみようかといっている。珍しい。このところのコロナウィルス禍で、一緒にご近所の散歩をして、植物や鳥の話を聞かせてもらってきたから、その勢いで、同行しようという気になったか。むろん、日本百名山をとっくに終えている師匠であるから、山に関心を示しても不思議ではない。でも、4、5年程前に北岳へ一緒に行って以来、高い山にはもう登れないと話して、もっぱら、植物観察と鳥観の旅に限定していたように思った。ならば、きちんと歩いて、リハビリ登山の開始としなくてはなるまい。
車でアプローチする。関越道路を走り、花園ICで降りて寄居秩父道路に入って、皆野町で降りる。その先で秩父市へ道を分けて、横瀬駅の方へ踏み込む。生川の一の鳥居周辺をnaviに入れるのに、住所がわからなかったから、先ずは駅の「道の駅」に立ち寄ってと考えた。だが、何もない。観光案内所も締まったまんま。ただ駅前のイラストマップに、道が記されていて駐車場30台とあった。その道を辿った。たしかに大きな、石灰工場がいくつかあった。大型のダンプも出入りしている。だが、ちょっと奥に入ると「この先行き止まり」と表示された道は狭くなり、舗装もされていない。ちょっとしたオフロード感覚で、私の四輪駆動が力を発揮する。するとその先は簡易舗装がまだ崩れておらず、沢沿いに奥へと延びている。ほどなく、右側にわたる橋の先に鳥居があり、その向こうの駐車場をほぼ埋めるほど車が止まっている。ひとつ空きを見つけ、滑りこませる。8時45分。
沢を渡りすぐに登山道に踏み込む。民家だろうか、木造の建物がある。少し上に「cafe&shop LOGMOG」と壁に大書したカフェがある。開いていない。ハイオクでないのは、入口に「土日開業」らしく書いている。道は沢に沿ってずいずいと登っていく。ところどころその道が崩れ、沢へ崩落している。ロープを張り、迂回路を作ってある。
師匠は、立ち止まって、フサザクラとかチドリノキと葉っぱの特徴を示して話す。花をつけたフタリシズカが、そちこちに生えている。
丁石が一丁目から置いてある。上まで何丁あるんだろう。七面山は四十丁だったか五十丁だったか。ルートは広くしっかりしている。なるほど表参道と呼ぶだけの貫禄を湛えている。シラジクボからの下山ルートが沢を渡るところに、板の橋を架けている。そこに「←持山寺」と書き添えている。それではじめて、大持山とか小持山というのが、持山という総称の、大小を示し、寺の名が山名になったと思わせる。登山口の518mから山頂の1304mへの標高差785mほどが、小さく区切られて歩きやすい感触が生まれる。
大木を含む杉林は、まるで神域の樹林のように丁寧に手を入れて育てられている。樹床には草木が育ち、陽ざしが入るところには落葉広葉樹が伸び育っている。師匠は、葉っぱだけになって大きくなったエイザンスミレだとかジュウモンジシダを一つひとつ確認するように目に止めながら歩いている。ときどきシダの葉を裏返して、上1/3だけに種がついているのをみせてくれる。そのシダは種のついている部分だけが枯れて、ほかの部分は緑のままに残るという。植物をその変容をふくめて生態学的にみると、面白いのだろうなあと思う。
トレイルランナーが追い越していった。水だけが入っているのかもしれない小さなリュックを背負っている。この人の速さでのぼると、1時間のちに下山中の彼と出会うことになるだろう。師匠は「遅くて悪いね」というが、そんなことはない。今日は植物観察が面白いと歩いてくれれば、十分。
大杉の大木と名づけられた広場がある。胸高周りは6メートルはあろうか。若いペアが降りてくる。「早いですね」と声をかけると、「6時ころから登ったね」と応える。お昼前に下山しそうだ。あとからきた若い二人連れが追い越して上る。上り始めに追い越して言ったトレイルランナーが降りてくる。「やあ、早いですね。毎日走ってるんですか」と話すと、「いえ、毎週水曜日に上っています」と返ってくる。60歳になったばかりか。元気がいい。
沢を横切るとき、2リットルのペットボトルに水を入れたものが何本も置かれている。ペットボトルはすっかり色がついて、とても飲み水とは思えないが、はて、こんなところにこんなにたくさんどうしたのだろうと思った。あとで追い越して上る若い男の登山者がそのペットボトルを手にもっているので、声をかけた。
「それって、何?」
「ああこれは、神社のトイレの水ですよ。上は水が少ないから、持ちあがってるんです」
後で分かった。上の広場にトイレがある。水洗だし、手を荒らす水も蛇口をひねると出てくる。その水をしたからもって上がってるんだね。ありがとう。申し訳ない。
五十丁目の丁石がある。11時10分。すぐ後に大持山との分岐に出る。五十一丁目の丁石がある。なんとも半端だが、これが最後であった。広場があり、ベンチに腰かけて、すでに何人かの人たちがお昼にしている。
コバイケイソウがあと少しで花になりそうな芽をつけている。上の方に鳥居と本堂の御嶽神社の扁額を掛けた神社があった。傍らに文書庫の建物もあり、古く、由緒がありそうであった。狛犬は狼かなと思わせるほっそりとした精悍さ。お堂を回り込んで裏へ行くと、さらに上の方に「第一展望台」と記した山頂がある。
石造りの囲いを回り込んで山頂に行くと、武甲山の標識と金網に囲われた展望台がある。3人ほどの人が休んでいる。北側が切り落とされて、皆野町と秩父市の市街が広がって見える。あかるい大きな町だ。 展望台はしかし、涼しいがお昼にするベンチがない。神社の本堂の下に降りる。
丸太のベンチに腰かけて、お昼にする。11時20分。隣のベンチでは若い女性の3人組が、賑やかにおしゃべりをしながら、ストーブをつけて何かを沸かしている。その向こうには年寄りの二人連れがお昼にしている。食べていると、下から4人組が登ってくる。山頂へ向かう人たちもいる。結構な人手だと思う。
ゆっくりと食事にする。味噌汁を飲み、私はジュースも飲んで、水分の補給をする。汗はかかない。日は照りつけるが、気温は25度に行っていないんじゃないか。
三と湯にいた3人組のひとりがやってきて、「ここは初めてなのだが、大持山の方へ行って、一の鳥居の方へ下りる道はあるだろうかと聞く。私は地図をみせて、これこれこういうふうに周回するコースがとれる。ここからおおよそ3時間半かな」と話す。彼はスマホの地図だけで上ってきているみたいだ。シラジクボから下るルートは歩けるかと聞く。地図をみせて、このルートがある。私は下ったことはないが、歩けるのではないかと応える。思案していたが、「登ったルートで下ろう」と話している。3人とも、山の達者という風情であったが、地図ももたないでは不安だろう。
12時に私たちも下山を開始した。下りに不安を持っていた師匠は、しかし、歩一歩、着実に足を運ぶ。途中から登ったルートと並行して走る壊れた舗装林道を下る。珍しい花を見つけたらしく。師匠は、これを見ただけで今日は来た甲斐があったと喜んでいる。季節を変えて、またきてもいいわねという。私にとっても、意外な武甲山であった。
こうして、駐車場に降り立ったのは13時45分。ほぼ5時間の行動時間であった。コースタイムでいうと3時間余のところも、4時間半ほど時間をかければ、上り下ることができる。今後そうした山をセットして、師匠にも同行してもらおうと思った。
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