「古稀の構造色」を受け取ったという60年前の同窓生からの礼状が届く。これからゆっくり読ませていただくとあったのちに、住所と名前を記し、末尾に〝今年きんぎょも行場を失い〟と謎のような言葉がつけられている。
「・・・?」
裏を返すときんぎょ2尾の泳ぐ絵に「清泉洗心」と清楚な墨書。「たみ子」の署名と落款が押してある。
そうか、絵手紙だと気づいた。絵葉書をつかったと思っていたが、違う。筆を用い、水彩絵の具で色を付け、葉書一面のバランスを上手にとってきんぎょを泳がせ、墨書を入れる。
そうして〝今年きんぎょも行場を失い〟と表面に記した言葉の意味するところが、泳ぎ始めた。面白い。コロナにきんぎょも行場を失い、私もきんぎょ、と坦々と謡っている感触。
コトの成否を決するような言葉を用いず、でも身をおく処の極まりを見据えて、さてどうなるものやらと、ステップアウトしてわが身を眺めている様子。それでいて、切り詰めた言葉、切り詰めた絵と添え書き。軽妙って、こういうことを言うんだ。
そうだよね。こういうセンスが、「36会」を「さぼろう会」と名づける砕け方に通じているんだね。そう我田引水に解釈して、よろこんでいる。
0 件のコメント:
コメントを投稿