2020年6月2日火曜日
テレワーク完了!
昨日、出版社から「出来上がりました。今日中に発送するとのことです」と、メールが来ました。3月に入稿して、ページデザインをしてもらい、表紙も作り本にしてもらう一仕事が、やっと終わります。この間、出版社の方とのやりとりは全部、メールでデザイナーは、何年か前にも私の本をデザインしてくれた方。その方と私は、一通もやりとりをしていません。まさにテレワーク。
でも、デザイン編集してくれたページは、クラウドのどこかに保存されているのを、私のパソコンにダウンロードして、みることができました。出版社の方は、二稿まではpdfで送ってくれ、それで校正を済ませましたが、最終稿はやはりプリントアウトしたものじゃないとまずかろうと、宅配便で送ってくれました。なるほど彼の見立て通り、紙に印刷されたものをチェックすると、誤字脱字、見落としがいくつも見つかりました。プロはプロだなと、感心したものです。
その校正を終えて後、ページの割り振りをすると、印刷の都合で何ページ分か「あまり」が出ると分かり、ページを贅沢にとった部分を割り込ませました。その関係で、節の切れ目で、頁の空白部分が何カ所か生じました。つくづく、私の貧乏性が頭をもたげました。
ページの何分の一かが白くなっているのが「手落ち」のようにみえるのです。これは、たぶん、学生のときに私が、新聞の編集をしていたことと関係していると思います。新聞は、白い部分をそのままにしておくことをしません。前後の記事を削って、別の記事を挿入するとかして、「割付」をきちんとします。
あるいは、私が仕事の現役であったとき、職場新聞を作ったり、学年通信を作ったり、Seminar通信を作成したり、「ささらほうさら・無冠」を発行したりしてきましたが、それらも、新聞同様、白紙部分をできるだけ出さないように制作したもので
す。
ところが、本は、違いますね。ことに小説などはそうですが、表題の裏のページが真っ白だったりすることは、よくあること。たぶんデザイナーも、本を作っている感覚だったのでしょう。でも、「校正」する私は、新聞を作っているような感覚で、ついついその「空白」を埋めてしまいました。それはそれで、タイムリーな「新型コロナウィルス禍」という出来事がありましたから、「埋め合わせる」場所のテーマに応じて、角度を変えて「話題」を組み込むことができたのですが、つくづく、貧乏性だなあと、思っています。
さてその本が、今日のお昼頃届きました。すでに郵送するパッケージは用意できていましたから、一冊ずつケースに入れて、ガムテープで止めて、郵送する準備をする。おおよそ2時間ばかりで封入が終わり、持ち運べる重さに分けて段ボールに入れ、浦和中央郵便局に車でもっていきました。何度かに分けて運ぶ必要から、カミサンには車の中にいてもらわねばならず、一緒に来てもらいました。
郵便局の職員は、私の用件を了解すると、すぐに「料金別納」のハンコを、全部の郵送物に押せと、場所を指定し、私の運ぶ段ボールを載せる台を用意し、作業場所を確保し、私がハンコを押すとすぐにそれを別のかごに入れるという作業を手際よくやってくれました。いや、よく働く人たちです。
それが終わると、「料金別納書類」への書き込みを、どこどこに何々を記入すると指南し、支払をどうするか聞いて、手を貸してくれました。何しろ私は、「郵貯ペイ」というのをつかえるように登録はしたのですが、一度も使ったことがありません。「使えるか」訊くと、すぐに私のスマホの操作法を教え、請求金額を明示している向こうの機械でスマホのQRコードを読み取り、領収書をくれた。いや見事な「手際」。違う世界に来たような気分でした。
そういうわけで、午后3時半には郵送手続きも済ませ帰宅した。新型コロナウィルス禍の「自粛」など呼びかけられ、それに素直に従っていたわけではないが、自ずからテレワークをすることになり、考えてみると、出版社の人も、デザイナーも、印刷所の人にも全く会わずに、本が出来するところまで完結しました。
屋久島の縄文杉がどっかりと姿をみせる表紙は、中身がどうあれ、貫禄がある。さて受け取った方々が、どう読みこんでくれるか。表紙の貫禄だけをみて、褒めて終わる方もいよう。それはそれで構わない。その反応こそが、「古稀の構造色」として浮き彫りにしたいところであったのだから。そう思って、わが手を離れた本の成り行きを待つ身になりました。
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