2020年6月5日金曜日

自己防疫する段階に入ったか


 昨日(6/4)の東洋経済onlineの記事で「枩村 秀樹 : 日本総合研究所 調査部長・チーフエコノミスト」が、緊急事態宣言発動後の新型コロナウィルスの動向を総括して、「第2波では緊急事態宣言を避けて冷静な対策を」呼びかけている(枩村の「枩」は松の異体字)。要点は次の通り。

 
(1)理由はわからないが、日本におけるコロナウィルスの死亡者は季節性インフルエンザの死亡者よりも低く、50歳代まではほとんど亡くならず、60歳以上になると、年々死亡者が増える。それでも、死亡者の急増する80歳代でも季節性インフルエンザの半分程度である。
(2)感染率よりも死亡者数で事態の進行をみた方が良い。死亡者数の臨界値を定め、それを参照して事態を見極める。
(3)新型コロナを「指定感染症」から除外して、感染者を即隔離入院させることをせず、高齢者や基礎疾患のある人の重症者に医療を集中させる方向へ切り替えた方が良い。
(4)3蜜やソーシアルディスタンスを強調するよりも、「感染しても自然経過するから、過度の心配は不要」と正しい情報を提供すべきである。
 
 死亡者数が社会の許容範囲にとどまるかどうかと問うて、季節性インフルエンザと対照させるのは、ある意味で、「冷静な」見立てである。また、第一波を、他の国々に比べて比較的軽微に乗り越えつつあるという経験的な判断も、私などの身に付いた「せかい」情勢のみてとり方に近い。
 と同時に、なぜこうなっているか。ヨーロッパやアメリカの高い死亡率と比べても、「理由はわからない」という点に、上記のような見立てでいいのかどうか疑問は棚上げしまままである。それをどうするのか、枩村は応えていない。彼は、
《4月までは「未知のウイルス」であったため、初動の間違いを責めるべきではない。しかし、5月に入った後、低い死亡率と膨大な社会的コストが明らかになった時点で、新型コロナ対策は軌道修正を図るべきであった》
 と、「チーフエコノミスト」という肩書らしい口調である。「膨大な社会的コスト」というのは、リーマンショック以上の経済停滞への懸念である。
 もちろん、このウィルスが現在の世界システムにもたらした警告という受け止め方はしていない。そこが私と違うのだが、日本政府も地方自治体の首長たちも(たぶん)このチーフエコノミストと変わらない見立てをするであろうと思う。
 
 ということは、上記(1)~(4)を採用すると今後の施策の方向は、若干の紆余曲折はあっても、季節性インフルエンザと同じようなあしらいに向かうであろう。いやすでに、その方向へ踏み出している。
 それを「私」の次元でとらえると、自己防疫する段階に入ったといった方が良い。ワクチンはまだできていない。だが、もしわが身にコロナウィルスが死神をともなって現れたら、「社会的コスト」と受け止め、社会的には許容範囲かと観念するしかない。
 ま、この歳まで生きてきたこと自体がいろんな幸運に恵まれていたことを考えると、世界的な大自然の驚異であるコロナウィルスに命を奪われることがあっても、不運のやってくるのが遅かったくらいかなと受け止めて、潔く受け容れよう。そんな気持ちになっている。

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