2020年6月10日水曜日

真夏日の奥武蔵・有間山


 明日11日あたりから関東地方も梅雨に入りそうだ。来週に予定していた山の会の山行を、一週繰り上げて、昨日、行ってきた。熱いほどの晴天。
 車で登山口に乗り付ける。小さな駐車場には、すでに4,5台が止まっている。バスで来る人を待って、歩き始めたのは8時45分。kwrさんが私の事前に明示したコースタイムはちょっと早すぎる、昭文社の地図でいうと6時間以上かかるよという。私のコースタイムは、「埼玉県の山」(山と渓谷社)による。そういうこともあるだろうと思う。

 すぐに樹林の林道に入り、心地が良い。kwrさんとも4月8日の戸倉三山以来。コロナ蟄居の日々の話を交わす。15分足らずで「ワラビ入」と名のついた沢を渡り、上り始める。去年10月の台風19号の通過直後は、増水し、流木に塞がれて渡る気力が失せた。12月に来たときはかなり片づけられ、上ることができたが、途中に流れ落ちた倒木が積み重なって台風の威力を見せつけていた。そうだ、12月には雪があった。急斜面の上りがつづく。
 よく手入れがなされた杉林がつづく。西川材といったっけ。杉材の名産地だ。
 何カ所か岩場がつづく。ロープを張っていたりするが、kwrさんはずいずいと身をもちあげる。4/8以降も、彼の家の近場にある堂平山や笠山へ足を運んでいたらしい。コースタイムで歩く彼の歩度は、相変わらずのようだ。私は筋肉が弱っている気配がする。そういえばストックを忘れて来たな。女性陣は元気そのもの。フタリシズカがはつらつとした姿を見せていて、植物談議が広がっている。稜線に上がると広葉樹が青々とした緑を広げ、その中に白い花をつけた木が混ざる。ウツギの仲間らしい。
 1時間52分で「蕨山への分岐」に到着する。コースタイムに3分早いだけ。さすがスタンダード男だ。木に黒っぽくなった表示板が打ち付けてある。みると「蕨山 ※ 本当の蕨山山頂1033m この先800mで蕨山展望台 左へ200m蕨山最高峰1044m」と小さな文字で書いてある。そうか、私が蕨山と呼んでいたのは展望台のことだ。この「分岐」を中心とする周辺を合わせて「蕨山」と呼んでいるとわかる。そうだよね。麓からみれば、一視同仁というか、ひとまとめだよね。
 ここへくるまでに一組のご夫婦を追い越した。この「分岐」で、後から来た単独行者が展望台の方へ向かった。静かな山だ。
 
 「蕨山最高点1044m」にも立ち寄る。上の方が朽ち落ちて40センチほどになった黒い表示板が積み重ねられた石に支えられてかろうじて山頂であることを示している。ほんのちょっと登山道からはずれただけで、こうした憂き目にあうと思う。
 フタリシズカの華が4輪もついたのを見つける。4人賑やかだねと言葉を交わす。5輪もあった。延長になり、いずれ消えていく五輪を想うと「シズカ」という名も頷ける。Sさんがオトシブミを見つけた。きれいに葉を丸めて切り落としている。虫が世代をつないでいるのだ。
 37分ほどで橋小屋の頭につく。昭文社のコースタイム1時間に較べると「埼玉県の山」の方が当たっている。
 この橋小屋の頭の表示板はずいぶん大きくしっかりしている。みると「有間山(橋小屋の頭)1163m」と記している。kwrさんの話だと、この辺り一帯を有間山と呼ぶそうだ。いくつかのピークにそれぞれ「~ノ頭」と名称を付けている。その全部が有間山なんだそうだ。でも私が行こうと予定しているのは、その有間山の最高峰「タタラノ頭」だそうだから、やはり行ってみようというが、その前にここで腹ごしらえをする。
 有間山の最高点の方から登ってくる人がいる。棒が峰から来たという。朝7時ころに出た、さわらびの湯の方へ下ると話す。少し遅れてもうひとり来た。私たちが有間山最高点の「タタラノ頭」から戻ってくるとき、単独行の高齢者とすれ違った。言葉を交わさなかったが、まさか、棒の峰の方へ行くとは思えない。今日の山行中に出会った人は、ここの3人を加えて全部で6人。ほぼコロナ蟄居の時期前に戻ったのかなと思う。
「お昼を食べたら元気になった」とSさん。
「上りがなくなったからだよ」とkwrさんが茶化す。
 
  橋小屋の頭から鳥首峠への稜線は、アップダウンもあって、緩やかに下っていく。ところどころ左側(西側)の樹木が切り払われて、あたらしい植樹が為されて3年くらいという感じ。すぐ間近に仙元尾根が蕎麦粒山にまで伸び、その向こうに酉谷山へ連なる背稜が伸びている。奥深き山の風情は秩父が近いことを感じさせる。しょうじくぼの頭と標識が立っているが、昭文社地図にはヤシンタイの頭とか滝の入の頭とあるばかり。標高がわかるから、今こことわかる。正面にすっくと立ちあがる姿のいい山は大持山。下旬に行こうと予定している山だ。
 鳥首峠は、14時着。橋小屋の頭から1時間10分かかっている。こちらは昭文社がピッタリ。下りにかかる。道はよく踏まれており、迷うようなことはないが、でも果たしてここを通過する人たちって、年に何人いるだろうと思う。
 台風に流された倒木が、杉の木に引っかかって沢沿いを埋めるように横たわる。かつての飯場であろうか、朽ちて倒れそうな小屋が何棟か姿をさらしている。鍋や薬缶が沢石の上に転がってすでに人が住んでいないことを明かしている。40分ほど来たところで樹林の中から崖が突き出している柱状節理のをみた。大持山への稜線だろうか、その手前の妻坂峠から横倉岳へ向かう稜線だろうか。
 15時、舗装林道の終点に降りる。ほんの3年程前までは、木組みの建物があって作業が行われていた。今は建物も取り払われ、剥き出しの土台だけが石切り場であった気配を残している。この下山地点から登ろうとすると、とりつきがわからなくて、きつい斜面を這うようにして上ったことを思い出す。今はダンプカーも通らない。
 木陰を伝うようにして舗装林道を歩き、駐車場に帰り着いたのは3時30分。行動時間は6時間45分。14・7km。コロナ明けとしては、まずまずの距離と行動時間であった。

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