大部屋へ移ってから、リハビリも始まった。1日2回あるいは1回、約30分、理学療法士や作業療法士が部屋へ来て、身を動かしてその経絡の滞りを探るように辿り、要所のこわばりをほぐすように手を当ててゆく。掌の温かさがじわあっと沁み込んできて、硬直が抜けていく。まさに手当だ。
作業療法士は(医師の診断にしたがって)首から肩口にかけての神経に働きかけている。理学療法士は、体全体のバランスと身に受けている衝撃の度合いをチェックしながら、それを解きほぐし、回復への働きかけをしているようだ。
10日目からはリハビリ室へ下りて行って、体全体のバランスのチェック、立位、座位の姿勢の傾きをみながら、回復状態を見極め、身の動きがつくように筋力をつける動きを加えていく。手当てをしながら神経叢の流れを口にしていたし、「中心性頚髄損傷」という病名を聞いたのも、ここであった。
打撲による内出血で腫れあがっていた左手は、恢復するにつれピリピリした痛みが薄らぎ、腕の動きもわりと自在になっていった。だが右腕は、胸ほどにも上がろうとしない。腕を前方へ伸ばしたままもちあげると、へその辺りで止まってしまう。筋力がすっかり落ちていますねと、理学療法士は言う。
右肩から腎臓の後ろ辺りに痣が残るほどの強打を受けてはいた。しかし、打撲で筋力が落ちてしまうってことは、あるのだろうか。そうか、ボディブローか。力が抜けていくのだ。
肩のMRIをとることになった。腱板断裂をみていると、研修医同士が話しているのを小耳にはさんだ。その結果を踏まえて専門医の診察が予定されていた日、緊急も入り込んで2件の手術が夜遅くまであったらしい。私の診察は中止になった。見極めは来週に先送りだ。
地域の中核病院。手広く診療科を設け、しかし、常任の医師を置くだけの潤沢な資金はない。当然のように、非常勤の医師が曜日を限ってやってくる。その科の診療は、こうして間延びしてしまう。
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