身体不自由の長期入院という事態は、日頃のわが身の在り様を考えさせるに衝撃的でした。
入院当初2回の食事は、食欲もなく汁物だけを飲んで下げてもらいました。お粥にしてもらい、煮びたし、根菜の煮物、煮魚、デザートなど、全部で4品。1日1400kcal、塩分6g未満。病院食です。
両手がうまく動きませんでした。いまでも右腕は力が入らず、胸の高さに上がりません。もちろん病院は、食事の時に介助をしようとしてくれます。でも、左手でスプーンをもって口元に運び、自力で食べることができるようになりました。
一つひとつの動作はゆっくりです。間合いも十分すぎるほど必要でした。
そのときわが胸中に、バチバチウィルスがいくつも入ってきました。
なんて、これまで、忙(せわ)しなく食べていたのだろう。
なんて、たくさんの量を、ふだん食べているのだろう。
なんて、味わいもせず、胃袋に放り込んできたのだろう。
たくさんの「なんて」が湧き起り、それがつぎの「なんて」を生み出します。
そこで、はたと思い当たりました。
ああ、食べること、食べ物のことに、ちゃんと向き合ってこなかったんだなあ、と。
山歩きをするとき、食糧計画をたて、調理プランも考えてきました。でも、お腹を満たすこと、カロリーばかりに関心が傾き、あとは重さやかさばり具合を考えて準備をしてきたのです。ま、山は非日常ですから、それはそれで一向にかまわないと、今でも思います。
日頃の食事がそれではダメなんだよ、とバチバチウィルスの浸入した細胞が訴えています。
何がダメ?
基本がダメ。食材がなんであるか、どう調理しているか、取り合わせはどうなのか、どうやっていまこの食膳に並んでいるのか。そんなことにに関心を持たないで、ヒトは生きては来られなかったはずです。
他人(ひと)様にやってもらって、御馳走になるのは、お客様。
あなた、だれのおきゃくさま?
自分のことを自分でやるというのが、生きていく基本。それを忘れていますね、とわが身がつつかれたのでした。
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