リハビリに通っている。5月の第二週から週に4回、足を運んで右肩を温めるとともに、右首筋から右肩と右腕にかけての神経の流れをとらえて、ほぐしてもらっている。
症状は、右手が胸の高さ以上に上がらない。正面から上げても側面から上げても、肘を伸ばしまままでは腕の重さを持ち上げる筋肉が足りない。左手を添えてやれば上がるのだが、ある程度以上になると、右肩とその神経の流れにピリピリと軽い痛みが響く。
ほぐすリハビリ士は5人ほどいる。大体30歳前後の男性。どこに不自由を感じているかを聞いて、手を添えてゆっくりと動かす。動かしては、神経のしこりそうなところに掌を当てて温め、軽く揺り動かしてほぐす。すると、動きにつれて生じる軽いしこりが消えていく。
いや精確にいうと、腕の動きに合わせてしこりが来そうなところの手前のところで、動きを止め、元に戻し、またそこまで腕を動かしてゆく。そのときのリハビリ士が感じているであろう(私の神経の)微細な反応が負荷を感じるギリギリの手前のところで止めて、元に戻し、それを軽く繰り返す。それが心地よいのだ。
心地よいというのは、これまでの私の(筋トレ)常識からすると、効き目がない領域である。だがリハビリ士は、痛みを感じる手前で止めるのがいいと口にする。そうして、彼が私の神経の反応を聴き取りながら行う15分ほどのリハビリが、動かない右肩の動きをほぐして、何日か経ってみると、動きが少しは良くなっている。夜中に肩が張って寝付けなかったところが、いつしか熟睡しているというふうに、時間をかけて効き目を発揮しているようなのだ。
近頃は湿布薬も、一枚にし、半日だけ貼るようにしている。
このリハビリ士の、柔らかい、微細なところを感知する「手当て」は、近年の流行なのであろうか。何となく、時代の気配と同期しているように感じる。たしかに彼らが、筋肉の貼り方と神経の流れに気を配りながら「手当て」をしているのは、わかる。心地よさということで言えば、確かに(神経叢が)ほぐれている感触は、ある。だが夕方になれば、元の木阿弥というか、ほぐれたところが再び、しこるように感じられる。
リハビリってそういうものよと思えば、一進一退で治癒がすすんでいると思えるのだが、リハビリ士の繊細な感触に感心するとともに、私の従来持ってきたトレーニング感覚とのあまりの違いに、当惑している。どこかで見切りをつけるには、まだわが腕はもちあがらない。経験者は、4カ月だとか半年だとか、療養期間を教えてくれる。そこまで私の心持ちが我慢できるかどうか。
そろそろ毎日通うのを半減しようかと思案している。
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