神経からくる指の傷みは範囲が狭まり、右手の何本かの指と指先、指の関節に集まってくるようだ。もちろんやわらいでいる。左手は指先と(たぶん)手の甲の打撲の腫れが一部に残るだけになった。水を掛けると、しかしまだ、指先は右も左もぴりぴりと痛みが走る。
首筋から右肩と肩甲骨のあいだを流れて右の肩口に走る神経叢の傷みが、いまだに強い。右腕が上がらない。肘をまげて前後に振るのはできるのに、上へ持ち上げようとすると鳩尾の辺りまでしか上がらない。それでも、はじめは臍でとどまっていたから、良くなってはいるのだ。筋力がなくなっていると、リハビリ士は言う。しかし、打撲で筋肉がなくなるというのは、どういうことだろうと、未だに疑問符が付いたままだ。
リハビリが効いている実感は、たしかにある。昼間はそれほどでもない肩の痛みが、夕方から強くなり、寝ているとずきずきと響くようであった。それが和らいできた。夜中に何度も目を覚まし、寝たのか寝ないのか良く分からない感覚が朝まで続いていたのが、4セット7時間とか、3セット6時間というふうに、熟睡している時間がまとまるようになった。朝起きたとき、ああよく寝たと思う実感も甦ってきた。
リハビリ士による「手当」に「自分でやるトレーニング」が加わってきたころ、医師が手術の合間をぬって部屋へやって来て、退院後に通院できる整形外科の診療所の話を持ち出した。私の住所の近くに知ったところがないが、12キロくらい離れたところにならある、どうしますかねといって、話しは途絶えていた。
そこへ大型連休が近づいてきた。非常勤の専門医が、次回は2週間も先の来院となる。
えっ、それまで私は、この暮らしを続けるの? と声を上げた。
リハビリ士は、パソコンを叩いて、医師が紹介しようと考えているクリニックが2カ所あることを知り、リハビリテーション科をやっているか、どちらが近いかをスマホで調べてくれた。5キロほどのところが候補の一つにあった。
ああ、そこなら歩いてでも通えますね。2週間先までここにいるより、家で「自主トレ」の方がいいというと、じゃあ退院できるかどうか相談してみますと、一挙に話が運んだ。
翌日には、看護師が、退院する意思の確認にきて、その条件と日取りの話にまですすんだ。私が、その条件が整う日取りを伝えると、常勤の担当医師の確認が取れれば退院という運びになった。
二つのことで、私が見当違いをしていたことに気づいた。
ひとつは、非常勤の専門医が紹介先を具体的に記していたこと。しかもそれに、作業療法士もアクセスできて、患者に伝えることまでできる態勢であること。
もう一つは、作業療法士という職名のリハビリ士が、退院という話を発議して具体化することにつながる体制があること。
大きな時代の変化があるんだ。私の見当違いのもととなった医療イメージは、「白い巨塔」時代の医療の態勢であった。それは、すっかり変わっている。これらは新発見であった。
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