2021年5月17日月曜日

ご報告(第17回)身の裡に弾けるバチバチウィルス

 カミサンから「本はいらないか?」と言ってきた。入院生活が長引いて、退屈していると思っているのであろう。

 それが、いらない。TVもみない。新聞も読もうと思わない。

 もちろん悪い気分ではない。TVも新聞も煩わしいと感じている。あんなに没入するように読んでいた本も、いや、いまはいいよって感じ。

 自分の頭の中に弾けるように浮かんでくる「思い」がとても刺激的だ。どうしてだ、これは。

 何もかもが、これまでの「わたし」を見返してごらんと言っているようだ。反省せよとか、悔い改めよというのではない。「わたし」に蓄積してきた人類史的なコトゴトを見つめるだけで、ヘンだし、面白い。ホモ・サピエンスが辿って来た足跡が、深層の方からふつふつと浮かび上がってくる。そんな感触が湧き起っている。

 滑落の時に頭を打って、おかしくなったのか?

 自己省察が内発している。これまで、本や新聞記事やTV番組の出演者の言葉を聞いて感じた違和感を手掛かりに、自分を観ることが多かった。だが今回は、自分の身が置かれた状況自体が「違和感」をもたらしている。

 食べ物、身の世話、病室という身の動きの制約も、それ自体が直に身に及ぶ「違和感」である。新聞やTVを見て感じる違和感は、聞き流せば身にとどまらない。だが今回の「違和感」は直接身に及ぶ。それに反発する感情が湧き起れば、新聞やTVからくる違和感と同列になるのであろう。

 だが世話をしてもらうほかないわが身の現在は、わが身も受け容れている。だから内発的自己省察へと向かうほかない。それがバチバチウィルスの弾ける正体ってことか。

 それに、状況は、生きることに関する基本的なコトに絞られている。余計なことが削ぎ落とされているから、それだけ自己省察へのモメントが強くなっているのかもしれない。

  せっかちな私の気性、大雑把な私の感性、モノゴトに丁寧に向き合っていない私の視線。一言でいうなら、ちゃらんぽらん。この歳になって、いまさらと思うが、病室での体験が一つひとつ突き刺さる。

 どうしよう。

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