2021年5月23日日曜日

秩父槍ヶ岳――至福の滑落(4)

(4)滑落の場面   サイトーさん筆


       ※ 以下の文章は、同行者・サイトーさんが、私の「山行記録」に目を通したのち、滑落以降の場面を綴ってくれたものです。私の記憶とは、やはり、ずいぶん違いがあります。(フジタ)


 川床で足を取られた後、頭を左に、まるで丸太がごろごろと転がるような格好で枯葉の積もった斜面を沢床まで落ちて行きました。声を掛けても全く返答はありません。動かないフジタさんの所まで何とか行こうとザイルを使って、別のルートで降り始め、2本目のザイルの場所を見つけたときに、ようやくフジタさんの声が聞こえました。

 倒れたままですが、確かに返事はあります。聞き取れず、とにかく「そこまで行きます。待っててください」と叫んで降りてみると、フジタさんは登り始めていました。本能的に私の方に来ようとしたのだと思います。

 合流して、フジタさんは少し記憶が飛んでいて「沢を降りているのか。どこに行こうとしているのか」などと口にしました。それでも手足の怪我については大丈夫とのことで、落ちた沢床までまた戻り、谷を下ることになりました。

 ザイルは落ちたときに手から離れていて、それを使って私が降りることができ、途中までは私が持っていました。そのうち私が先を歩くようになり、仕方ないときは沢の水の中を下ったりもしました。

 スマホの地図をみると、この谷の下には中津川にかかる橋があり、渡れば車道に出られるようになっています。「バス停に自転車を置くときに秩父槍ヶ岳に上り、ここへ降りてきますと地元の女性に話したので、5時くらいに降りないと心配して騒ぎだされますね」などとフジタさんに言いました。

 その辺りからの距離からみても大丈夫と思えたのですが、6時近くになり、沢の末端近くまでくると木々の間に車道が見えてホッとしたのもつかの間、滝にぶつかり降りることができなくなってしまいました。

 左の斜面にルートを見つけてフジタさんが先に上がり、垂直に近い崖に私が四苦八苦しているのを見て、ザイルで確保すると言いましたが、どうもおかしい感じで、動く気配がありません。

「ザイルいりません。左の方から回り込んで上がるので待っていてください」と声をかけて、フジタさんの居場所の左上にとりつき、なんとか歩きやすそうなルートを見つけて、降りなければの一心で、岩場の少し平らな場所にたどり着きました。

 ここでフジタさんを待ち、ザイルをつかえば下降できそうに思えたのですが、この1時間くらいの間に暗くなり、ザイルも置いてきてしまったとのことで、はじめてフジタさんが救助を頼もうと口にされました。7時近くになっていました。

 警察にかけ、状況を伝え、「下まで降りて来たけど、もうちょっとのところで暗くなり、降りられなくなりました」と話しました。何回も電話でやりとりをして、消防署にも掛け直し、スピーカーにしてフジタさんにも聞こえるようにして、会話に入ってもらったりしました。

 私も充電池を持っていたので、スマホには繋げたままで切らないでくれと言われ、そのまましばらく相手が代わりながら、対応してもらいました。

 すぐ下に道路もあるし、橋もかかっている。本当に近くまで降りてきているので、こちらとしてもそんなに見つけづらい所にいるのではないと、変な安心感がありました(つくづく甘かったと後で思い知らされました)。

 通報がひと段落して、フジタさんは少し体を休めているようでした。足も伸ばしていました。その前に上下を着こんでいたので、ずり落ちないように声を掛けました。すっかり暗くなってしまいました。

 このあたりで、敏恵さんや主人に連絡を入れて、8時を過ぎていたでしょうか。

 ようやく救助隊が到着し、私たちの場所を確認してくれて、それでも暗闇の中、右の斜面にアタックしてダメで行ったりきたりしていました。が、左の斜面から別の隊員の方たちが私たちの所までたどり着いてくれました。

 ザイルで戻る道の確保や、体調を確認したり、話しをいろいろと訊かれたり、処置してくれました。

 長い時間がかかり、下の車についたのは12時くらいになっていました。リュックを隊員の方が受け取ってくれていたので、中に入れたスマホを取り出すことができず、藤田さんの奥様にも私の主人にも連絡できず、降りたところが圏外だったり、トンネルに入ったりして、気をもませてしまいました。

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