こうして退院してリハビリに励む日々を過ごしています。さて、遭難の模様をしるした「山行記録」をご紹介します。
1,秩父槍ヶ岳
4月12日、好天の月曜日、長野県との県境近くに位置する秩父中津川の秩父槍ヶ岳に行った。朝8時過ぎ、三峰口駅で同行者・サイトーさんと合流。昔の大滝村から長野県の川上村へ抜ける県境近くの登山口へ向かった。
途中、中双里の橋の上から上流を眺めると、ちょうど秩父槍ヶ岳が凸凹の相貌を現す。面白そうな姿は、穂をかぶせた槍を思わせる。なぜか、登山口の相生橋バス停を通り過ぎてしまい、下山口の中津川の農林センターバス停に行ってしまった。ここへ自転車を置き、登山口へ戻って登り始めた。9時10分頃でした。
このルート、登山口から秩父槍ヶ岳と呼ばれる山頂部の稜線の肩、標高1448mまで登りづめである。そこから北へ向きを変え、秩父槍ヶ岳の主峰に向かう。
はじめから急な傾斜が続く。うっかりすると左側の谷へずり落ちてしまいそうな苔むした道をずいずいと登る。日が当たる新緑は落ち葉に映えてさわやかに美しい。先頭を歩くサイトーさんは歩度を整え、着実なペース。私より一回り以上若い。強いなあと思う。中間点もコースタイムより少し早い。
サイトーさんは植物に関心が深い。ハシリドコロが花をつけているのを見つける。エイザンスミレやヒナスミレが楚々と咲いている。ネコメソウの仲間が初々しい。シャクナゲがつぼみを膨らませている。ミツバツツジが樹間に彩を添えている。
稜線の肩1445mポイントに着いたのは、11時4分頃。コースタイム2時間10分のところ。南に、名無しの1461mピークが地図にあるから行こうと思っていたが、張り綱をして「通行禁止」の表示を掲げている。ま、いかなくていいだろう。北端の山頂へ踏み出す。岩を避け、東に西に回り込んだりして、踏み跡はしっかりしている。岩を乗り越えるのも、難しい所はない。
行きながら、実は下山路を探していた。
この山のことを目にしたのは『埼玉県の山』(山と渓谷社、1993年)。下山のルートについて、このように記していた。
《下りはTVアンテナの処から北へ下る踏跡に入る。しばらくはテレビケーブルと平行して尾根に沿って下る。やがて沢の源頭の、岩のガラガラした下りとなり、電光型に下る。沢が狭まり左からの沢が合流した地点で小沢を対岸に渡る。》
スマホのGPSの地図上で、位置はわかる。ガイドブックに書いてあったのは、たぶんこの辺りと思う地点に、しかし、明快なルートはない。テレビケーブルらしきものも見当たらない。
先へ進んでいると、「中津川・槍ヶ岳→」と標識が現れ、そこから稜線山頂部を巻いて、左へ下るルートがあった。踏み跡もしっかりとあるようだ。
ああ、これだ、これだ。その途中で、標識は崩れ落ちているが、むかし分岐点に標識を取り付けてあったと思われる杭がぽつんと立っている。下の方に、赤いテープも見える。それを確認して、槍ヶ岳の山頂方面へとすすんだ。
山頂到着11時58分。木に囲まれ、眺望はない。歩いてきた西の方を見ると、突出したピークが並んで見える。
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