2021年7月31日土曜日

筋肉に疲れを感じた!

  朝(7/30)8時半に宿を出て、湯の湖畔をひと巡りする。青空が見える。予報は雨だったのに、どうしたことか。南側の湖畔沿いに歩く。外山が迫り、木々が覆いかぶさるように茂るから、日差しは気にならない。昨年に比べて道はよく整備されている。去年は、一昨年の台風19号の被害がひどく、土砂崩れもあって、しばらく通行止めだったのが辛うじて修復され、一部は「通行注意」の状態であった。それが治っている。小さい子ども連れでも心配なく通れる。対岸の三ッ岳の山の緑を映して、静かな湖面も緑色に色づく。エンジン附きのボートが一艘、釣り糸をたれて浮かんでいる。何が釣れるんだろう。いまでも持ち帰りはダメでリリースするのだろうか。

 ミソサザイらしき声が山側からする。昨日のキビタキの声にも似ている。湖の浅瀬の倒木のうえをキセキレイが飛び交う。大きなサカナの背びれがくらりゆらりと揺れて動く。双眼鏡で覗いてみると、コイが3尾のんびりと泳いでいる。足元は湿っている。夜にも雨が降ったようだ。

 湯ノ湖の南側に近づく。溢れだした水が湯川となり、滝口へ向かってとうとうと流れ出している。巨木があり、樹の生い茂った岩が行く手を阻み、回り込むように木道と橋がかけられて、ここも変化に富んだ景観をみせている。湖に腹まで浸かって釣り糸を垂れている人が二人もいる。赤い実をつけたサクラの木が端の脇に顔を出している。ミネザクラかなと師匠が言う。白根山で小鳥が啄ばんでいたのも、こんな木の実だった。車道に出る手前で再び湖畔沿いの木道が続いている。

 ゴミを入れる袋とゴミばさみをもった人が、木道の端に立ち止まってこちらの通るのを待っている。マスクをつけて「ごくろうさん」と言ってすれ違う。湖には小さい魚、少し大きい魚がそれぞれ群れになって泳いでいる。後ろから来た夫婦らしい一組が、追い越してゆく。私たちは兎島の方へ踏み込む。

 鬱蒼と茂る樹々、苔むした岩や地面、高い所から鳥の声が聞こえる。中にはピーヒョロロと、トビの声も交じる。双眼鏡を覗くが、何処にいるのか姿は見えない。ノリウツギがそこここに白い花をつけて緑の森にハッとするようなポイントをみせる。

 再び車道脇の木道に出る。この木道も、以前のに較べると広く新しい。湖の湯が沸きだしている硫黄の香りが強い所に来る。ゆらゆらと目玉おやじのようなまあるく白い中に黒い粒をもった植物が底の方から起ちあがっている。師匠は覗き込んで虫を探している。何でも、こんなところに巣くう虫がいるらしい。

 ビジターセンターに行く。概ね1時間半も歩いてる。私は右の肩甲骨が張って来た。荷を降ろして、ベンチに座る。筋肉痛が出て来ている。珍しい。やはり3カ月半も歩いていないと、へたった筋肉も白根山の麓を歩いたくらいで、悲鳴を上げるようになったのか。

 センター作成の今年の暦に、コマドリがガタイの大きなヒナに餌をやっている写真が添えられている。よくみると、ジュウイチの托卵したヒナがコマドリに餌をねだっているのだそうだ。大きいわけだ。

 温泉寺の方へ行き、泉源の葦原をうろついている留鳥マガモがヒナを連れているのをみる。ツバメが巣をつくる土を運ぶのは初夏のころ。車に戻る。赤沼の奥、開拓村の方をひと回りして、いろは坂を下り、清滝の中華料理店へ向かう。いつも近くを通ったときはここに立ち寄ってレバニラ炒めを食べる。年に1回くらいなのに、顔なじみのような感触。「残したら持ち帰りにしてあげますから」と言ってくれる。それくらい分量が多い。しかもレバーは唐揚げにして、ビールのつまみにうまそうだ。

 順調に浦和へ帰るが、羽生を過ぎたあたりから土砂降りの雨。前が見えないほど。車のランプをつけないと前を走る車両がわからないほど。だが、点けていない車が多い。後ろからのトラックに気をつけて走る。迫ってくると、脇へ避ける。高速道を降りたあたりで小降りになった。

  荷物を降ろしていると、脚の筋肉がこわばっているのが、わかる。恢復中なのだと思うと、なんとなくうれしい。リハビリトレーニングらしい奥日光であった。

2021年7月28日水曜日

さて、はじめての遠征

  秩父で入院してから3カ月半余、今日はじめて遠出をする。車の運転が2時間余、山歩きというか、ハイキングが2時間くらいになるか。1時間も歩けば方が痛みはじめるから、休み休みどれくらいのペースで、どのくらい歩けるかを戦場ヶ原で試してみようというトライアル。回復度合いをみてみる。

 コロナワクチンを打ち終わったことが、まず何よりの支え。これで人に感染させることはないだろうし、他人からの感染があったとしても軽くて済むと思っている。カミサンが骨を拾う役回り。荷物もあらかた持ってもらう(かもしれない)。

 台風が北へそれて青空が広がるのが、何よりの励まし。関東平野の真ん中のここは暑いけど、奥

日光は7度は低いはず。鳥や花を教えてもらいながらと能書きはないわけではないが、それに構う余裕があるかどうか、わからない。

 3カ月半も間が空くと、もっていくものの準備に時間がかかる。雨への用意もしなくてはならない。突然の雷雨があるかもしれないとTVの予報は警告している。台風の後を追う熱い南風と、台風の風に押し寄せられる北寄りの冷えた風がぶつかって、雷になるのだろう。そういう気象の変化も、山の愉しみの一つだと、改めて思う。

 ではでは、そういうわけで、出かけます。

2021年7月27日火曜日

次の世代は、愉楽ではなく佇まい

  どこを見てもオリンピックというのがTV番組。でも、観る分には面白い。ひとつ、日本の選手が勝敗にかかわっていると、差して興味がないゲームも面白く観ることができる。はらはらするのだ。共感性が高いのかもしれない。ずうっと見続けるほど強い関心はない。また、スケートボードのようにどこがどう採点されているのかがわからないと、ふ~んと関心はするが、魅かれるほどではない。だが、卓球のミックスダブルスの準決勝・ドイツ戦や決勝・香港戦は、ほとんど負けるかもしれないという予測を裏切って勝ち進み、最終セットで勝ち抜けるというのは、技術的な優劣に差はないが、どんな思いをもっていまサーブをしているのか、打ち返しているのかと思うだけで、ハラハラドキドキしてしまう。単純なのだ、こちとらは。そうして最終セットで、ほんのわずかな差で勝利を収めたときの選手の喜びようは、そうそう、そうだよねと気持ちも同調して飛び上がりたくなっている。勝利の秘訣を聞かれた伊藤美誠が、そのひとつに「試合を楽しむ」という。それにカミサンが反撥を感じる、といったのに対して私は、「そう言って自分を過度の緊張から救済しているんだから、いいじゃないか」と、鷹揚にみてやることが年寄りの立ち位置よと大人ぶってみせる。

 柔道の兄妹金メダルという物語も、ずいぶんなプレッシャーだったんじゃないかと思いながら決勝を観ていて、勝った妹選手が畳に伏して喜びの涙を流しているだろう姿に、ホッとしている心もちを察して共感している。と、今朝のTVニュースで、柔道男子73キロ級で大野将平が金メダルをとったと報道し、勝ちを制した後静かに挨拶を交わし、相手選手と抱擁を交わした「つつましやかさ」に、まず感動する。そうだよ、こういう振る舞いが「柔道」という道筋の本流なんだよねと、喜びを隠さないゲームの勝利者が数多入る中で際立つと思っていた。大野将平は(応援してくれた皆さまへと要請された)インタビューに応えて、「(五輪の開催に)賛否両論があったのは承知していますが、この試合を見て一瞬でも心を動かして下さることがあったら、光栄です」と応えていたのが、印象に残った。わたしたち年寄りの好感センスは、こうした古武士的なつつましさと「心を動かす一瞬」という肝心要を取り出すセンスに、涙するほど気持ちが揺さぶられる。そうだよ、それこそが、わが好きな道を究めることが「おおやけ」という普遍性をもつ瞬間なんだよねと形而上的にまとめている。

 そこでひとつ、気付いたこと。

 民主党の蓮舫議員に「五輪に反対していたのに、オリンピックなんて見るなよ」とどなたかが毒づいたとネットメディアが報じていた。私もこれまでさんざん、五輪は自民党主催みたいになっていると非難してきたから、こういうネットの蓮舫非難が掠るように突き刺さる。

 だが、上記したようにゲームに感動したり、若い人たちの振る舞いに感心したりしているのは、それこそスポーツが、限定した共通のルールに基づいて取り交わされる「たたかい」だからだと考えている。本性的に「たたかう」ことによって自らのを起ち上げるのが、ヒトの常。そのヒトが「たたかい」を好むメカニズムと要素を失わず、なおかつ平和裏に「たたかう」ことを現実化しているのがスポーツである。

 だが現実に展開しているスポーツは、五輪もそのほかのゲームも、商業主義的なメカニズムにのって、グローバル化してきたし、人々の間に広がってもきた。そして今展開している五輪も、すっかり放映権やスポンサーのご機嫌を取るかのように金と政治の論理に引き回されて、コロナ禍に開催されている。蓮舫が何をどう行ったか知らないが、たぶんそういう風潮に「反対」の声を上げたのであろう。それに対して、開催する側は、五輪の開催意義を率直な言葉で表明したか。

 2021-7-9の本欄、「虚飾をはぎ取りカネの意向に沿うように」で述べたように、空疎な言葉を積み重ねて「選挙有利」を算段するのは御免だと、五輪そのものの現在の成り立ちを、新しい物語で語ってよとお願いした。それに五輪賛成の方々は、一言もコトバを紡いではいなかった。「反対していたなら五輪をみないでよ」というネットの蓮舫非難は、スポーツそのものがもっている「倫理的要素」に気づいていない。スポーツが国境を越え、平和をもたらすという「ものがたり」は、じつは、掘り下げていけば、現実の政治世界で我欲にまみれ、我益に執着している我利我利亡者の心裡を洗い流すような批判精神に到達する。そこまで突き詰めて考えよと言っているほど、国際的なスポーツ競技の水準は到達しているとも言える。だから、観ている私たちは、感動もし、次の世代への希望を感じることができているのだ。

 ことに大野将平のことばに感じられる「現代文化への批判」が、コロナウィルスの蔓延状況下では重要と思われる。愉楽に意味を見出すのではなく、佇まいに意味をみよ、と。愉楽は、快―不快の価値づけを伴う感覚だ。だがそういうセンスは、そのほかの要素を緩和するための便法としては意味を持つだろうが、それ自体としては十分ではない。それに対して「佇まい」は、敗者との「かんけい」への配慮を漂わせる。この「かんけい」への配慮こそが、これからの時代の不可欠のヒトが生き延びる要素である。そう感じただけで、わたしの五輪は大満足である。

2021年7月26日月曜日

36会 seminar報告(2)鋳物のつくり方と使用目的

  銅と鉄の鋳物は、正確にはわからないが、ほぼ同時に入ってきたとイセキさんの話は続く。当時は鋳物師(いもじ)と呼ばれ、法隆寺の薬師如来像など、銅の仏像であった。梵鐘もつくられ、京都妙心寺の梵鐘は、比叡山から引きずってもっていったと言われているが、それで割れてしまうようなものではなかったそうだ。日本の梵鐘の銅の鋳造は、スズが10%程度の配合で粘りのあるのが特徴、低い音が出る。ヨーロッパの教会堂の鐘は粘りがなく高い音が出る。そういう違いがどのように生み出されて定着していったのか興味はあるが、銅よりも手に入りやすい鉄の鋳物は、仏具としての燭台や仏壇などの細かい細工などにおいて発展していったと考えられる。銅の鋳物は、生活用具というよりは、宗教的な用途に向けたり、建築の装飾に用いられていったのではなかろうか。

 イセキさんは鉄や銅の大型の鋳物を作るときの構造図をスクリーンに見せる。高い温度を必要とするその装置には、熱源の薪の他、大量の風を送る鞴(ふいご)が備えられ、10人がかりで足踏み式の踏鞴(たたら)が用いられた。スタジオジブリの「もののけ姫」に表現された踏鞴が、見事によくそれを表していると、後でその一場面を動画で見せてくれた。10人ほどの人が頭上の綱を手でつかんで体のバランスを取りながら、片足を床に、もう一つの足を踏鞴にかけて、体重を載せて「踏鞴を踏む」。

「踏鞴(たたら)を踏む」って昔から、悪いことのようにいうが、(もとはといえば)そういうことじゃないよねと、イセキさんは疑問を呈す。後の会食のときにその話題が再び出て、スマホではこう書いてあるよとイセキさんに見せて談義を沸かしていた。

 日本国語大辞典をひくと、「いもじのところ、男ども集まり、たたらふみ、物のこ形鋳(かたい)などす」と第一義を記したあとに、「②勢いよく突いたり打ったりした的(まと)がはずれ、力があまって、から足を踏む」とある。踏鞴を踏む作業は、この語義②のように、時々踏み外してとんでもない目にあっていたのかもしれない。「もののけ姫の動画も、女たちであったが、汗びっしょりになって懸命な様子がよく描かれていた。この後者が世に残り、鞴や踏鞴が姿を消していったのであろう。

 熱源としての薪ということになると、山が禿山になるとイセキさんは言う。玉野に子ども時代を過ごした私たちには共通のイメージが湧く。日々精錬所の煙がもたらした禿山だ。

 イセキさんは続ける。鉄を溶かすというモデルは島根にある。ルーツは朝鮮のはずだが、朝鮮の文献に踏鞴の記述はない。イセキさんのイメージは、家族総出で紐にぶらさがり踏鞴を踏む姿。そういうイメージが、我が祖先の姿を思い起こすのにふさわしい。西欧では水車で羽を回して風を送るようにしていたらしい。よほど風が強いと見える。

 単純化した図では、地上に溶解する銅や鉄を投入する装置が置かれ、鞴や踏鞴(たたら)や溶けた金属を受ける作業は地下で行われている。重いものを高所に持ち上げるよりは、地下に落とす知恵を使ったのであろう。その分、踏鞴の作業場は閉ざされた地下。暑さで並行している様子が、「もののけ姫」の動画には、うまく描かれていた。

 イセキさんは、鋳物の象徴として奈良の大仏産を取り上げる。どうやってつくったのか。

 図示をしてイメージが出来上がる。下から順に、八層に分けて順々に作り上げてゆく。型取りをして周りに土を盛り上げ、溶けた銅を流し込む。出来上がったらその上の層に型を作り土を盛り上げて溶けた銅を流し込むという具合に8回繰り返す。頭が出来上がったら、今度は土を堀崩して取り払う。その後に、大仏殿の社殿を建てたってことか。でもその当時には、地下の作業所ではなくなっていたのだろうな。それは、考えただけで面白い制作作業だと思った。鎌倉の大仏は・・・と言葉を添えてイセキさんはいう。立っているものを作りたかったが、バランスや強度を考えると、大仏の立像はつくれなくて坐像になった、と。それも面白い。


 鋳鉄と鋼の違いが説明にあった。そもそもその2つの材質がどう違うものか、完成品のイメージがわからない。鋼と聞けば、刃物を思い浮かべる。鋳鉄は、カーボンが21%超入っているもの、鋼は0.02%?21%までのものという定義が、業界筋にはあるらしい。カーボンが多く入っていると何が違うのか。

 調べてみると、鉄そのものと炭素を混ぜ合わせて、鉄の強度を増すらしい。カーボンが多ければ多いほど強度が強いのだが、強ければ折れやすいということもあるから、用途によって使い分けるようだ。調べていると、フライパンでは鋼の製品は靭性が強く薄く仕上がる。他方鋳鉄製は厚く重くなるという。今はいろいろな製品が求められているから、なるほどこうした違いはますます必要とされていると思われる。

 さてこうしてイセキさんの話は、現代社会が必要とする製品の市場における競争実情とその変転に移った。(つづく)

2021年7月25日日曜日

36会第二期第12回seminar(1)開催さる

  7月24日(土)の新橋駅そばの「鳥取岡山アンテナショップ・ももてなし家」で、1年半ぶりの36会seminarが開催された。去年(2020年)1月に、ハマダさんが「日本の防衛という問題」でSeminarを行って以来、新型コロナウィルスのせいで延び延びになっていたSeminarである。後期高齢者の皆さんのワクチン接種が2回完了したことで、憚りなく開催できることになった。

 30分前にはすでに講師のイセキさんはプロジェクターのチェックを済ませて、レストランの方でミヤケさんと話をしている。サトウさんがやってきて、お店の方も会場を開けてくれ、そちらへ場所を移した。

 長いテーブルが二列向かい合わせにして、ふた筋、アクリル板を中央において並び、椅子が間を十分おいて13席、ある。部屋の長辺の角にプロジェクターの映写スクリーンが置かれ、すでにパソコンと繋げられて、画面がうまく映るように調整している。やがて、フミノさんがやてきて、プロジェクターの下に台座を起き、スクリーンの画面が正確に方形になるように微調整をしている。いつしかミスズさんとツチヤさんがやってきて、おしゃべりをしている。オオヤナギさんがイセキさんやフミノさんと挨拶を交わしている。おっ、フジワラくんがその脇にいる。いつもながら静かな登場だ。

 ハマダくんとキミコさんが席につき、事務局のフジタが久々の再会のご挨拶をして開会した。


 イセキさんの話の冒頭では、「11月に大望を患い、いま体重も60kgをキープしている」と始まった。これにはちょっと補足が必要か。彼は去年(2020年)11月1日、心臓発作に襲われて入院、手術をし、12月に退院。今年の3月にseminar再会を計画したときに体調を問い合わせたら、次のような返信があった。


「12月はじめに退院して2ヶ月半になります。未だ体力は100%ではありませんが、少しずつ戻っています。36会の再開は3月末でしょうか。楽しみです。」


 しかし3月の開催は、コロナウィルスの勢いが収まらず中止。5月の岡山で予定されていた「36年卒全体同窓会」も、さらに1年延期となって、やっとこの7月seminarの開催にこぎつけたというわけであった。いうまでもないが、コロナワクチンの接種が高齢者である私たちはすでに完了しているということで、めでたく開催の運びとなった。


 さて、今日のお題は、「鉄の鋳物の話」。

 イセキさんが仕事にしてきた鋳鉄が、どのように行われるのか。それが日本産業にどのような位置を締めているか、どう変遷してきたか、目下どういう状況にあるかを、図や絵やグラフや写真、動画をつけたシートにして表示しながら、説明を加えていく。彼自身の行ってきた鋳物のコンサルタントや鋳物に関する教育用資料から取り入れたという。なにしろ、鋳物ということに全くの素人の私たちだから、イロハからの説明は、なかなか興味深い。要するに、金属を溶かして型に流し込み、使用目的に使えるように整形していく技術と言える。銅、鉄、アルミや亜鉛も整形されるというから、近代産業j技術のベーシックな分野を担っている。

 と言って、話が教科書的に一直線に進みはしない。そういうところが、seminarの魅力的なところだ。

 途中に挟まれたトピックのひとつは「洋上風力発電」。デンマークの造船会社が倒産して、そこを風力発電に切り替えた。今は中国が風力発電に力を入れ、世界一のになっている、と。この話は、9月に予定のseminarで「原子力発電」の新しい技術を紹介することにしているから、再生可能エネルギーとカーボンニュートラルという側面で、この話は関わってくる。無論、今回は深入りはしていない。でもなぜ、こんな話に? 三井造船の町と言ってもいいほど私たちの育った街は造船に親しんできた。たとえそれがデンマークであっても、造船会社の盛衰は共通の関心事なのだ。


 鋳物の歴史は紀元前4千年くらいからになるらしい。鋳物は隕石と同じというのも、面白い。今風に言えば、レアメタルってわけだ。メソポタミアとしては、そのレアメタルを武器として使ったらしい。それがどう伝わったかはわからないが、中国経由で日本に伝わってきたらしいとイセキさんは言う。日本列島においてヤマトが強かったのは鉄を溶かす技術を持っていたからと言われている。興味深かったのは、金属の溶怪技術が、日本では武器としてよりも、農機具を作ることにつかわれたということ。これまでは青銅器などの発見が行われ、それと朝鮮半島との関係が考古学会では始終取り沙汰されている。イセキさんも、しかし、朝鮮半島にその鋳物の金属溶融技術があったということはわかっていないと疑問を残している。

 鳥取県とか島根県の古墳や遺跡の発掘でも、そういう論議が取り交わされているが、考古学者たちは、農耕器具という次元ではどう考えてきたのか。岡目八目、素人のやり取りが案外本質に近いってこともあると感じた。(つづく。文中のカタカナ名はすべて仮名です)

「おおやけ」が「お上」という逆転の誕生

  1年前、2020年07月23日に「原点からみる、公共ってなんだ?」とブログに掲載している。先日(7/19)、「コモンってなんだ?」と記したことを同じことを、すでに記していることに、今ごろ気付いた。


《映画『パブリック――図書館の奇跡』は、「公共性」の原点は「生きる」ということの保障に発すると、メッセージを送っている。つまり、『ニューヨーク公共図書館エクス・リブリス』が展開した「文化」という領域での熱意の大本は、いのちの保障からはじまっていると示している。しかもその「命の保障」とは、既存秩序の維持というより、もっと原点的にとらえてみると、現在秩序を裏づけている政治・社会制度や道徳や規範感覚をも疑い・崩してとらえ返してみなければならないのじゃないか。逆にいうと、私たちは身をおく状況にどっぷりとつかって、ホモ・サピエンスとして出立した原点をすっかり忘れて、ノー天気に暮らしているなあと思い当たる》


 「コモン」を「公共」と翻訳して、いつも「おおやけ」と考えている自分に気づいたというのが、今年7/19の記事。「公共」がじつは「おおやけ」=「公ー共」の動態的平衡を意味していたということだ。去年の記事を読んで、「公」が「おおやけ」観念の全面を覆ってしまっていた、と改めて気づく。「おおやけ/コモン」の原点は「生きる」ということの保障に発すると、すでに書いている。

 発生史的にみれば、「おおやけ」が「お上」、すなわち政府行政権力機関を意味するのは、ずうっと後の出来事。原点は、「生きること」とは「共に生きること」であり、すなわち「おおやけ」であった。それが、権力の発生と分業制の誕生によって、表裏の関係の逆サイドに従属が発生し、分業によって提供されるコトゴトの享受者という立場が生まれたとみると、「お上」が「おおやけ」になった節理がわかりやすい。しかも、上位権力者の角逐闘争は繰り返されたが、従属者と支配者の闘争は、日本列島においては、さほど明確に行われなかった。常に、いずれに支配者を選ぶかというかたちでしか現れなかったから、「おおやけ⇒公」が「共生」と結びつくのは、高徳な支配者が誕生したときに限られたといっていい。それを、当為的に表現したのが、儒教の徳治政治であった。こうして、「おおやけ」は「生きること」から切り離されて権力闘争に移行し、いつしか私たちの心裡に、「おおやけ」とは「お上」のことという等式が生まれ、それが観念の全面を覆ってしまった。

 コロナウィルス禍によって、政権の対応が、文字通り「生きる」こととの関係で問われ、日本の政府は「自助」「共助」「公助」と、「おおやけ」は政府が統括していると自称すらしていたのに、その実ほとんどこれといった明確な指針を提示することができなかった。情報化が社会的に急速度で広がっていることもあって、「情報」を秘匿してすすめる「公」の体質が、露わになってしまった。

 なんだ彼らは、自分たちの身を護ることだけに懸命で、「共に生きている」ことをさほど尊重していないと、経験則的な知見を例証するように実感させた。つまり信頼しなくなった。そうなってみると、彼等の口にする言葉が、上っ面を飾るだけの空疎な響きしかもたないことも、不信を証明するように明らかになった。

 もう私たちに、たしかなものとしては「自助」と「共助」しか残されていない。ならば、そこであらためて「かんけい」を紡いでいってみようと、動き出す。それが、コロナウィルス禍の現在の人々の行動である。そこが根柢となって情報が流通するから、信じたいものしか信じないという風潮が広がる。それは同時に、自分自身を疑って吟味するというスタンスが消えていく過程でもある。

2021年7月24日土曜日

バブルの中と外の五輪開会式

  オリンピックの開会式があった。TVで観ていて、こんなにたくさんの国から来ていたのと思うほど、小国の名が紹介される。植民地がそのまんま島や地域の名で行進しているのも「初見」であった。1964年の時は学生だった。五輪には背を向けて田舎へ帰ったりしていた。いま、TVなどみているのは、齢を取ってボーっと生きているから。でも、もう少し早い時間にしてくれないかな。スポンサーの御意向に沿っているのだろうが、1時間も見ていられない。

 でも演出は、夜向け。映像を駆使していろいろな装飾がヴァーチャルだ。1964年の記録映画で観たような「隊列」はすっかりほぐれて、やわらかい「祭典」という関係が浮かび上がる。競技場の屋根から上がる花火も、外(上空)からみている分には、見栄えがするじゃないか。でも、TVも切り取った画像だから、何処からどのようにみえているのかは、わからない。

 カ行の国が終わらないうちに風呂に入ってラジオを聴いていると、外からの中継というのをやっている。花火を見て「これだけでもよかったねえ」と話す観客に、良かったねえと思う。競技場の中の音が止んだときに、シュプレヒコールが聞こえる。そうか、私が観ていたTVは、国営放送のNHKであったと気づいた。民放ラジオは、立ち位置が違う。NHKは完璧に五輪バブルの中に身を置いている。民放は、バブルの中を外を全体としてみている。どちらが好ましいかは、言うまでもない。

 そう言えば開会式当日(7/23)の朝日新聞には、「森喜朗を名誉顧問として復活させよう」という動きがあることが報じられていた。それを目にしたとき、そうだよなあ、オリンピックっていうが、所詮、東京2020の主催は自民党なんだよなと感慨深い思いがした。バブルって言えば、安倍政権以来、そっち側とこっち側というふうに、端境を区切ってバブルに閉じこもるやり方が、自民党のお家芸になっていたなと思った。いつ頃からだったろうと思いめぐらす。小泉政権のころからか。自民党をぶっ壊すっていうこととか、私の(郵政民営化の方針に反対するのは)「抵抗勢力」と規定して、立候補の推薦も認めないとして以来、お家芸になって行ったんじゃないか。

 と書いていたら、TVのニュースで、「選手村の人たちのPCR検査を毎日行うって規定しているのに、行われていない人にはかくかくしかじかするという内部マニュアルにあるのは、どういうことか」と野党議員に追及された内閣官房の担当者が、「規定通りにやっている。こういうマニュアルが外に漏れるっていのがモンダイだ」と応じている。アハハ、こういうのを語るに落ちるっていうのだね。みな、内輪のこと。外の漏らすなというセンスも、古い自民党(ばかりじゃなく、お役人)のセンスだよなと思った。まさしくバブルの中だけに通用する「身内」意識が憚りなく外に向けて発せられている。

 それでもう一つ気付いた。選手団入場の先頭に、日本の国旗を持ったかつてのメダル選手に救急隊員を加えた一段が入ってきた。そのまま掲揚塔にまで行くのかと思っていたら、自衛隊の隊列に国旗を手渡した。ああ、これは、欧米の真似だなとおもった。国旗を掲揚するのは、まさしく軍隊の役割。受け取った隊員たちの立ち居振る舞いはきびきびしていて、心地よい。

 でもね、と思う。1964年の東京五輪で金メダルをとった重量挙げの三宅義信さんが、キビキビではなくとも掲揚塔に上がるときによろけたっていいじゃないか。だってニホンジンだもの、と嘯くくらいの心持ちの方が、事後の日本の姿を表現するのにふさわしいのではないか。そう思った。

 眠気に勝てず、開会式はサ行に入るころには観るのをやめてしまった。ただ、シリアやコソボの選手団の入場を観ていて、そうだね、スポーツってのは、「国際的なルール」が確立している「場」だ。国際関係も、このように「国際的なルール」が確立しさえすれば、無用な争いではなく、ステージを共有して「異見」を戦わせることができる。そういうことに、力のある参加国は、気づいているのだろうか。それとも気付かぬふりをして、とぼけているのだろうか。

「難民選手団」とか、「ROC/ロシアオリンピック委員会」という名称の入場をみながら、この人たちこそ、身に沁みてそう感じているに違いないと、国家と社稷の大きなズレがどこにでも起こっていると思った。

2021年7月23日金曜日

オリンピックで貴種競技を観る

  一昨日(7/21)から始まっているらしい五輪の競技種目。ソフトボールの第2戦をやっていた。朝、秋ヶ瀬公園へ出かけちょっと散歩をし、ついでに買い物をして帰ってきたら、TVでメキシコ戦をやっていた。第一戦のオーストラリア戦ではホームラン3本、コールド勝ちを収めたという。一番最初に五輪空気を日本に持ち込んだオーストラリアに、それもコールド勝ちなんて、とんでもない「お・も・て・な・し」だ。日本は何やってんだと思った。

 やはり昨日(7/22)も試合があって、カナダチームに敗北を喫しているメキシコ相手だという。メキシコは強いはず。どんなものかと観ていたら、いや、なかなかの接戦。ソフトボールはコンパクトでいい。野球と違って7回というのも、ほどよい感じ。無観客というのが、これまた、昔私たちがやった草野球や草ソフトのようで、趣がある。ただ、スピードが違う。いや凄いね。コンパクトに当てるだけでフェンスを越えるというのも、外野がライナー性の当たりをエラーするというのも、たぶん球の速さが違うからだろう。延長戦を、無死二塁走者からはじめるというのも、捕手が塁に出たときには、その前のアウトになった打者が走者を代わって試合時間を短縮するってのも、今年から高校野球に採用されているそうだが、面白い。スクイズもどきでサヨナラというのも、みている私が監督ならそうするなというTV観客の没入感が当たって、ほくほくとしていた。

 そうして思うのだが、ソフトボールの国際大会なんて、まずやらない。メディアも取り上げないから、先ず観られない。そういう競技が、オリンピックというのでわんさと観ることができる。メディアも、五輪の冠がついているから、堂々と放映できる。まして自国開催となると放映せざるべからずとなるNHKだ。無観客というのが、さわやかで気持ちがいい。

 何よりメキシコチームのベンチの選手たちが、コロナ禍というのに、女子高校生のように声を立て、飛び上がってはしゃいでいるのが、なんとも微笑ましい。

「世界の平和」とか「復興五輪」なんて言わなくていいから、「滅多にみられないスポーツ競技をTVで堪能してください」と自国開催の宰相がいえば、国内的にはなるほどそれで十分、と腑に落ちるのにと思った。

 女子サッカーも、男子サッカーも、攻めあぐねてはいるが、見事なパス回しの業が(男女で大きな差はあるが)腕達者じゃなくて足達者な相手と比して遜色ないのも、ホームのせいだろうか。相手チームが、コロナ感染(させてはまずい)で遠慮しているのかと思うほど控え目。そうだ日本は、こういう控え目ってのにすぐ同調共感してしまうのだと、わが身を振り返ってスポーツらしからぬことを思う。

 とすると、やっぱり事前合宿で日本各地に滞在して、事前練習をみせ交流するってのが、五輪の国民的というか、開催地・東京だけでない楽しみってものではなかったか。つまり、バブルで「一般の国民生活と切り離す」って所業が、そもそもの五輪精神に悖る。当然来日する人たちも、閉じ込められて心地よいわけではない。まして、感染の多さが、けた違いの日本。何をビクビクしてんのよと(外国人選手たちは)思うから、主催者側のプレーブックの趣旨に沿おうなんて思ってもいない。そもそも選手村は窮屈だからホテルに泊まるわというアメリカのチームの勝手な振る舞いに「国外退去命令」を出したりしたら、面白いのにと思う。だが、それはまた「別件逮捕」というか、安保に関する意趣返しって感触のことだから、場外乱闘になるか。

 情報化社会。コロナ禍の五輪。人々の受け止め方もすっかり変わってきている。にもかかわらず、主催する権限を持った人たちは、昔日の栄光イメージだけで振る舞うから、ズレが大きくなってしまう。虚飾に満ちた言葉だけが行き交って、ますます権限を持った人たちが空疎に見える。これって権威の失墜だよね。世の中に対する失望感が身の裡に沈着する。

 皮肉にもアスリートの競技中の一瞬の姿が、空疎さをけ破って、さわやかに感じられるのかもしれない。ま、外野の年寄りの目には、五輪協奏曲がそのように響いてくる。

2021年7月21日水曜日

「校則」のようなプレーブック

 コロナ対策を関係者に周知するための「プレーブック」の些細な規定(15分程度の外出は認める)が、物議を醸している。そういう規定を設けるから、外出してバブルに穴が開くんだよとか、誰がチェックするのか、そういう要員を配置できるのかなどと囂しい。

 聞いていて、思わず、昔の高等学校の「校則論議」を思い起こした。

 30クラスほどもある一つの高校で「髪を染めない」とか「スカート丈を短く詰めない」という「校則」を実施するときに、「染めてない、地毛です」と言いはる生徒にどう対処するか。スカート丈を「膝まで」というのは、膝に少しでもかかっていればいいのか、膝上何センチまで認めるのかと、教師間でやり取りするバカバカしさ。30年も前の話。

 校則を厳密に実施させ守らせようという教師とそんなことワシャ知らんよと素通りする教師がいる。すると職員室で、互いにぶつかって罵り合う事態に発展したりする。「校則」を守らせることが担任教師の第一歩と考える教師は、いい加減な教師に対して攻撃的になる。詰め寄られる教師は、そんなことは教師の「本務」ではないと思っているから、ますます他人事のように応じる。

 間に立って困るのは、学年主任など学年全体を総括する立場の教師あるいは、生徒指導部とか生活指導部という「秩序」の要に当たる役割りの人。

 なんで「校則」があるのかと考えると、大きな絵柄が浮かぶ。学校を学校たらしめるため、生徒を生徒たらしめるため。どういうことか。

 学校というのは、その社会に共通の文化のベースを次の世代に継承するためのもの。つまり、そもそもが保守的な性格を持っている。ところが世の中は凄まじい勢いで変わってきている。子どもたちもその渦に呑み込まれて、おとなしく机に向かっているわけではない。高校生ともなると、親や大人世代に対する反発もあるから、意識的に「秩序」に逆らいもする。ただの野放図と反逆とを見分けて、野放図に「場」を(身をもって)心得させるがの、保守的文化伝承の真髄。つまり、髪を染めたりスカート丈を短くしたりするのは、「場の気風」にそぐわないと体に伝えるのが、「校則」だということだ。

 ところが世の中は、すでに、「場の気風」なるものを自由にせよというふうに変わってきつつあった。バブルの時代を通して、大人の価値意識も大きく変容した。つまり伝承するべき文化(の身体性の部分)が消え始めている。古い文化をぶち壊せって気分も結構大勢になってきた。つまり文化の伝承という学校の性格が揺らいでいたのだ。dめおそれは、小中久高を通して共通の事態。

 高校に現れる揺らぎは、学校での文化の伝承を理知的部分に特化する方向へ舵を切って、世の中と折り合いをつけていった。「学力」をつければいい、「進学」や「就職」に有利になればいい、と。つまり、まったき競争序列の中に学校教育を投げ込んだのであった。勉強なんかしたくない子どもだっているのに・・・。高等学校は、いわば「学力」別に序列化されていった。進学に力を入れる私立高校は当然上位に位置するようになる。新興の私立高校も、スポーツや特進クラスを設けたり、一部だけ学力を高くするように募集定員を絞って、学習塾の公表ランクを上げる凝った手立てを講じて、公立高校よりも上位に位置するようになった。

 その結果、公立高校に何が起こったか。高校だけは出てくれという親の願いを聞き入れたかたちで、スネかじりをつづけるために勉強などしたくもないと思っている子どもたちが押し寄せた公立高校の「底辺校」は、教室秩序を保つこともできないほどのアナーキーな空間になった。でもそれはいっときのこと、モンダイの彼らは学校をさっさとやめて街に出ていってしまう。街に出るのもコワイという残った生徒たちは、さりとて勉強に向かうわけでもなく、居場所がないから学校に来ているという格好になって、通ってきては、勝手気ままに過ごす。

 その秩序を、学校的な格好をつけて保つにはどうするか。それが、「底辺校」の教師たちの課題となった。

 さて、話を本題の戻す。

 オリンピックの「プレーブック」が実施過程に入ったときに、果たして実効性は担保できるのかという疑問は、自由社会の気随気ままなヒトの振る舞いが、どう展開されるのを、どう推し図って、「言葉」にするかを思案する、教師たちの困惑に似ている。

 教師たちと違う困惑のひとつは、諸外国の人たちとの文化の違い。プレーブックの「規定」をどう受け取るかという違いもある。何しろ、振る舞いは身に染み付いた習性のようなもの。ハイハイと受け止めて、あとは言い訳をどう上手に組み立てるかによる。15分という外出規定も「迷子になった」といえば、規定オーバーだとして退出命令を出せるほどの「権力性」は、日本にはない。あったら、コロナウィルスにだって、「自粛」だ「酒類提供の禁止」だと騒ぎにはならない。ロックダウンすればいいのだ。だが法的な規制ができるかどうかではなく、「おもてなし」の精神にそぐわない。そう、状況適応的jに物事を判断する気風を持つ日本人は受け止めている。

 じゃあ、プレーブックは、何なの?

 主催者の、国民向けの言い訳。やるべきことはやった。できないのはモンダイの人たちが勝手なんだから、と。「無責任宣言」と言ってもいい。うまくいかなかったときの防波堤。文句をつけてくる人たちへの邪気祓い。

 去年からの成り行きを見ている日本国民は、ま、勝手にやってもいいけど、困るほど迷惑はかけないでねと、主催団体の関係者や主催してはいないがいいとこ取りをしたい政治家や政府の関係者たちに、静かに願っている。民度が高いから、政治家は困らない。

 それくらいの空気が読めなくて、どうする。誰に向かっていっているのか、わからないが、KKYとか、郷に入っては郷に従えと、年寄りはつぶやいている。

2021年7月20日火曜日

神の視線、人の視線

  どこかのTV局の番組で、池上彰が「解説」をしている。私はこの人が嫌いだ。

 どうして嫌いなのか?

 自分がどこに立ってどういう角度で見ているかを、いつも透明にしている。そういうのを「公正」と心得ているのか、「世界はかくかくの仕組みによって、しかじかの利害が絡まり合って動いています」と「解説」する。まるで、学校の教科書のような説明の仕方だ。むろん、いろいろな立場のヒトが、どのようにそれに向き合っているかも組み込まれて入る。だがそれって、どこから見ているの? と疑念が生じる。つまり「解説」するあなたは、その「色々の立場」にどのように体重をかけているのかと思ってしまう。

「色々の立場」には、自分にもわからない「人間要素」が組み込まれている。岡目八目というから、すぐそばで見ているヒトには見て取れることもあろう。客観的なものの見方だよというかもしれない。神の視線と言ってもいい。でもどうしてあなたにその視力が備わっているの? と疑念は次々と追いかけてくる。その自問自答がめんどくさいから、敬して遠ざける。

 はたして世界は、誰が、どこを、どこから見ても、同じ仕組みで動いていると言えるほど、それ自体で見えるものなのだろうか。いやそうではない。それぞれの立場に立って物事を認識しているヒトたちには、自分でもなぜそう思うのか、なぜそう考えるのかわからないことが、たくさんある。私はそう思うから、池上彰の「解説」を信用していない。でもこれが、公正なジャーナリストのものの見方なのだよと池上は言うかもしれない。もしそこに、池上自身の重心の置き方、「人間要素」が加わっていれば、少しは関心を持って耳を傾けるかもしれない。だが、いつも彼は、透明人間=ジャーナリストなのだ。

 言葉はヒトのクセと、私は言ってきた。そうしないでいられないのがクセだ。言葉を使って世界を切り分け、名をつけて混沌の海から取り出してきた。ちょうど渡り鳥やサケマスが生まれ故郷を目指して帰ってくる方向感覚を持っているように、ヒトは言葉を用いて世界を(そして自分を)俯瞰する。あたかも誰が見ても、そう見えるかのように言葉を紡ぐ。だが当人でさえ、なぜそう考えているのかわからないコトゴトが数多ある。つまり、身に沈潜している人類史的、生育歴的由緒由来。それが「人間要素」として作用して構成しているのが、そのヒトの見ている「せかい」だ。

 とはいえ、サケやマスや山や森や川は皆さん共通して使っている「それ自体」じゃないの?

 そうなんだ。ヒトの言葉というのは、象徴的に使われている。何万年という径庭の間に、由緒由来が忘れられて、現在的な正当性だけが用いられるというのが、「ことば」なのだ。だから変遷する。それがまた象徴的用法だから、大から小まで種々あっても、イヌは犬と共通の言葉に象徴させる。個別/特殊が一般/普遍に広がる。人類史的共通性というのは、かなりちゃらんぽらんであることが必須の条件であると言ってもいい。いい加減だからこそ、広く用いられ、共有されている(かのように)受け止められる。

 それを使うヒトがイメージするヤマは、アラスカの雪をかぶったヤマかもしれないし、故郷の実家の裏山かもしれない。でも、ヤマを見ると上りたくなると聞くと、そうだよねえと相槌を打ってしまう。つまり言葉は、自分の発明品ではないのに、その言葉によって混沌の世界を切り分けて「せかい」がかたちをなしてくるってところに、人類史の遺産であると同時に、自分のものであるという両犠牲をもっている。それが「ことば」なのだ。

 学校で教わる言葉は、人類史的遺産としての「文化」の伝承である。「概念」も「イメージ」もちゃらんぽらんであるがゆえに、広く長く伝承されてきたとも言える。だがそれは、ひと度一人のヒトの内側に受け取られると、そのヒトの置かれた環境、立場、目下の状況によって「意味合い」が異なってくる。イヌは、スイスのマウンテンドッグであったり、チワワだったり、雑種の捨て犬だったりする。あるいはイヌが、安心の象徴だったり、吠えかかる五月蠅いご近所の飼い犬だったり、いつも腹を空かせているやせっぽちだったりする。そこにそのヒトとイヌとの「関係性」が浮かび上がる。「イヌそれ自体」を認識することは、ありえない。イヌそれ自体があるかのように「意味付ける」のは、生物学的にイヌを取り上げる限定的俎上においてだけなのだが、私たちは、いつしかその限定的「場」を取り払って、客観的な見方と位置づけてしまってもいる。

 こうして私たちは、たとえば「いぬを放し飼いにしないようにしましょう」という標語を誰にでもどこででも適用してしまえると考えてしまう。つまり社会的に共通している「概念」で通用すると思い込んでしまう。だが、イヌのイメージがヒトによって異なるのと同様に、イヌが繋がれていなくてはならないかどうかも、社会によって異なる。「関係」によって言葉の意味合いは、変わってくる。社会の共通規範という「限定的」場にモンダイが移行している。

 まして、現に目にしているものばかりか、「世界」のことごとには、目に見えない仕組みや曰く因縁が積み重なってきている。それらを一つの「概念」で切り分けてしまうってこと自体が、無茶といえば無茶、無謀といえば無謀なこと。だが実は、言葉が通じている(と思える)のは、場を共有しているという「共通感覚」がある証である。空間を共有していると言おうか、共同社会にいると言おうか。日本語が通じるだけでも私たちは、場を共有しているような気持ちになれる。それ自体も、ちゃらんぽらんである。

 大坂なおみが全米オープンで優勝すると、あたかも自分が勝ったことのように喜ぶのも、「共通感覚」があるからだ。逆にそういうのがないか、そのスター選手によって、一層自分の惨めな境遇の抱え込んだ鬱屈が募るヒトにすると、日本人たって母親だけじゃんとか、日本語もわかんないんじゃねえと、枠組みから排斥しようとする。つまり、人は違った考え方・感じ方を持っているというだけでなく、そのヒトの内面に抱えてきている憤懣や鬱屈(つまり、時間的な堆積する径庭)までふくめて、思案に入れなければならないのだが、そんなめんどくさいことは、ふつうしない。それよりは、社会や空間に関する一般的な概念を採用して、外れるものを疎外するほうが、我が身の内面をかき混ぜられなくてよい。

 そうやって、ヒトの第六感、である言葉は、ちゃらんぽらんであることによって人々をつなぐ紐帯として大いに力を発揮してきたのだ。

 池上彰の「解説」がちゃらんぽらんさを体現していれば、私は面白いと思ったかもしれない。だが、「神の目」は絶対なのだ。客観報道のジャーナリストは、ちゃらんぽらんではないのだ。

「ヒトの視線」は、それを備えているからこそ、身のうちに染み込むのだと思っている。

2021年7月19日月曜日

コモンとは何か――身に沁みわたる「人権」

  斉藤幸平『人新世の「資本論」』が紹介していた「ミュニシパリズム」や「バルセロナ・イン・コモン」のことを調べてみようと、岸本聡子『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』(集英社新書、2020年)を読んだ。

 著者はアムステルダムにあるシンクタンクNGOに所属している方。記述は欧州でいつのまにやら行われていたのをふくめ、水道の民営を公営化するためのフランスやスペインやイギリスなどの人々の闘いを紹介している。徹頭徹尾現場主義的。だがそれが、地域的な闘いに始まりながら、地域行政だけでなく、国家やEUROの「規定」を俎上に上げて向き合い、ついにはEU議会に議員を送り出すことまで視野に入れるようになった。徹頭徹尾の現場主義とは、しかし、あくまでもそれは、地域運動の蓋然的成り行きだと、淡々と綴っている。それが、EURO政府の新自由主義的組み立てにも立ち向かうという格好になっている。

 紹介した斉藤幸平の言うように、それがあたかも「コミュニズム」を目指しているかのように触れまわってはいない。「水は人権である」という基本線を全面におしたてて、容易に浮上しようとしない。そのしつこさに、強く訴えてくるものを感じた。

(1)水道事業の民営化が、日本で話題になったのは十数年前ではなかったか。PPP/PFI法とやらが言葉として飛び交っていたようにぼんやりと思い起こすが、(また政治家たちが勝手なことを外国に押し付けられてやってるよ)くらいにしか受け止めなかった。しかし、岸本のこの著書を読んでみると、なんとも大変なことである。「みず」は水道栓をひねれば手に入るものという私の常識が、見事に水道事業を金儲けにしようという人たちに食い物にされようとしている。公共のことをお上に預けておくことが、いつの間にやら資本家社会の原理に組み込まれて行こうとしていると、わかる。

 つまり「人権」とは水や空気、自然環境という共有財産から起ちあがるヒトの実存の根柢だ。

(2)「コモン」を取り戻すと欧州の人たちは声を掛け合って、水道事業の再公営化を闘っている。その「コモン」は「公」ではなく、「共有」することだと、教えられる。「おおやけ」というのを私たちは、地方行政府(つまりお上)のやることと考えて、任せてきた。欧州の人たちは「水」が「共有財産」だと考えて、自分たちの手に取り戻そうとしているのである。つまり、「コモン」は「おおやけ」ではなく、「共有」のものとしてコモンなのだと訴えている。お上だといって、勝手に「水」を利権の手段にしていいわけではない。そこまで資本家社会の論理に組み込んで「公共」から取り上げてしまうのは困るよ。そう、私自身のコモンの概念を切り替えることになった。

 そうして観ると、昨日もTVの画面でみたのだが「最近は青テントが増えた」とみせるイギリスの街並みの道路沿いのフェンスに取付けたホームレスの住まいが写っていた。ああ、こういうのも受け容れているイギリス人の感覚が、「コモン」の原点かもしれないと思った。

(3)しかもその、草の根の運動が、地方行政と結ぶついて政治闘争になる。そこから、行政というものと私たちの「公共性・コモン」というものとの綱引きが始まっている。その綱引きにかける私たちの手に力が入っているかどうかが、問われている。つまり、民主主義が機能しているかどうかが、文字通り問われている。それが、「水は人権」という起点から、ある種の論理的必然として展開の筋道をたどるところに、この欧州の再公営化の運動の確かさが感じられる。

 これって、欧州の人たちの堆積してきた「人として生きる闘争」の積み重ねがあったからだろうか。どうして日本では、控えめに、「お上のなさること」として影をひそめるようにしてきたのだろう。私自身の身の好みとしては、控えめの方が好ましいのだが、そう感じながらなお、欧州の人たちが身に刻んできた「民主主義」の実感覚に、敬意を感じている。

(4)もちろん革命運動などというものではない。だが、この運動を通じて人々は自らの「世界観」を問い直し、具体的な現場そのものの必要として、他の国や地域の人たちとの連携や連帯を感じ取り、ついには国連に訴え出て「水は人権」を決議させることへもっていく(この決議に日本政府は、アメリカやイギリスとともに棄権している)。まずそこに、斉藤幸平の「イメージ」戦略は破綻しているといえる(ま、どっちでもいいことではあるが)。

 つまり日本では、「政治」と「人の暮らし」が切り離されてきた。位相が違うと実感してきた。これは、国家や行政と社会経済が切り離され、国家のことは「お上」として、庶民は知らぬ顔を決め込んできただけなのではなかったか。こうなる前は(つまり江戸の時代では)どうであったかと考えると、村落の自治的な「囲い」があり、その「囲い」は保護膜であるとともに年貢も連帯責任を負うという個の自律にとっては、めんどくさいものであった。では欧州ではこの点は、どうクリアしてきたのだろうか。そう、思いは走り始める。

(5)こうも言えようか。民主主義とは、公共性を民衆の手に取り戻すことであり、「公共の福祉」として神棚に飾って、祭司である政治家や官僚たちにおまかせしておけるような、静的なものではない。そういう意味では、日本の民主主義は(江戸期の自治をその萌芽と考えると、それを忘れて)、やっと端緒についたばかりとさえいる。78年間も生きてきて、戦後民主主義の申し子のように育ってきたと考えている私にしてからが、お恥ずかしい。今頃(あらためて)気づいて、欧州に感心している。民主主義というのは、簡単に一般化してはいけない。徹頭徹尾現場の具体性にこだわり、そこの延長上から足を踏み外さず、モンダイに執着することと読んだ。

 つまり、明治維新において欧州から学び、第二次大戦後においてアメリカから押し付けられた「民主主義」は、外的なものでしかなかった。頭が取り入れても、身が感じ取って刻むようでないと、現場性と結びつかない。そうか、そう言えば、政治教育にしてからが、知識だけに限定し、実戦的なありようとしては次元を異にするように仕組まれている。もっと、頭から離れ、身に沁みこませるように具体的でなくてはならない。

6)岸本聡子の口吻からすれば、欧州の草の根運動は、もっと知られてよい。欧州から締め出された水道事業企業が今(市場を求めて)、日本をターゲットに押し寄せてこようとしている。日本の総務省も政府も、彼らを受け入れる新自由主義的な論理と法整備を着々としてきた。それがPPP/PFI法だ。もし日本が民営化への道に踏み出してしまうと、再公営化を取り戻すまでに何十年という歳月と何千億円という負債を抱えることにもなるであろうと警告する。しかも、値上がりする水道料金を支払えない人たちへの給水を止めて、干し上げるという厳しい過程まで付け加えて。そういう意味で、「人権」なのだ。

 想像力を働かせてくださいという、彼女の懸命な声が、肚の底に響き残る。想像力とは、頭で思いめぐらすことではない。ひとつひとつ(例えば、ホームレスのブルーシートを受け止めるように)それぞれの身に応えるようなイメージなのだと思う。

2021年7月17日土曜日

表通りだけで世の中は成り立っていない

 西村コロナ対策大臣が、政府の指示に従わない居酒屋などに対して金融機関も働きかけてほしいと要請したり、酒類の卸商に酒を卸さないようにと圧力をかけたことをめぐって、メディアはおかしいと大声を出し、首相も財務大臣も「おかしい」と受け容れて、とうとう西村大臣はすべてを撤回しなければならなくなった。

 だが、首相や財務大臣が「おかしいことはおかしいといわなくちゃおかしいでしょ」などと語呂遊びをしているようなセリフを記者会見で吐くのは、鉄面皮だと私は思った。なぜなら彼らは、政府の要職に就いて以来、そういう手を遣って気に入らない人たちに圧力をかけ、官僚たちには迷わず左遷をし、業界へは取引停止の圧力をかけるのを常としてきたからである。

 菅義偉が首相に着いたとき、彼の総務大臣時代や官房長官としてのやり口がいろいろと紹介されていた。自分に反対するもの、意見をするものに対して苛烈なほどの人事的処遇をしてきたと、強面であったのが印象的だ。つまり彼は、口舌が達者じゃないだけに、自らの力を周囲に知らしめる方法として、人事権を最大限に駆使してきたというのであった。その反照が、東北新社の息子の振る舞いであった。

 例えば先月の半ば、平井卓也デジタル担当相が「NECには死んでも発注させない」という暴言を(内輪の会議で)吐いたと報道され、彼が撤回・謝罪するということがあった。しかし、あれはひょっとしたら、彼自身が仕組んだリークではなかったか(と私は推察している)。デジタル担当関係者の集まりで、「暴言」を吐いた。それが(録音証拠を備えて)報道される。大臣は撤回・謝罪する。だが、それだけだ。「NECには死んでも発注させない」という大臣の意思は、まちがいなくNECに伝わる。撤回・謝罪したのは、世間向け。政府の意向を汲もうとしないのであれば、そのような処遇が後に起こってもふしぎではない。そう受けとめてもらえさえすれば、平井大臣の意図は適うのである。実際、彼のその発言をめぐっては、「内輪の集まりだったのなら、その程度のことはやりとりしている(ちょっと言葉が乱暴だったけど)」と平然とかたる「識者」もいた。

 日本の政府が、ロックダウンをしないでも、コロナウィルスへの対策を施すのに不都合はないとしてきた。それこそ「命令」さえしないで、「お願い」とか「自粛要請」で意図するところが実行されることを、財務大臣は「民度が違う」と誇ってさえいたではないか。あれは、世間的な裏の取り引きを「強制力」に代えてきた実績と成果が、世に知れ渡っていたからであった。表通りだけで商売も支配も終わっているわけではない。裏側の駆け引きとやり取りが組み込まれていたからこそ、海外とのやりとりも成果を上げてきたことを、1960年、1970年の日米安保条約の日米行政協定や思いやり予算や「密約」などが示している。それは周知の事実だ。

 まして、国内的な支配において、金融業界や産業界が政府の指示を忠実に守ろうとしないってことは、「反日団体」といってもいいくらいと保守党の政治家たちは考えている。今回は、居酒屋という零細企業が相手。政府のいうことをきかない。ならば、金融関係から締め上げ、卸商から兵糧攻めにして干しあげてやれと、内輪の会議では(もっと乱暴な言葉で)口が滑っていたかもしれない。それを、若手のコロナ担当大臣が記者会見で口にしてしまったために騒ぎになった。宰相は、あたかも第三者であるかのように「総じて(宰相である)私の責任」と一般論へ持ち込んで、世間の批判をかわしている。

 なんで、裏側の力を見せつけていうことをきかせようとする話を、具体的なコトとしてとりあげないのか。モリトモ学園モンダイの文書書き換えを認めてさえ、それを指示した高級官僚を出世させ、再調査を拒むという筋道の通らないやり方を、いつまでつづけるのか。それくらいなら、いっそのこと、アメリカの大統領トランプのように、司法で有罪になった身内補佐官を、収監直前に大統領令で特赦してしまうような「正直さ」の方が、コトが明確になって国民はすっきりする。なるほど今度の政府は、そういう奴等なんだ、と。もちろん、アメリカ同様に国民は二分裂する時機を過ごすことになろう。すでに日本は安倍政権以来、仲間内とそうでない人たちと二分してきたわけだから、裏側をそろそろ表通りに戻してやってはどうだろうか。

 いつだったかよく名を知られた総合商社に務めた友人がリタイア後に、彼の仕事の三十数年を振り返って「商社の仕事とは」という話をしたことがった。これと言ってまとまりのあるメッセージを含んでいたわけではない。だが、その後その記録の取りまとめをやめてほしいと当人から依頼された。はじめ私は、まずいと思うところを削ればいいのではないかとやり取りしていたが、あるとき、そうではないことに気づいた。総合商社というのは、世界を股にかけて活動している。取り扱う商品にもよるが、原料資源ということにでもなれば、当然、南北問題も絡んで文化の違いが、現実の取引の表面に浮かんでくる。それを市場経済の経済原則だけで乗り切ることはできない。賂も、おもてなしも、ありとある手立てを講じて商取引を成立させるための尽力が要請される。つまり、総合商社の仕事を公表するということだけで、国内的にはおおよそ非難を受けないではいられないコトゴトがモンダイとなる。そう考えたのであろう。全部をオフレコにして始末したことがあった。

 考えてみれば、アダム・スミスが資本主義経済の自由競争を説いたのは、プロテスタントの倫理が世の中に行きわたっていた時代であった。むろん、それも(日本風に言えば)タテマエで、現実過程は「死者を埋葬することすらできない貧困」が町中に広がっていたと当時のロンドンを描いた物語に記されている。でも経済取引は、レッセ・フェールを貫いて(プロテスタントの倫理を信じる自立した個人たちにとっては)公明正大であった。

 ところが時代変わってグローバル化が地球規模に広がった。経済的格差は地球大になり、しかし、資本は文化の違いを乗り越えて、広がった。となると当然取引の決定打になるのは、経済的な取引のもたらす利害ということになり、経済原則だけは当然遵守しなければならない苛烈として力を揮う原理となる。プロテスタントの共通文化は、ない。札束でほっぺたをひっぱたくどころか、国際機関を通じて成立させた条約や国際法を後ろ盾に、有無を言わせない商取引に乗り出す。あるいは二国間に取り決めた「契約」によって、借款を返済できないがために99年間の港や空港の運営権を経済強国に譲り渡す途上国は、後を絶たない。つまり、プロテスタントの倫理という共通文化もなくなって、力の強いものが資本家社会的な経済原則に守られて力を揮う時代が、公然と横行している。それが新自由主義のもたらしている現実である。

 そういう時代になったのであった。

 国家は、企業活動を保護するということもあって、資本家社会の原則を固辞する。と同時に、グローバルな時代、国際資本の暗躍も働き掛けもあって、日本の政府機関へも、国際資本の代理人のような「専門家」が算入して、政策立案に携わっている。彼ら、彼女らが、なにを代理しているか、なぜ政策立案スタッフになっているさえ、(国民には)わからない。竹中平蔵のような「専門家」が参与として関わって新自由主義的な政策提起をすると、政治家たちはその舞台の上で踊るしかない。

 ワシら知らんもんねと構えていた私たち庶民も、気が付いたら身動きが取れなくなっているってことも、ありうる話だ。居酒屋の話と思っていたら、とんでもない負債を背負いこまされて青くなるってことか。そう思うと、本気で行政に気持ちを傾けなければならないのかもしれない。

2021年7月16日金曜日

いじめと「はぶる」とバブルの関係

 大野晋『古典基礎語辞典』に「はぶる」は「葬る」であったという驚きを紹介したが、「日本国語大辞典」の同じ項「はぶる」を引くと、「遺体を墓所に送って治める」とあり、「野に放ち捨てた」ことには触れていない。ただ「後世は「はふる」とも→「はふる(放)」の補注」と参照先を示している。

「はふる【放・抛】の末尾におかれた補注をみると、「「はふる(放)」と、「はふる(溢)」「はふる(屠)」「はぶる(葬)」「はふる(羽振)」などは、清濁の決定しがたい面もあるが、基点とする場所から、離れる、または離させるという意味が共通に存すると思われ、語源を同じくすると考えられる」とあった。

 それでひとつ氷解したことがあった。

 もう40年ほども前になる。高校生が、仲間外れにすることを「はぶにする」とか「あいつはハブだ」とことばをつかっていて、若い人たちの隠語だと思っていたことがあった。そのときやはり「日本国語大辞典」で「はぶ」をひくと、蛇のハブ以外では、静岡県田方郡の方言とだけある。そうか、現代的な隠語じゃなくて、方言からの派生かと得心していたことを思い出した。

 だが、上記「はふる」の補注のように語源が同じとみると、「はぶ」も静岡県の方言とか若者の隠語どころか、由緒由来が万葉集にまでさかのぼる「はふる」「はぶる」にあると思われる。「基点から離れる、離される」が「仲間外れ」となるのは、なかなか奥ゆかしい。もっとも1980年代の「はぶ」は、「いじめ」として高校生の間で流行っていたことばであったから、「奥ゆかしい」というと叱られるところであったかもしれない。しかし「いじめ」も、万葉集以前からの由緒由来をもっていたと思われる。

「いじめ」は「仲良くすること」の陰として発生し、「いじめ」があることによって一層、「仲良くしている」実感を強めたに違いない。「仲良くしている」紐帯とは「共感性」と言い換えてもいいであろう。その「共感性」という光の部分が危うく感じられる。その内心で感じていることを覆い隠すように、光の部分を際立たせるために、「いじめ」という陰の部分を浮かび上がらせる。そうして、「共感性」の枠内にとどまっている自身であることを自らに納得させるために「いじめ」が行われたとは言えまいか。

 ということは1980年代に「いじめ」が浮かび上がったのは、あのバブルの時期に「共感性の希薄さ」が心裡の大きな主題として浮上したからではないのか。経済的な隆盛、「一億総中流」と言われるほどの、経済的な恵沢に浴していたのに、「仲良くする」ー「共感性」が心裡の主題になるとは、どういうことか。衣食足って礼節を知るというのに、人類史上はじめての贅沢な暮らしをする大衆社会が実現したというのに、なぜ、「礼節」の行方に不安を感じていたのか。

 そう考えをすすめていくと、この時代の「一億総中流」の実現が、他を蹴飛ばしてのし上がっている光の部分だけの事象であると、人々の心裡が感じ取っていたのではないかと思う。むろん陰の部分の多くは、経済的な国際関係において、劣位にある国の国民が背負っていたわけだから、直には目に見えない。それに対するうしろめたさを感じ取るのは、やはり経済システムの過酷さ、他の蹴飛ばして伸し上がることが、じつは日常的な経済活動の振る舞いの中で常につねにくり返されてきていたからではないのか。手元に入った潤沢なお金が、金融のバブルもあって、銀行に預けておくだけで7%近い利息が付き、複利計算の10年で金融資産は倍になるという時代であった。では、その増える資産は、何処から来るのか? 誰の働き付け加えた付加価値から生まれているのか。もし自分が働いたお金が廻り回ってそのような価値を付け加えているのだとすると、それを貯めこんでどうしようというのかと、贅沢な時代を生きて来た者たちは思ったに違いない。

 散財せざるべからず。バブルへ向かってひた走る気分は、「仲良しへの不安」と背中合わせであった。つまりこの時に、個人主義は徹底してみなさんの心裡に浸透したのであり、一人一人が個々人の才能を生かして頑張れば、誰でも等しく豊かな生活を手に入れることができるという「信仰」が社会に広くかつ深く浸透していったのであった。むろん、そうできない人たちもいた。

 学校の現場に身を置いているとよく見えるのだが、誰もが同じように才能を開花できるわけではない。そもそも誕生したときの境遇というスタート地点からして、驚くほどの格差がある。経済的な(お金の)格差だけではなく、文化的な格差という生きていく素地の土台の違いに落差がある。もちろんこれは、その当時の時代だから生じた落差ではない。人というものが、生まれながらそういう違いをもっていることを知って、しかし生きてゆくのに不都合がないように計らうというのが「福祉社会」だと知ってはいた。しかしそこへの配慮が、際立つように行われたわけではない。個人主義の隆盛は、運否天賦という天与のことさえ押しのけて、個人の才能によるとみなすような勢いを持っていた。「幸運を引き寄せるのもその人の能力」というわけだ。たぶんそれが、ホントかなという経験則的予感を胚胎させ、心裡に「仲良しへの不安」=「共感性の希薄化」を萌させたのではなかったろうか。

 1980年代、学校では「いじめ」が流行したのであった。

2021年7月15日木曜日

汚がれ発生の根源にふれる

「最近老いることとか死ぬこととかを考えていて、「葬る」というのは「はぶる」と読まれていたことを知った」と8年前(2013年)に記している。

 大野晋の『古典基礎語辞典』によると、


《「ハブル」(放る)と同根。昔は死者を野に放ち捨てたことから、「葬」のこともハブルといったか。》


 とある。

 そうか、葬るというとすぐに埋葬を思い浮かべていたが、そうではなく野に放ち捨てたのか。そういえば、芥川龍之介の「羅生門」には山門に打ち捨てられた死体の山が登場していた。あれは、疫病や飢饉によってあまりに多数の死者がでたことによって、埋葬されない人々が多数あったのだと思っていたが、ひょっとすると、そもそも埋葬などということは品位の高い人たちの葬り方であって、ふつうの庶民は、野や山に捨てられていたのかもしれない。

 むろん誰もがどこにでも捨てたわけではなく、人郷から離れた「あだし野」であったに相違なく、そこが「不浄の地」とされるようになったのかもしれない。浄不浄の源泉がそういったところにあったとみると、腑に落ちることもある。野ざらしであってみれば、生きているあいだの様と死んでから日々に変わってくる様とは、目に見えて人生のはかなさを象徴するようにみえる。浄土真宗の「白骨の御文章」ではないが、「朝に紅顔なるとも夕べに白骨となるともしれず」である。

 そう考えると、姥捨ての話が急にリアリティをもって迫ってくる。深沢七郎の『楢山節考』のおりんばあさんが背負われていく先は、まさにその「あだし野」であったはずだ。村の現世からあだし野への道行は掟によって定められ、老母の捨身によってはかられていたのであった。

 その処が忌み嫌われるようになったと考えれば、安倍清明ならずとも、そこに結界の印をおいて、邪気がその外部に災いをもたらさないようにと封印する習わしが行われても不思議ではない。それをマジナイという意味合いを込めて呪術と呼ぶのは、ひょっとしたら後知恵のそしりである。迷信ではなく、現実に目の前にして恐怖を感じる生者の祈りを込めた災厄の忌避、つまり、真剣な生者と死霊のたたかいであったろう。たしか古事記のイザナギノミコトが黄泉の国のイザナミノミコトのもとから逃げ帰るときに、黄泉の国と現世との境目になる何とかの比良坂というところに石を置いたとかいっていなかったか。あれこそが結界の印。とすると、墓石というのも、向こうとこっちとの結界の印であって、そういう往還がかたちをもって象徴されたのだと言えようか。

 あの世が忌み嫌われる汚穢の世界だ考えるのは、野ざらしの死後の世界が腐り朽ちていく目前の事実からはじまっている。死んだ後の世界が穢れているのではない。死者を目前に置く現世のことを穢れている、とみているのだ。

「穢れ」は生者の陰である。生きるということ自体が、生きるモノを食らい消化し排泄するように、それ自体に陰を組み込んで成り立ちえている事象なのだ。それを忌まわしいとして忌避するのは、生きることの肯定的側面のみによって「生きること」を考えようとするわがまま至極な所業だと言わねばならない。「わがまま」というのは、片方の側面のみにてすべてを語りつくそうとする暴力性を指している。

 逆に、「肉体」が朽ち果てていくがゆえに、切り離されて考えられる「魂」が純粋化されて昇華されるのだとしたら、「魂」それ自体がやはり陰としての部分を切り捨てて語られていることを明かしている。「散華」というのも、汚穢から解き放たれた姿だというのであれば、それはそれで新しいステージを迎えるといえるのかもしれない。そのステージが「無」や「空」の世界であっても、だ。

 そんなことを考えながら、晴れ渡った梅雨の一日を過ごしている。

2021年7月14日水曜日

ヒトの第六感はコトバ

 2021-7-11「ことばをどう身につけたか」につづけます。

 般若心経の「眼耳鼻舌心意」が、仏教でいう人の感覚。第六番目の感官が「意」、つまりコトバです。「第六感」を広辞苑では、「五感のほかにあるとされる感覚で、鋭く物事の本質をつかむ心のはたらき」と説明しています。

「心」については、前回説明しました。五感の「触覚」に相当するものとして「痛み」や「喜び」、「悲しみ」や「気の毒」という「(人との)関係を感知する感覚」です。「意」とは異なる一つの感官として「心」は提示されていますから、広辞苑のように「心のはたらき」と説明すると、折角「心」と「意」とを分けた甲斐がありません。

 一般に通用している「第六感」は、広辞苑の説明と少し異なります。

 wikipediaは「第六感(だいろっかん、sixth sense)とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており 、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのこと 」としています。後半部分は広辞苑と同じですが、「理屈では説明しがたい」というところが、方向感覚(微弱な電場などの感知能力)とか空間認知とか本能的に潜在している感知能力を指しているようです。みえない霊威を感じたり、遠くに起きるモノゴトを素早く感知する超能力的な感受性を表すと、「six sense」はみてきました。「直感」とか「霊感」ともいわれますが、(人に当てはめてみると)自分を抜け出して外から鳥の目でみるような感覚を指していると考えると、誰もが普通にもっている感覚に近い能力だと思えます。「空気を読む」というのもこれに当たりますね。

 般若心経は普通に、人が感知する感覚の「意」にふさわしい「感覚」として「ことば」を取り上げたのだと私はみています。「眼耳鼻舌心」の五感も、人によりその鋭鈍の感受性に違いがありますが、誰にも備わっている才覚です。仏教では「心」と「意」もそれと同じ、人の本質的な属性とみています。六つの感官が並列しているのではなく、重層的に折り重なって、動いています。般若心経で謂う第六感・「意」は、感官全体を意識的に統合する役割を担っています。

 ことばを人が誕生後に身につける後天的な能力と考え、「本能的」感官とは別と、一般的には考えられています。だが、仏教ではそれもヒトのクセと位置づけました。「心」や「意」の土台部分は、生まれながら身に備わっているとみているともいえます。そこが面白いと私は受け止めてきました。

 例えば犬のみる世界は、カラーではなくモノクロームだといわれます。しかし犬は人の何百倍も嗅覚が発達していて、匂いをかぎ分けるといいます。また、カエルは動かないものはまったく識別できず、しかし動くものは鋭く見つけて舌を伸ばすとも言います。サケマスや渡り鳥が生まれ故郷に帰ってくるというのも、それにあたります。つまり、生き物それぞれに感知して活かしている才能部分は異なるのですが、ヒトには、関係を感知する能力とことばを繰り出す能力(の土台)が備わっているというわけ。つまりクセです。

 言葉によってつくりだされる「せかい」のモノゴトの目に見えるもの、イメージできることを、般若心経は「色」と呼びました。「かたち」です。「かたち」あるものは、いずれ、崩れる。人が抱いたイメージ(というかたち)も、時と場合が変われば、たちまちに崩壊する。だから執着してはいけません。こだわってしがみつくのは、ほんの一瞬の夢のようなもの。それを「色即是空」といいました。逆に、いまかたちになっていないものでも、混沌の海から紡ぎだすように引きだして来れば「かたち」あるものになる。「空即是色」というわけです。その作用の仲立ちをしているのが、コトバです。

 ヒンドゥ教の(混沌の海からモノゴトを綱引きして取り出してくるという)「乳海攪拌」が「せかい」をつくりだすことになるというのが興味深いのは、私たちの生長とともに「せかい」が現れてくる実感に見事に沿っているからです。般若心経はそれを彼岸から眺めて記述しているのです。

 誰もがもっている「意」という第六感(の土台)を鋭く磨いていくのは、いうまでもなく誕生後の成長です。生まれ落ちたときの(両親・兄弟という)環境、育っていくときの周囲のもたらす言葉の嵐、そして大きくなってからの友人や学校、本や新聞、テレビ、映画などと向き合う学習によって、コトバは磨かれていきます。世界を知るというのは、ことばを身につけることと同じなのです。

 あなたはいま、「混沌」の海から、言葉の綱引きをして「せかい」を取り出していますか。

2021年7月13日火曜日

デジタル難民の必要経費

 このところの天気の不安定は、梅雨明け間近の証なのだろうか。昨日(7/12)の午前中は、陽ざしの暑い晴れだったが、午後になると曇り空、2時ころには雨が落ちそうになって洗濯物を取り入れた。そのすぐ後に雷雨がやって来た。土砂降り。

 PCの調子が悪いと以前にも記した。後継機を用意しておかねばとgoogleのChromebookを手に入れた。g-mailの送受信以外に、現在使っているmail-アドレスの送受信もできるようにしておきたいと考えたのだが、どうやったらいいかわからない。後継機を手に入れたお店にもって行って、手を貸してもらう。1年間1万何がしかのサポートサービスは受けるようにしている。

 既得mailのプロバイダから示されたアカウントやパスワードは用意していた。店舗のお姉さんは自身のスマホの何かをみながら、Chromebookのg-mail画面を開いて、どこをどう操作すると指示してくれる。プロバイダのHPを開いて私のページに入り、そちらの同意を取り付けるようにいろいろと切り換えなければならない。送受信のPOP3をどうするといったあたりから、なにをどうしているのか(私には)わからなくなる。

 このメールアドレスは20年以上も前に手に入れたもの。その後にプロバイダ自身が、世の中のインターネットの変容にともなってやりとりの方法を換えていっているから、私の手元にある「それ」が役に立たない。いつも私が行き詰るのは、そこだ。

 お姉さんは、表示画面の送受信機能に表示される「アカウント(?)」を別のものに切り替えるよう指示する。切り換えるが「違う」という表示が出る。その右側に小さな小窓があって、そこに表示された三桁の数値を、別の数値に切り換える。それでも、次の段階へ移行しない。ひょっとするとと、画面のなかに記されている4文字のアルファベットを「アカウント」に入れてクリックすると、「次へ」の画面が出て、プロバイダから何かが送信されてきた。

 送信されてきた文書には、小さな文字でいろいろと書いてある。眼鏡を取り出して子細を読む。そこに送られてきた8桁の数値をコピーして、g-mailの要求するスペースにペーストすると、手続きが完了した。

「サポートサービスは電話でやり取りできますから」とお姉さんは言う。だがこれは、電話ではわからない。使われている用語自体がわからない。アカウントとID、メールアドレスとパスワード、さらに本パスワードといくつも、「わたし」を表す用語が並ぶと、何処にどれをどう使っているのかさえ、わからなくなる。バカの壁と言えば、それまでだが、こちらはアナログ人間なのだと、つくづく思う。

 ともかく、既得メールの送受信ができるようになった。気が付くと、おおむね1時間も、サジェストしてくれたことになる。

「また困ったことがあったら、いらっしゃいませ」とお姉さんは丁重だが、これで、chromebookのあれもこれも、使い方を教わるとなると、1万何がしかのサポートサービス料金も、高くない。

 そうか、デジタル難民の必要経費か。そう思った。

2021年7月12日月曜日

基礎単位が変わってしまった

 一昨日(7/10)の朝日新聞「be」の人生相談「悩みのるつぼ」に《「価値のない女」とののしる姑》という投書がのった。40代の女性、子どもが生まれなかったために姑から「長男の嫁として恥。病気になったことを謝れ。価値のない女」とののしられるという。二度と会いたくないと思っていたら、コロナ禍。今のところ会わないで済ませているが、この後そうはいかないだろう。葬儀にも出たくない、と限界に近づいていることを匂わせている。

 相談に答えるのは、文筆業・清田隆之さん。「夫さん」(と回答者は言う)との関係は悪くないようだが、「夫さん」は「(母親も)家族なんだから」と、そのモンダイに深入りしようとしない。それなら、「ペーパー離婚」して、「イエと決別しては」と応じる。

「ペーパー離婚」てなんだ?  

 法律婚から事実婚にしろという。つまり、「離婚」して、姑との関係を断ってしまえ。「夫さん」には不満がない。形式的に一線を画すことが必要。

《ペーパー離婚には改姓に付随する手続きや財産分与の取り決めなど面倒な作業も伴いますが、それは家族という関係の中であいまいにされてきた自他の境界線を引きなおし、個人としての輪郭を明確にする行為》

 と、具体的である。つまり、いまのご時世、個人が単位。家族制度はその実質を変えているのだから、そこまで突き詰めて「事実」をたて直せというワケ。「夫さん」は、母親に盾突くなど思いもよらないらしい。その「夫さん」に相談者も不満は持たないらしい。つまり、向き合っている人それぞれの「関係」は変えようがないのだから、個人として「関係」を紡ぎ直すと、嫌な他人とは関わらなくて済むというのだ。

 現象学という哲学の領域なのか、事実から物事を立論する社会学的方法なのか、わからないが、人と人との関係を、目の前に現れている現象を「事実」として受け止め、その論理的筋道に沿うようにコトを考えれば、「ペーパー離婚」が解決策として現れるという、この文筆業の方の回答は、なるほど現実的だ。今向き合っている「関係」を変えたければ、そこまで具体的に手立てを講じろというのは、じつは「夫さん」との関係も、その限りで向き合いますよという限定的なものになる。「夫さん」の身につけている文化には、手を触れない。でも私(「妻さん」というのかしら)の身に抱えてきた文化にも手をつけないでねと、個人が屹立する。新聞紙面を飾る「人生相談」としては際立つ面白さを湛えていた。

 夜、テレビの「チコちゃんに叱られる」を観ていたら、番組の最後に「動画を送ってね」と呼びかけがあり、送られてきた動画の披露をしている。高校生くらいの息子がギターを弾き、母親が江戸川の生ごみの歌を歌ってなかなか面白い。動画の最後に肩を寄せ合ってにっこりとほほ笑むご両人のたたずまいも堂に入っている。私たちが子どものころばかりか、私たちの子どもが高校生のころを思い出しても、この親子のような佇まいは、おおよそ思い浮かばない。子どもは二人とも親元を離れて、遠方に居を構え、年に1回会えればいい方。孫の受験などともなると、顔をみせることもしない。それはそれで仕方がないと私は思っているが、カミサンは育てそこなったと思っているのかもしれない。娘が子どもの進学先を遠方に考えていると知って、できるだけ親元に近い所に進学させた方がいいとアドバイスしている。

 番組に動画を投稿した母子をみていると、先述の「夫さん」ではないが、母親に苦言を呈して諫言するなんてことは、考えられないというのが、彷彿とする。仲が良いというよりも、文化的な紐帯を変えたくない、変えようとしない、変えられないものであると決めてかかっているように思える。その延長で、「夫さん」も「妻さん」も、結婚して後の相互の文化的な変容と融合とが、これからも変わらないものと考えているのではなかろうか。それでは、つまり、結婚というのは、両者の同棲であって、互いにもち来っている文化や領域には踏み込まないで仲良くやって行こうねと言っているようだ。人と人との関係って、そういうもんじゃないだろう。

 暮らしの基礎単位が個人だということと、個人は、相互の関係を取り結んでも変わらないってこととは、違うだろう。相互の関係とは、互いに変わることだ。むろん(相手を)変えようとすると、悶着になる。だが、嫌なことを言ってくる相手でも、関わらざるを得ないのなら、率直に自分の憤懣を伝えればいい。それで変わるか変わらないかは、相手のモンダイだ。「価値のない女」というのなら、「あなたとは関わりたくないから縁を切ります。出入りしないで下さい」と、面と向かって言えばいいではないか。そう言えないとすれば、相談者の「妻さん」の方に、何か弱みがあるのじゃないか。たとえば、「夫さん」に(経済的に)頼りっきりで、個人として自律していないとか、人に対してキツイことは言えない。いつもそういうことは、周りが代わって口を聴いてくれた、とか。そういう良いとこのお嬢さんで育った人柄であるとか。そんなお方が、「ペーパー離婚」の面倒な手続きを「夫さん」相手にできるとは思えない。ましてその後に、「夫さん」の所へやってくる姑に、「出入りしないでください。妻さんの家ですから」といえるだろうか? 

「ペーパー離婚」という発想は、フランス風に宗教的なカトリックの縛りがきついなら「事実婚」を法制化して、現実に支障がないようにしましょうという発想に近い。だが日本の場合、夫婦別姓さえ暗礁に乗り上げている。まして、「事実婚」を万端法制化するほど、家族に関する政治家たちの観念は現実化していない。つまり社会学的にか、現象学的にか、モノゴトを見る目が培われていない。むしろ、この母親のような発想の政治家たちが未だ力を揮っているとみた方がよいのかもしれない。

 現実はすっかり、チコちゃん動画の投稿者のように家族が変わってきているんですよ。「ボーっと生きてんじゃねえよ」って、チコちゃんに叱られるわよ。

2021年7月11日日曜日

ことばをどう身につけたか

 2021-6-12の「言葉というヒトの悪い癖」につづけたい。

 言葉がヒトの悪いクセだというのは、ヒトが言葉を使って「世界」をつくるからでした。植物や動物が感知する「せかい」は、生存と繁殖に関係することに限られています(と、今のところ人は考えています)。ではヒトは、どこが違うのか。必ずしも生存に欠かせないものではないのに、余計なことに好奇心を発揮し、関心を持ち、遊びを見つけ、挑戦していきます。それらはどれもみな、言葉がつくりだした「世界」がもたらしたものです。

 こうも言えましょうか。ヒトの五感と言われる感覚は、生理学的には、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・痛覚と言われます。ですが仏教の、「般若心経」というお経では「眼耳鼻舌心意」と五感にひとつ加えて六感を記しています。生理学的に謂う痛覚を「心」と表し、「意」を加えています。

 痛覚を「心」と表現するのが面白いのは、「痛み」だけではなく「喜び」も「寂しさ」も「気の毒」も、つまりヒトが感じる外部とのかかわりを感知する感性を、まとめてひとつの感覚としてとらえています。「心」は、関係を感知する感覚というわけです。生理学が踏み込めなかったヒトの領域をひとまとめに「心」とみて、私たちの身の裡の「世界」を感知する土台とみています。さすが宗教、よくぞ仏教徒、私は感嘆しました。

 では「意」とは何でしょう。ヒトの「意思」とは、意識したこと、つまり言葉とイメージです。ヒトのクセである言葉が、「心」を土台にしてつくられているというのは、私にはとても実感的に了解できることです。

 ヒトがどのように言葉を身につけるかと考えてみると、それがよく分かります。幼い子どもが言葉を身につけていくのは、みていて面白いものです。その一端は、2017-6-17の、このブログ記事「文化は自律的に受け継がれている」に記してありますから、ご覧ください。そのなかで「グライスの会話の公理」が子どもたちの心裡で働いているとあります。その心裡の作用の土台となっているのが、「心」だということですね(「グライスの会話の公理」というのは、広瀬友紀「ちいさい言語学者の冒険」が紹介していることですが、人のコミュニケーションにおいて「ことばにしていないことが伝わる」ワケを、言葉が交わされる空間・環境を共有していることによってかたちづくられる情報の共有や交換という土台にみて解析している)。

 では、私はどのように言葉を身につけていったのか。振り返ってみると、小学校2年の3学期に転校したころのことが思い浮かびます。香川県の高松で育った私が、小学校2年の冬に、瀬戸内海を渡った対岸にある岡山県の小学校に転校しました。でも私の言葉がおかしいとクラスの皆に笑われたのです。町でも買い物に行くとお店の人に「あんた、高松から来たん?」とすぐにばれてしまいました。高松と岡山では、方言が大きく違っていたからです。

 私の助け船はラジオでした。ラジオの言葉は、当時「標準語」と呼んでいましたが、東京言葉でした。岡山の同級生たちが「ワイ」と言っていた一人称も、高松流の「ワシ」から「標準語」の「ボク」に変わりました。それが、学校では教師からずいぶん褒められました。当時文部省は「標準語を遣おう」と全国の教師たちに指導していたからです。つまり私が言葉を意識しはじめたのは、同級生に笑われるのがイヤだったからでした。「グライスの会話の公理」をからすると、空間・環境を共有することができていなかったからですね。逆にいうと、ラジオは文化的な共有空間を(子どもの心裡に幻想的に)広げていく役割をしていたわけですね。

 ラジオもそうですが、もう一つ文化的な共有として私の言葉にかかわっているのは、本でした。同級生と一緒に遊ぶよりは本を読んで過ごすことが多く、図書室の本は、あらかた読んでしまいました。後の時代のことばで言えば、暗い少年だったのですね。私の兄がもっていた「譚海」という雑誌を読むようになり、中学校から借りてきてくれた本を読んだりしたのが、私の言葉に結びついていると思っています。

「方言」によって仕切られていた地域的な壁が取り払われ、文化的な共有が急速度で進展していったのが、新聞や出版やラジオ、テレビというマス・メディアだったわけです。空間が広大なアメリカと異なり、日本は、明治以降(中央集権的だったこともあって)、幕藩的なローカリティがどんどん消えて行って、島国を(ガラパゴス的に)一つの市場として情報単位と見なして市場競争が行われ、ますますひとつの単位と見えるような「文化的な共有空間」になった。それが「日本」とか「日本人」だったということなんですね。

 そうやってみてみると、いま、その「日本」「日本人」概念が、文化的に崩れていきつつある。むろん、グローバルな経済的開放の進展がもたらした結果なのですが、その変容に守旧勢力はもちろん、改革を叫んでいる経済成長一本槍の勢力も、まったく対応できていない。その軋みが、政治家や政府や官僚の「お粗末」に噴き出しているといえそうです。

2021年7月10日土曜日

何が人を支えるか――時代的懸隔

  今日(7/9)の朝日新聞に瀬戸内寂聴が、子どものころの自分の容姿に悩む話が書いてある。それを解消してくれたのが母親の次の言葉。


《はあちゃんは、色が黒くても、お鼻が低くても大丈夫なんよ、仏さんが人よりいい頭をくださってるんよ、母さんは信じてる。はあちゃんは、きっと、きっと、大きくなったら、小説家になって、吉屋信子のようになる。……》


 そうだ、こうやって子どもは「自我」に目覚めるのだ。他の子どもたちや周りの大人のことばに触発されて、他の人との違いに気付く。それは、「自分」を発見することである。

 容姿もあれば、振る舞いもある。言葉遣いも、周りへの心配りも、何から何まで、他人との違いからはじまる。しかし「自分」のことであるから、人にはいえない。褒められるからとか、良く思われたいというのは、もっとも後にくっ付いてくること。当人にとっては、たとえば校舎の階段の最後を上がるときに大きく一歩を踏み出す同級生の、その踏み出し方に(気持ちを)撃たれることもある。それを真似するが、誰も気づかない。でも、それでいいのだ。あとで、その同級生に対する自分の敬意があったからと気づいても、障りはない。

 瀬戸内の上記の話が何歳のことなのかわからないが、たぶん、小学校の中学年のころのことではないか。高学年になると、(たいてい)すでに自我はかたちを為し、周囲との力関係も、はっきりと見え始めていると、わが身の経験から思っている。

 それで思い出した。高杉良の『めぐみ園の夏』(新潮社、2017年)は、作家・高杉良の自伝的作品。親の離婚騒動によって孤児園に預けられた自身の1年半ほどの出来事を記しているのだが、抜きんでて頭の良かったことが、彼を見舞った不運にめげずに、自身を支えていたと読み取れる。

 瀬戸内寂聴は、母親にそういわれたことが支えになってその後の彼女の生き方を貫くことができたと言いたかったのかもしれない。少なくとも、容姿に恵まれなかった劣等感を払拭するくらいの効用はあったとみている。

 高杉良のそれは、もっと具体的に頭脳が明晰であったことが彼の生きる「武器」となり、子どもたちの群れの中で鬱屈を抱えず生きることのできた幸運のように描かれている。もっとも高杉は、それを「幸運」と思っているわけではなさそうだ。頭が良かったこと、言葉が達者だったこと、人の考えを察知し、それに対応する手立てをとることができたこと。つまり、頭がいいということは、人の社会を生き抜くうえで、こよなく役に立つ「武器」だということである。

 学校というのが実は、学力的才能を、同級生や同学年生ばかりでなく、世の中に位置づけて示してくれる装置である。それにまつわる大人の毀誉褒貶も表面化しやすい。自我に目覚めた子どもたちは、その大人の評価を軸として受け止め、同調したり反撥したり回避したりして、ますます偏る「自分」をかたちにして成長していく。紆余曲折もある。高杉良は、母親譲りで身に付いた文章力を「武器」として意識して、高校中退で世の中に乗り出していった。

 彼は昭和14年、太平洋戦前生まれの戦後育ち。私と3つしか違わないから、彼の辿った形跡を取り囲む時代的社会環境は、(首都圏と地方というギャップはあったにせよ)私が感じるところとそう違わない。私の育った岡山県の高校は小学区制であったから、玉野市内にひとつの高校しかなかった。だから余計痛切に記憶しているのだが、中学校の同級生で高校へ進学した者はおおよそ50%、15%は三井造船所お抱えの定時制高校であった。経済的に貧しいがために中卒で働く中学の同級生もいたから、高校に合格した私は、申しわけないと思いながら通った覚えがある。

 東洋経済onlineは、高杉良の自伝『破天荒』の評を、学歴にめげず取材と創作を続けた高杉を驚きの目で記している。会社の上司が「高校中退」と履歴書にあるのを見て、「高校卒」と書き換えさせたというのも、驚くことではない。そういう意味では、「才能」は世に満ち溢れ、世の中は多様などと言わずとも多様多彩であることは世の常識でもあった。画一的に「学力」で人を評価するのとも違い、学歴にこだわらない人の見極め方も通用した。融通無碍の、人を見る目の幅が広く深い時代であったともいえる。

 因みに、「学力」が画一的に論じられ、それが世の中の多数派に、はっきりとなって行ったのは、1970年代のオイルショック後のことであった。「金の卵」がぱったりと姿を消したことを契機としてとらえるのが、時代相の移り変わりをみるうえで正確だと思っている。

 人を見る目が変わることは、人の心もちを支える支点が変わることもである。「学力主義」といってもいいほど、痩せ細った学力が模擬試験の判断されるようになり、それもさらに細かく、採点者の主観が入らないように機械的な「正誤」のつく採点が持ち上げられ、そのようにして「人間要素」がぼろぼろと抜け落ちていった。瀬戸内や高杉の自我形成とその後の径庭をみると、大きな時代的懸隔が見てとれるように感じる。

2021年7月9日金曜日

虚飾をはぎ取りカネの意向に沿うように

  東京都にまた、緊急事態宣言が発令された。その報道を聴いている方は、だから何が変わるのかと思っている。政府の、ポーズ。コロナウィルスの広がりを抑えたいという気持ちを表す、リップサービス。オリンピックは、当然、止めない。お盆まで含めた国内の広がりを抑えたいから、来月の22日までの期限。「宣言」を発令する「真意」ばかりが俎上に上り、それがウィルスの感染拡大を防止するのに力になるとは、思っていない。

  IOCに場所を貸す。五輪を招致するとお願いし、一年延期すると願い出たのは「我が国」なのだから、いまさら引くに引けない。主催者でない日本政府は、そう考えている。メディアも、どうしていいのかわからないから、政府に文句をつけるだけ。それが「自助」だと考えているかのようだ。

 そのなかで、一人目を惹いたのが、元JOC委員・春日良一。オリンピック強硬開催に批判的なMC・坂上忍の主張を押し返して、「オリンピックは特別なんだ」「オリンピックを開催することで、人類がコロナに負けないで戦っているということを示すことになる」と、「子どもの修学旅行が中止になった」「イベントが開けない」と書き記したバックの庶民の不満との、次元の違いを強調して力説する。その場のギャラリー的参加者は、「何で五輪が特別なんだ。五輪関係者だからそう想えるだけなんじゃないですか」と、冷や水をかける。

 そのやりとりの声が、空しく響く。なぜだろうか。

 春日氏は、オリンピックに(現在的な)新しい物語を付け加えていこうと考えている。「平和の祭典」とくり返して平然としている宰相の鉄面皮には、我慢ならないと感じているようだ。半世紀前なら、そう言っても、タテマエとしてはそうだねと、国民は受け入れていたであろう。「こんにちは、こんにちは、世界の国から・・・」と三波春夫が歌っていたのは、敗戦から立ち直り、高度経済経済成長へ向かっていた背景の裏付けもあって、交流を盛んにして行きたいホンネともいえる。「世界の国から」商品注文を得たいと、新幹線や高速道路を整備して、いわば五輪自体が日本を舞台にした万国博覧会みたいな様相を呈していた。半世紀近く後の中国みたいに見える。

 そう。コロナウィルスもあるが、なにより経済的な成長期が終わり、成熟から停滞期に入っている背景がある。にもかかわらず、政府・宰相らは相変わらず、経済成長の見果てぬ夢を追いかけて五輪の招致に命運をかけてきた。IOCの関係者たちも(たぶん)「オリンピック貴族」と呼ばれるくらいなのだから、リッチなご利益を潤沢に得ているのであろう。何より主催団体として、放映権などの附随権益に取り囲まれている。思惑は、一致している。

 さて、命と五輪とを引き換えにできるかと意気込むほど、(私は)両者を切迫してみていない。コロナ対応は「五輪バブル」というが、はたしてバブルが弾けないように運びきるほど、実務的な万端が整っているかと、端から信用していない。だがTVを観ていたら武見敬三という自民党の議員が、「ウガンダの選手団から感染者が出たケースは、その後のこと考えると、良かったよ」と、事後の実務的手当てに何が必要か教えてくれたと具体的に話をして、ああこういう人もいるんだと、ちょっと見直した。まず自分たちの対応に何が必要かわからないというところから、モノゴトを考えることが、いまの政治家には欠かせない資質だと思う。

 政府も五輪関係者もメディアも、コロナに関連するかどうかではなく(もちろん関係しているのだが)、五輪そのものが(コロナの感染広がりと相俟って)商業主義の限界に来ているのではないか。開催時期や競技時間の設えが、放映権のもっとも大きなスポンサーの市長時刻に縛られるという滑稽さは、東京五輪だからこそ際立っていた。そこに手が付けられないのなら、もはや最大放映権者の現地で開催ということになるのが、一番いい。そうしてしまえば、「平和の祭典」などという虚飾をはぎ取って、世界スポーツ・ショウとして、開催すればいい。カネがモンダイなら、カネに沿うように設えればいい。そうすると、それに余計な幻想を与えてきたこれまでの「虚飾」がはぎ取られ、国威発揚、ナショナルな昂揚も、スポーツにかける精神主義的な幻想も、きれいに拭われてさっぱりすると(私などは)思う。

 もしオリンピックが、再生するとしたら、商業主義ときっぱり手を切り、国威発揚もかたちを変えて人類力発揚に衣替えして、スポーツを軸とした文化の祭典として、これまでとは別の物語を紡ぐしか道はないのではないか。春日良一氏のあがきは、そのように訴えているとみえた。

 さて、どうなるでしょうかね。

2021年7月8日木曜日

慧眼

 図書館の書架にあった本を手に取ったのが、真山仁『神域(上)』『神域(下)』(毎日新聞社、2020年)の二冊。真山はご存知ミステリー・作家。読みはじめて驚いた。つい先月メディアで報道された「アルツハイマーの新薬」をめぐる素材を扱っている。ミステリー自体はそれほど入り組んでいるわけではない。ただ、書き落とされたのが2018年おか9年にかけて週刊誌に連載されたもの。

 新薬開発に関する研究者たち。それを錬金術として成し遂げようとする製薬会社の投資。それらのあいだの厳しい競争。いろいろと理屈をつけて制約をかけるお役所や政府、治験に高いハードルを設ける関係者の駆け引き。その大きな裏側に手を伸ばしている各国政府の思惑。ひとつ抜け出る開発を「共同開発」という名で横取りしようとするアメリカと、まさしく先月発表のあったアメリカ企業と日本のエーザイが共同開発したアルツハイマー病の新薬の影に、この小説のようなドラマが展開していたのかと思わせる。

 ストーリーテラーとしてよりも、目の付け所という意味で、真山仁の慧眼に畏れ入った。たまたま書架に見つけた。たまたまメンドクサイ評論文を読み終わって、頭のクリーニングでもしようかと思っていた私の気分。手に取った。そのいくつも重なったたまたまが、ちょうど新聞で目にした「ニュース」の「アデュカヌマブ」。それが、これまでのアルツハイマーの「進行を緩和する」薬と異なり、アルツハイマーの発症を誘う異常なたんぱく質「アミロイドβ」を取り除き、神経細胞が壊れるのを防ぐという。文字通りの治療薬だと喧伝されている。しかもアメリカ食品医薬品局(FDA)は、その治験の結果によっては承認を取り消すこともありうるという条件付きで承認している。

 なるほど、この辺りの融通無碍とスピードの違いが、新型コロナウィルスワクチンの開発に日本の製薬会社がすっかり出遅れている理由がありそうだと、目下の世界的に焦点の当たる頃なコロナワクチン話にまで思いが及ぶ。これは「わたし」の「せかい」をかたちづくっている。

 むろん、日本の厚生官僚や政府のスタンスも組みこまれ、それらのすべてが、読んでいる庶民からすると「神域」のベールに覆われている。つまり、専門家の世界ということ? どうしてそうなるのか。細胞が分裂していろいろな機能を持つ細胞群へと成長していく過程をつまみ出し、それに操作を施して生体移植する、iPS細胞による医療が急進展していること自体が「神域」なのだが、それに従事する専門家や、それに群がる企業群や政治家たちもまた、「神域」のベールに包み・包まれて、不可思議化していっている。そうした私たちの心裡の変容を物語にすると、なるほどこういうことにもなると、思えてくる。

 情報化社会の庶民が自らの胸中にかたちづくる「せかい」イメージは、こうしたフィクションも、現実も、皆(関係的に)こき混ぜてつくられていく。そのこき混ぜ方は、「わたし」にしかわからない、たいていは私にもわからない「文法」が働いて脈絡をつけ、そちこちで矛盾を抱え、あるいは破綻をきたして、でも「ひとつ」として認識されている。その「文法」の構造や作用の領域や起動する際の作法は、生育歴中に身に備えた感性がベースになっている。

 だから、わが身の裡を、一つひとつ吟味する必要があるのだ。われ知らず、身に備えてしまった感性や感覚が「わたし」の「せかい」をかたちづくる土台を為している。それがいま、自律として、自分が決めたこととして外へ向けて表出している。モノゴトを認識する、つまり意識するというのは、自らの身の裡の何が作動して、「わたし」の決断となっているのか、その根拠を改めて意識すること、それが吟味するということだ。

 ひとつの小説が、その足がかり、手掛かりになる。そんな感じで読み終わった。

2021年7月7日水曜日

『人新世の「資本論」』(3)「自制」という精神論

 2020-7-4のこのブログ「暮らしが社会や政治と繋がるところ」で、ブレイディみかこ『THIS IS JAPAN――英国保育士が見た日本』(新潮文庫、2020年。2016年太田出版初出)に触れて書き記した記事が、斎藤幸平の『人新世の「資本論」』とクロスして、考えさせるところがあった(2021-7-6「経験主義の奥行き」)。

 要約してしまえば、こう言えよう。

 当為主義的な「コミュニズム」の正義は(「正義」そのものが相対化される現代においては)、カントのいう「仮言命令」になってしまった。それを「定言命令」として提示するには、「気候正義」の力を借りなければならなかった。それが斎藤幸平に私が感じた「コミュニズムの軛」であった。

 斎藤幸平は「コミュニズム」への現実的例証として「コモン」を取り出し、しかも「コミュニズム」をいつしか「社会主義」と言い換えて論述を展開している。彼の胸中では「コミュニズム」は最終的到達点の理想形態、それまでの過渡的かたちは「社会主義」だと考えているのかもしれない。だが、ヨーロッパを引き合いに出して論じるのであれば、そういう原理的な説明では賄いきれないくらいヨーロッパ論壇の「社会主義」概念は、論理的にも経験的にも様変わりしている。そこを知っている(はずの)斎藤が素知らぬ顔で、融通無碍に原理論的な「コミュニズム」を用いるのは、(無意識であっても)お粗末である。

 ヨーロッパ社会が、理論的にも経験的にも通過してきたこととは、東ヨーロッパの社会主義時代であり、それとの融合をやりくりしながら目下経過中のEUの統合である。明らかに資本家社会的な市場経済の上で、その自由主義的な開放がもたらす社会的な諸矛盾を政策的に調整している経験である。それを民主社会主義と呼ぶのか新たなアソシエーションと呼ぶのかはさておいても、それが展開される条件が備わったのは、善し悪しは別として資本家社会的な市場経済がもたらした「ラディカルな潤沢さ」である。となると、資本家社会のもたらした径庭を、「資本の原始的蓄積」という原理的な概念で単純に蹴とばして、すぐに「革命」へ結びつけるのは、暴論と言わねばならない。その「暴論」の源が、斎藤が抱え込んだ「軛」にあると私は睨んだわけだ。まずは、己自身を「軛」から解き放って、現実過程からモンダイを提起しなおすことが重要なのではないか。

 マルクスが、「資本論第一巻」を出版したのちの研究でロシアの伝統農法を尊重することへたどり着いたということも、それを教えている。そこまで歩いて来た人類史的な文化の足跡に自分自身も立っていることを踏まえて、モンダイを立て、それを踏まえて解決への道筋を探ること。それこそが、「暴論」という空想的なコミュニズムに走らないための第一歩ということなのだ。

 つまり日本においていえば、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた1980年代を経過して「一億総中流」と呼ばれた物質的に豊かな時代を(わが身も)経過したことによって、人々の暮らしが変わり、文化や芸術や遊びが広がり深まったことは、(一般的に言って)まちがいない。その80年代に生まれた斎藤にとっては所与の環境であったろうが、戦中生まれ戦後育ちという災禍の時代に物心ついて生きてきた私たちからすると、その社会的な大きな変容の評価を(善し悪しは別として)抜きにして、いまの市場経済のモンダイを論じることはできない。

 斎藤幸平の『人新世の「資本論」』に感じる違和感の最大のことが、そこにある。

                                            *

 行きがけの駄賃で、気になったことにひとつ触れておきたい。

 斎藤は留めようのない「欲求」の「自制」を呼びかけ、それが「革命」だと提示している。「欲求」ではなく「欲望」だろうと、まず私は思う。「欲求」はフィジカルな欠乏を満たそうとする衝動、満たされれば、消失する。腹が減ればものを食べたくなる。「欲求」である。食べれば満たされる。だがうまいものを食べたいというのは「欲望」である。食べてもまた、「よりうまいもの」を食べたいと欲する。「欲望」こそが、持て余すほど面倒なヒトのクセである。

 と同時にそれは、生きる原動力でもある。「欲望」は満たされるとさらに次なる「欲望」へと増殖する。といって抑制すればいいというものでもない。そう、たとえば研究者なら気付く。つまり自分自身の研究活動の原動力である好奇心も「欲望」の表出形態のひとつだからだ。

「自制」を「革命」と呼び掛ける斎藤に私は、「前衛論」を重ねてみる。と同時に、カトリックの司祭を思い浮かべた。精神論である。かつての日本帝国陸軍を思い浮かべてもいい。ある種の宗教的心情がベースにないと、とても現実性のある提案だとは思えない。

 だが、そのような荒唐無稽な提案が罷り通る現実があることを、アメリカのトランプ政権とそれを支持する半数近いアメリカ有権者の振る舞いをみると、思い当たる。そのような幻想の時代に大きく踏み込んでしまっているのが、私たちが身を置いている社会である。(つづく)

2021年7月6日火曜日

リハビリの二か月

 皆野の病院を退院後、リハビリに通い始めて2ヶ月が過ぎる。リハビリ治療の方針がどう決められているか、手順的なことしか、私にはわからない。ひと月に一度、医師の診察を受け、「リハビリテーション総合実施計画書」を医師がつくり、患者である私が署名する。だがそれには、「中心性頚髄損傷」という、4月に受けた診断名と同じ「原因疾患」が記載されていて、「痛みの改善」と詳細が記されている。

 診察室の上階にしつらえられたリハビリ室には、患部を温める場所と、マッサージを受けるベッドを置いた場所が区画されてある。6、7名のリハビリ士がいて、私を担当するリハビリ士が誰と決まっているわけではない。毎回違った人に当たることが多い。もちろんもう2カ月も経過するから、二度三度と当たる方もいるが、たまたま遭遇するという程度に、偶然に担当者となる。

 はじめての担当者はたいてい、「どこが一番つらいですか」と訊く。私の右肩とか、頸椎の変形ということも知らない。その都度私は、肩が張るとか、右腕の付け根が二の腕に掛けてピリピリするとか、首が回らないとか、腕がこの程度上がるようになったと、最初のころの症状を付け加えて説明する。

 リハビリ士は、それを聞いて、俯せにさせ、あるいは横向きにさせて、首から背骨に沿ってほぐしてゆくこともあれば、首筋から右肩にかけての要所を押さえて行きながら、何かを探るように黙々とマッサージしてゆく。肩甲骨が硬いですねと言ってほぐす。首筋が固まっているとも告げて、要所を触りながらほぐしていく。それが実に見事で、神経の経絡をきっちりたどるように進行するから、文句なくわが身の固まっているところがほぐれていくように感じられる。ひとわたり作業が終わるとわが身はものの見事のほぐれて、楽になっている。

 リハビリ士が、私の躰のツボに指をあて、掌を押し付け、どうほぐしているのを感じ取っているのかわからないが、彼の指先にあたかも目があるかのようにツボを辿り、押さえの深まり具合がわかるかのように、きっちりと痛みを感じる寸前まで押さえていく。毎回私が訴える「症状」が変わると、それに応じた経絡を探るように辿っているのが、押さえられている私には、不思議に感じられる。こういうのを専門家の腕というのかと、毎回感心している。

 二か月前と比べると、右腕の上がる位置は、格段に良くなった。はじめ臍くらいだったのが胸くらいになり、目の高さまで上がるようになり、いまは頭の上へも上がることは上がるようになった。ただ、左腕が上がるのと違って、肩の端っこがぴょんと飛び出すように、一緒にせりあがる。使っている筋肉が違うように思う。横から上げると肩の高さしか上がらないから、肩甲骨の硬さに起因する何かがあるのかもしれない。でも4月に較べて右腕の付け根が痛むことは少なくなった。

 自分の躰でありながら、いつも不思議に思うのは、神経系にせよ筋肉系の動きにせよ、体というのは本当に絶妙にできている。これが36億年という生命の歩んできた結果と考えると、枝分かれしたり、死に絶えてしまったほかの生命体も含めて、よくぞ生き延びてきたものだと感心する。当然、誰にともなく、感謝したい心持ちが湧き起る。

 果たして、6カ月で元に戻れるかどうかは、わからない。だが、なんとかそこそこ動く体に戻れるよう、上手に使い続けなければならない。

2021年7月5日月曜日

『人新世の「資本論」』(2)乖離する軸をつなぐのは身の実感

  斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社親書、2020年)には、立論の軸が二本ある。一本は、マルクスの「資本論」とそれ以降のマルクスから打ち出される資本主義批判。もう一本は、斎藤が身を置いている資本主義社会の現在に立脚して、前者の批判する(マルクス主義的)資本主義の矛盾を取り出して批判を重ねる軸である。

 この両者の立脚点の違いが、なぜか明らかにされないまま論述が展開される。前者は、彼が学び研究した意識的な軸。後者は、これまでの生育歴中に身に刻んだ生活文化を所与のものとした軸。その両者の、時代的な大きなズレをどう意識しているのか、言葉にしていないから、疑念が湧いてくる。

 たとえば、俗にいう「絶対的窮乏化」を、労働力の商品化に端を発する疎外として、窮乏化と記述する。だがそれは、「わたし」の経てきた身の実感と大きく異なる。斎藤自身も、自らが研究活動を続けてくることのできた環境の「幸運」を算入して考えれば、それがマルクス哲学のいう「疎外」であれ、資本家社会のもたらす「格差の拡大」に取り囲まれていたにせよ、資本主義日本社会のもたらした「幸運」であったと否定できないはずだ。「一億総中流」と言われた社会的な体験が、「絶対的窮乏化」とは異なる感懐を人々にもたらし、それが一層、バブル崩壊後の「中流」の解体と経済格差の両極端化にもかかわらず、人々を厳しい雇用関係におくことを促進したことを、どうみているのか。

 となると、「窮乏化」を論述するには、経済的な「格差」から生じることではなく、社会心理や哲学的な領野に踏み込んで書き記すしかないと思われるのだが、そこをぽんと飛んでしまう。読む者としては、彼が飛んだところで、身に刻まれた感情が沁み出て来るから、実感とズレるギャップを感じて戸惑う。

  なぜ、こうなるのか? 一つ思い当たるのは、わが身にも覚えがあることだから、文体の放つ臭いで感じられるのだが、斎藤幸平が機能的な読み取り方をしていること。

 たとえば「大分岐の時代」と標題して、気候危機が「帝国主義的な生活様式を…見直せという厳しい現実」を突き付けていると現状が引き返せない分岐点であると指摘する。そして、


《その結果、権威主義的なリーダーが支配者の地位につけば、「気候ファシズム」とでも呼ぶべき、統治体制が到来しかねない》


 と警告する。


《そうして、「社会主義か野蛮か」というローザ・ルクセンブルクの警句が二十一世紀の大分岐点において、再び現実味を帯びる》


  と記すのだが、おいおい、スターリン主義の時代を歴史的体験としている人は「社会主義も野蛮か」と読み替えなければならないような苦い経験を知っている。それをどう評価するのかに触れもしないで、ローザ・ルクセンブルクの言葉を引用などするなよと、思わず声を出したくなる。そういう時代背景をぽんと飛び越し(今のヨーロッパの知的論壇の雰囲気に身を移し)て、平然としているのは、機能主義的な関係の受け取り方をしているからにほかならない。ローザ・ルクセンブルクが生きた時代に、そして現在の時代に、介在する人間の心裡に視線が届いていないからではないか。私もアラサーの1970年代にやっと、そこへ踏み込むようになった、とわが身を振り返っている。

 その証のようなポイントがもう一つある。「使用価値」をとりあげている部分。

 資本家社会が「商品化」することによって、「使用価値」を蔑ろにしていると批判しているところである。では、交換を通じて「価値」が表現されるメカニズムとそれを介在する「貨幣」をどう評価するのか。それに触れないで、資本家社会の経済ばかりでなく、市場経済を論じることはできない。当然貨幣の物神崇拝性をどうみるのかを見過ごすことはできないはず。だが、斎藤は「使用価値」が直に取引されるような幻想に持ち込んで、人と人との関係が浮かび上がるロマンをあおっている。

 今の市場規模、人々の過ごしている交換の広がりとそれを媒介している貨幣の働きを当然とするなら、その両者を往還しているアソシエーションの動きを、単純に「使用価値」を前面に押し立ててすませるわけにはいかない。柄谷行人もそこを通過しようと模擬通貨までイメージしていたではないか。

 むろん、現場での試行錯誤が積み重ねられてネットワークは改良されていくしかない。とすれば、「革命」を叫ぶのなら、ソビエトや中国の現実、東ヨーロッパの試行錯誤を、経済過程だけでなく、地方分権的な要素を組みこまず、ネーション・ステートの「経済計画」一本槍で、中央集権的にコミュニティの解体をすすめてきた近代化のプロセスをも批判的に振り返らないではいられないと思うが、斎藤はその点に関して、分権的な視座を提示はしていない。

 ここには、たぶん、斎藤幸平の「人間観」が関係してくると思われるのだが、それはまたの機会に。(つづく)

2021年7月3日土曜日

『人新世の「資本論」』の不思議(1)なぜマルクスから解きはじめるのか

 齋藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社親書、2020年)を読む。マルクスが『資本論』第一巻を書いて後、20年ほどの間に書きためた膨大なノートに目を通して、マルクスの視線の、その後の変容を辿り、『資本論』に対するこれまでの解読と異なる読み解き方を示す。それを基点に、行き詰っている現在の資本主義をどう「革命」していくかを提起する試みである。

 新しい世紀に入ってヨーロッパを中心に提起されてきた経済社会の論題を概観して、温暖化などの地球環境問題を梃子に道筋を探る扉を開けようとしている。ヨーロッパと比べてはるかに地球環境問題に鈍い反応しか示していない日本社会では、やはり何周遅れかで走っている観を免れないが、島国という地政的な位置関係が大きな要因の一つじゃないかと思わないではいられなかった。

 それにしても、どうしてマルクスから説き起こさなければならないのか。そこが、この著者の心中に抱えている「軛」によるのであろうと推察する外なかった。

 というのも、地球環境問題に取り組むのは、そのモンダイの発端が産業革命にあるとする通説からすると、それ自体が直接に連関している。資本家社会的な生産関係から変えていく必要があると主張する展開は、それ自体で成立するのに、なぜそこに、マルクス主義的な「革命」を介在させる必要があるのか。それがじつは、マルクスの「資本論」を生産力主義的に解釈した結果であると齋藤は指摘する。そしてマルクスの提起は、資本主義の生産関係をモンダイにしていたのであって、その誤解がスターリン(主義)に結びついたと考えているようだ。だがそうだとすると、なぜ、生産力主義的な解釈が罷り通ったのかを、その後の「解釈」を担った人たちの歩んだ歴史過程から読み取ることになるか、マルクスの「資本論」の哲学に、そう誤釈される根拠があったと読み解くことになろうが、今の時代になって、それがどれほどの意味を持つのか、理解に苦しむ。

 齋藤自身が提起する「革命」は「欲求の自制」である。例示している取り組みは、マルクスを引き合いに出す必要もないくらい、現実のモンダイであり、具体的な取り組みである。だが、もちろん、それらの一つひとつが根柢的な生産関係の大転換というグランドデザインに結びついているなら、「革命」に向けた「改良的取り組み」と呼ぶこともできるが、本書の中では、広井良典が取り組み紹介していることほども、具体的ではない。

 著者が心中に抱えている「軛」とは、この著者がとらわれているマルクス主義の呪縛。つまり、「マルクス主義」をソビエトマルクス主義・スターリン主義や中国マルクス主義・毛沢東主義とは峻別してみてほしいという声に聞こえる。あるいは、マルクスの提起した「コミュニズム」を、自身の心のふるさとのように感じている出自に対するこだわりである。いまさら「科学的社会主義」を再提起したいわけでもなさそうだ。

 なぜそれを「マルクス主義」と名づける必要があるのかと私は思う。アナーキズムとは国家権力への向き合い方が違うと「あとがき」で、行きがけの駄賃のように触れているのも、著者自身の抱えている「現在の何か」に関する余計な言及のように思えてならなかった。

 もっと割り切って言えば、トマ・ピケティのように、21世紀のこの地点における資本家社会の行き詰まりを、内部からどう「革命」していくかと「人新世の資本論」を提起していけばいいものを、なぜ、「コミュニズム」と手垢のついた用語で包(くる)まねばならないのか。もちろん、ひとつの論題に対するアプローチの仕方にマルクスが差し挟まれても、それ自体はなんということもない。だが、初期マルクスとか、マルクス哲学とかではなく、マルクス主義として問題提起するのなら、20世紀マルクス主義の径庭に関して自己批判的な言及があってもいいのではないか。

 まして「コミュニズム」とカタカナ書きにして「将来イメージ」として提示するのなら、せめて柄谷行人ではないが「アソシエーション」と言い換えるくらいの心遣いをしないと、なんで丸のまんま「マルクス主義」って使ってるんだと読む者としては気持ちが落ち着かない。

 それくらい、「コミュニズム」とか「マルクス主義」という言葉の持つ現実過程が引きずってきた思想的な手垢は、哲学的に解析するにしてもまだまだ未解決の問題を宙づりのまま残していると私は考えている。戦中生まれ戦後育ちというか、左翼隆盛の戦後アカデミズムに良くも悪くも薫陶を受けて育った世代としては、そこまでわだかまってこそ、現在、わが身の裡の言葉として.「せかい」を口にする思想的自立の地点に到達できたと思っている。まだ30代の半ばの著者・齋藤幸平としては、なんのことかよくわからぬかもしれないが。

 あるいはこうも言えようか。

 1960年代前半までは当為主義的に独立武装を唱えていた日本共産党が、その後、ほぼポピュリズムの政党として身を処してきた。いまや憲法九条の堅持を掲げ、天皇制をも容認する大衆政党である。かつてマルクス主義が掲げていた「前衛論」などが、共産党の内部で哲学的にどう扱われているのか(私は)知らないが、もし未だにそれを堅持しているなら、ポピュリズムの裏側には「自前の正義」が隠されている。提示される諸施策は、巧妙な策略であり、マヌーバーである。それ自体が、開かれた合意形成とは程遠い、斉藤幸平のいう「閉鎖的(政治)技術」である。民主主義とは程遠い。せいぜい、習近平の中国のような統制社会がイメージされるばかりになる。

 まず、こうした疑念を抱いて読み進めた。(つづく)

7月24日(土) 36会Seminar開催のご案内

皆々さま

 皆さま、元気にお過ごしでしょうか。

 2回目のワクチン接種も目途がついたことと思いますが、何とも悩ましい状態が続いていますね。

 この後また、「緊急事態宣言」が出されるようであれば、もう一度再考しますが、今の状態であれば、7月Seminarを開催しようと考えています。

 そのご案内をします。


 来る7月24日(土)午後1時から3時までSeminarを行い、その後に、「お茶会」をもちます。ぜひとも、皆さまにはご参集いただきたく、それまでにコロナワクチンの接種を済ませて、お運びくださいますよう、ご案内する次第です。


と き:2021年7月24日(土)13時~15時……Seminar

会 場:新橋「鳥取・岡山アンテナショップ」2階会議室(36会・濵田さんの名で予約しています)。

講 師:伊勢木洋昭さん

お 題:鉄の話


 Seminar終了後に「お茶会」を持ちます。料理:一人あたり2,000円です。

 「お酒」の提供もできるとのことですので、別料金で当日ご注文下さい。

「お茶会」の人数を7/17までに知らせる必要がありますので、7/16までに事務局へ参加の是非をお知らせくださいましょう、お願い申し上げます。


 なお、都県境の越境自粛などが呼びかけられる場合には、「中止」することもあります。

 その判断は、一週間前までにはお知らせしますので、予めご了承ください。

 楽しみにしています。元気にお運びくださいますよう。

      2021年7月3日  事務局・藤田敏明

2021年7月2日金曜日

小さなことのために働く

 伊坂幸太郎『モダンタイムス』(講談社、2008年)を読む。妙な因縁を感じている。むろん、面白い。

 因縁というのは、何度かここで書いて来たカート・アンダーセンの『ファンタジーランド』がとりあげている「ファンタジー」を、違った角度から取り上げているからだ。アンダーセンは「事実」と「物語」のどちらがリアルかフェイクかわからなくなってきたアメリカが、1980~1990年代に完成したような書き方をしていた。アンダーセンの本が出版されたのは2019年だから、2008年に出版された伊坂幸太郎の本書が、アンダーセンを参考にしたわけでもない。でも同じテーマを取り上げている。600ページを越える二段組みというと、びっくりするが、活字も大きい。挿絵もある。漫画雑誌「モーニング」に一年間連載されたと「あとがき」にある。21世紀末という時代設定の活劇物、という風情だ。

 この二つの本の著者は、アメリカと日本という文化の流れは違うが、高度な消費社会を何年も過ごしてきたという点では、共通した文化をもっているともいえる。どちらも作家。それを読み取っている。作家というのは、たいしたものだ。そう感じた。

 大きなテーマは、現代社会の「システム」。「仕事だから」と大量虐殺をやってしまうアイヒマンのように、私たちは日々、「システム」に組み込まれることで、その「仕事」が何に関与しているか知らないで済ませている。もちろん、罪の意識無しに「仕事」に携わる。この大テーマと書きこまれる子細に現れる伊坂の「テツガク」が、いかにも「わたし」の好みに合っている。

 文化の風を読むだけではない。その文化のもっている本質的モンダイのひとつが、伊坂の作品のなかに書きこまれている。形而上的には普遍と特殊をめぐる哲学的モンダイといってもいい。それが人のかかわりの現場でどのように現れて来るか。現場に身を置く人は、それにどう対処するのが「正しい」か。小説を書くということは、そうした「実践理性」に一つひとつ始末をつけて、作品に書き込みをしなければならない。大変だなあと思うと同時に、面白い「現場」に身を置いているなあと、ちょっと惹かれるものを感じる。こちらに才能があればだが、もうこの歳。言ってみただけだ。

 それを敷衍させてひとつ指摘すると、ワクチンの集団接種に関する文科大臣の発言だ。学校で集団接種をすると同調圧力が生じ、接種しない(できない)生徒に対して「ワクチン差別」が発生すると問題になった。文科大臣がそれを理由に、学校での集団接種を取りやめた。

 なんてことを、と思った。

 そういう差別があるとなれば、それに対して差別をしちゃならないと教育するのが、学校現場ではないのか。集団接種が「同調圧力」を引き起こすなら、それをこそ契機として、差別をしてはいけないと実地教育することができるのではないか。それを、集団接種を取りやめるというのは、逃げ出すことじゃないのか。そう思った。差別を解消するには、「同調圧力を解消しなければならない」と考えたとしたら、それが生じたところで取り組んでこそ、教育「現場」だ。もし文科大臣が、いやいやそうは言っても、現場に取り組む力はありませんと考えて、集団接種を取りやめたのだとしたら、とても手が出ませんでしたと一言添えてもいいくらいだ。

 この文科大臣の勘違い、つまり「現場」で一つひとつ取り組まなければ、差別なんて解消しないと見極めて、それぞれの現場で、それぞれの事情に見合った取り組みをしてこそ、差別解消の動きがつくれる。一般的に差別をしてはいけませんと呼びかけて、それが通るのなら、ほとんど差別問題というのはモンダイにすらならない。そういう言葉じゃなくて、そこで起こったことに向き合って対策してこその、教育活動なのだ。

 伊坂幸太郎の『モダンタイムス』は、「小さなことのために働く」というのがキーワードになって、先行きの明るさへとつないでいる。モンダイタイムスのシステムに対して、ちっぽけな存在である私たち一人一人がどのように「世界」と向き合っていけばいいか、その一つの方向性を示している。そういう意味でも、絶妙な因縁、「わたし」の時宜に適した小説に出逢ったと思った。

2021年7月1日木曜日

ホッとしている

 昨日(6/30)、コロナワクチンの第二回接種を済ませた。ホッとしている。コロナウィルス発生が報道されてから、おおよそ一年半、結構用心深く過ごした。中央政府に対する不信感と結局「自助」というこれまで培った習性が、感染可能性が一番大きいのは公共交通機関と判断、基本的に避けた。所要があって都内へ行ったのは一度だけ、大宮まで電車に乗ったのも一度だけではなかったか。

 お蔭で、ワクチンの二回接種までなんとか感染しないでやってきた。むろん暮らしはがらりと変わるところは変わったが、年寄りの暮らしであるから、それほど困ったわけではない。ご近所の、やはり年寄りの飲み仲間とは「7月後半は大丈夫ですね。楽しみ」と、言葉を交わしている。

 カミサンは月末頃に奥日光の宿をとりたいと予約を申し込んだ。ところが、「7月20日から8月13日まで満室」と断られた。古い馴染のホテル。昨年もとることができたのに、どうしたことか。五輪をさけて、子ども連れが押し寄せてるんでしょう、ま、働いている現役世代に場は譲ってやりなさいよ、とこちらは目下体が不自由だから鷹揚である。もっとも、別の宿は空いていたから、みなさんが五輪避難というわけでもないのかもしれない。

 医者は接種後の副反応を記した「注意書き」を配ってくれた。「接種翌日」には「下痢、筋肉痛、関節痛、頭痛、疲労、寒気、発熱」などが発症%を付けて表示してある。第一回目で打った箇所の「痛み(筋肉痛?)」があった。ワクチンが効いているってことよと思っていたら、どこかのTVで「(副反応と抗体の発生とは)関係ない」と言っていたから、私の素人診立てと分かった。

 すでに二回目の終わった知り合いの年寄り3人ほどは、「なにもなかった」という。若いリハビリ士は「疲労感と発熱があって、仕事を一日休んだ」と世間話をしていた。こちらはもう、若くないから軽くて済むのかなと思っている。

 今朝起きてみると、やはり左肩が痛む。ちょうど右側がリハビリ中で動きが悪いから、腕の両方が同じくらい動きが鈍くなっている。こういうのも「バランスが保てる」っはいうのかな。ま、今日一日様子をみて、「ホッとしている」気分にエビデンスをつけてやらねばなるまい。

 一応、遠方に住む子供たちに「接種完了」のメールをした。娘からは「解熱剤はあるか?」と言ってきた。息子は「職域接種は学生優先で教職員は後回し」と知らせてきた。

 こちらは、応答があったことにホッとしている。