大野晋『古典基礎語辞典』に「はぶる」は「葬る」であったという驚きを紹介したが、「日本国語大辞典」の同じ項「はぶる」を引くと、「遺体を墓所に送って治める」とあり、「野に放ち捨てた」ことには触れていない。ただ「後世は「はふる」とも→「はふる(放)」の補注」と参照先を示している。
「はふる【放・抛】の末尾におかれた補注をみると、「「はふる(放)」と、「はふる(溢)」「はふる(屠)」「はぶる(葬)」「はふる(羽振)」などは、清濁の決定しがたい面もあるが、基点とする場所から、離れる、または離させるという意味が共通に存すると思われ、語源を同じくすると考えられる」とあった。
それでひとつ氷解したことがあった。
もう40年ほども前になる。高校生が、仲間外れにすることを「はぶにする」とか「あいつはハブだ」とことばをつかっていて、若い人たちの隠語だと思っていたことがあった。そのときやはり「日本国語大辞典」で「はぶ」をひくと、蛇のハブ以外では、静岡県田方郡の方言とだけある。そうか、現代的な隠語じゃなくて、方言からの派生かと得心していたことを思い出した。
だが、上記「はふる」の補注のように語源が同じとみると、「はぶ」も静岡県の方言とか若者の隠語どころか、由緒由来が万葉集にまでさかのぼる「はふる」「はぶる」にあると思われる。「基点から離れる、離される」が「仲間外れ」となるのは、なかなか奥ゆかしい。もっとも1980年代の「はぶ」は、「いじめ」として高校生の間で流行っていたことばであったから、「奥ゆかしい」というと叱られるところであったかもしれない。しかし「いじめ」も、万葉集以前からの由緒由来をもっていたと思われる。
「いじめ」は「仲良くすること」の陰として発生し、「いじめ」があることによって一層、「仲良くしている」実感を強めたに違いない。「仲良くしている」紐帯とは「共感性」と言い換えてもいいであろう。その「共感性」という光の部分が危うく感じられる。その内心で感じていることを覆い隠すように、光の部分を際立たせるために、「いじめ」という陰の部分を浮かび上がらせる。そうして、「共感性」の枠内にとどまっている自身であることを自らに納得させるために「いじめ」が行われたとは言えまいか。
ということは1980年代に「いじめ」が浮かび上がったのは、あのバブルの時期に「共感性の希薄さ」が心裡の大きな主題として浮上したからではないのか。経済的な隆盛、「一億総中流」と言われるほどの、経済的な恵沢に浴していたのに、「仲良くする」ー「共感性」が心裡の主題になるとは、どういうことか。衣食足って礼節を知るというのに、人類史上はじめての贅沢な暮らしをする大衆社会が実現したというのに、なぜ、「礼節」の行方に不安を感じていたのか。
そう考えをすすめていくと、この時代の「一億総中流」の実現が、他を蹴飛ばしてのし上がっている光の部分だけの事象であると、人々の心裡が感じ取っていたのではないかと思う。むろん陰の部分の多くは、経済的な国際関係において、劣位にある国の国民が背負っていたわけだから、直には目に見えない。それに対するうしろめたさを感じ取るのは、やはり経済システムの過酷さ、他の蹴飛ばして伸し上がることが、じつは日常的な経済活動の振る舞いの中で常につねにくり返されてきていたからではないのか。手元に入った潤沢なお金が、金融のバブルもあって、銀行に預けておくだけで7%近い利息が付き、複利計算の10年で金融資産は倍になるという時代であった。では、その増える資産は、何処から来るのか? 誰の働き付け加えた付加価値から生まれているのか。もし自分が働いたお金が廻り回ってそのような価値を付け加えているのだとすると、それを貯めこんでどうしようというのかと、贅沢な時代を生きて来た者たちは思ったに違いない。
散財せざるべからず。バブルへ向かってひた走る気分は、「仲良しへの不安」と背中合わせであった。つまりこの時に、個人主義は徹底してみなさんの心裡に浸透したのであり、一人一人が個々人の才能を生かして頑張れば、誰でも等しく豊かな生活を手に入れることができるという「信仰」が社会に広くかつ深く浸透していったのであった。むろん、そうできない人たちもいた。
学校の現場に身を置いているとよく見えるのだが、誰もが同じように才能を開花できるわけではない。そもそも誕生したときの境遇というスタート地点からして、驚くほどの格差がある。経済的な(お金の)格差だけではなく、文化的な格差という生きていく素地の土台の違いに落差がある。もちろんこれは、その当時の時代だから生じた落差ではない。人というものが、生まれながらそういう違いをもっていることを知って、しかし生きてゆくのに不都合がないように計らうというのが「福祉社会」だと知ってはいた。しかしそこへの配慮が、際立つように行われたわけではない。個人主義の隆盛は、運否天賦という天与のことさえ押しのけて、個人の才能によるとみなすような勢いを持っていた。「幸運を引き寄せるのもその人の能力」というわけだ。たぶんそれが、ホントかなという経験則的予感を胚胎させ、心裡に「仲良しへの不安」=「共感性の希薄化」を萌させたのではなかったろうか。
1980年代、学校では「いじめ」が流行したのであった。
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