図書館の書架にあった本を手に取ったのが、真山仁『神域(上)』『神域(下)』(毎日新聞社、2020年)の二冊。真山はご存知ミステリー・作家。読みはじめて驚いた。つい先月メディアで報道された「アルツハイマーの新薬」をめぐる素材を扱っている。ミステリー自体はそれほど入り組んでいるわけではない。ただ、書き落とされたのが2018年おか9年にかけて週刊誌に連載されたもの。
新薬開発に関する研究者たち。それを錬金術として成し遂げようとする製薬会社の投資。それらのあいだの厳しい競争。いろいろと理屈をつけて制約をかけるお役所や政府、治験に高いハードルを設ける関係者の駆け引き。その大きな裏側に手を伸ばしている各国政府の思惑。ひとつ抜け出る開発を「共同開発」という名で横取りしようとするアメリカと、まさしく先月発表のあったアメリカ企業と日本のエーザイが共同開発したアルツハイマー病の新薬の影に、この小説のようなドラマが展開していたのかと思わせる。
ストーリーテラーとしてよりも、目の付け所という意味で、真山仁の慧眼に畏れ入った。たまたま書架に見つけた。たまたまメンドクサイ評論文を読み終わって、頭のクリーニングでもしようかと思っていた私の気分。手に取った。そのいくつも重なったたまたまが、ちょうど新聞で目にした「ニュース」の「アデュカヌマブ」。それが、これまでのアルツハイマーの「進行を緩和する」薬と異なり、アルツハイマーの発症を誘う異常なたんぱく質「アミロイドβ」を取り除き、神経細胞が壊れるのを防ぐという。文字通りの治療薬だと喧伝されている。しかもアメリカ食品医薬品局(FDA)は、その治験の結果によっては承認を取り消すこともありうるという条件付きで承認している。
なるほど、この辺りの融通無碍とスピードの違いが、新型コロナウィルスワクチンの開発に日本の製薬会社がすっかり出遅れている理由がありそうだと、目下の世界的に焦点の当たる頃なコロナワクチン話にまで思いが及ぶ。これは「わたし」の「せかい」をかたちづくっている。
むろん、日本の厚生官僚や政府のスタンスも組みこまれ、それらのすべてが、読んでいる庶民からすると「神域」のベールに覆われている。つまり、専門家の世界ということ? どうしてそうなるのか。細胞が分裂していろいろな機能を持つ細胞群へと成長していく過程をつまみ出し、それに操作を施して生体移植する、iPS細胞による医療が急進展していること自体が「神域」なのだが、それに従事する専門家や、それに群がる企業群や政治家たちもまた、「神域」のベールに包み・包まれて、不可思議化していっている。そうした私たちの心裡の変容を物語にすると、なるほどこういうことにもなると、思えてくる。
情報化社会の庶民が自らの胸中にかたちづくる「せかい」イメージは、こうしたフィクションも、現実も、皆(関係的に)こき混ぜてつくられていく。そのこき混ぜ方は、「わたし」にしかわからない、たいていは私にもわからない「文法」が働いて脈絡をつけ、そちこちで矛盾を抱え、あるいは破綻をきたして、でも「ひとつ」として認識されている。その「文法」の構造や作用の領域や起動する際の作法は、生育歴中に身に備えた感性がベースになっている。
だから、わが身の裡を、一つひとつ吟味する必要があるのだ。われ知らず、身に備えてしまった感性や感覚が「わたし」の「せかい」をかたちづくる土台を為している。それがいま、自律として、自分が決めたこととして外へ向けて表出している。モノゴトを認識する、つまり意識するというのは、自らの身の裡の何が作動して、「わたし」の決断となっているのか、その根拠を改めて意識すること、それが吟味するということだ。
ひとつの小説が、その足がかり、手掛かりになる。そんな感じで読み終わった。
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